22.体育館とプールの間の道で
右手の痛みは気にならなくなっていた。固定されていて不便だと感じるだけで。
歌う曲も決まり、文化祭に向けて個人で練習している。万屋が何をするか、本番まで秘密にすることを先輩たちと決めた。そのため、学校では練習できなかった。音合わせをするときは、学人先輩の家に集まる。
文化祭まであと七日。
「お前は文化祭に出るな」
低い声に振り返ると、短い髪を金色に染めて立てている、見た目不良が睨んでいた。その隣には優等生の見本のような線の細い男子もいる。
「なんで?」
「お、お前が出なければ、またあの三人の催しが見れるんだ! あの人たち三人が万屋なんだ!」
またか。優等生がヒステリックに叫ぶのが煩わしかった。耳が痛い。優等生だからこそ、キレると加減ができないのかもしれない。
万屋に僕はいらない。それは何度も言われてきたことだった。
決心した今、その意見は聞き入れられないけど。
「文化祭でやることは、もう完成してるんだけど」
「お前がいなくなっても変わらないだろ。右手は使えないんだろ?」
不良がニタニタと笑った。気持ち悪い。悪意と優劣感が混じっていて不快だった。
「その右手が、お前がいらない証拠なんだ!」
確かに『僕はいらない』と思う奴が右手を折った。さすが優等生、と変なところで感心した。
厄介なことは逃げるのが一番良い解決策だ。人通りのない体育館とプールの間の道は逃げ道が一つしかなかった。一歩後退して逃げるタイミングを計っていると、後ろから足音が聞こえた。
「逃げられると思ったか?」
愉快そうな笑い声に、肩を落として振り返った。
いかにも暴力を振るうことに慣れている様子で、三人の男子が立っている。金髪の仲間だ。優等生は戦力外として、四対一の構図になった。
勝利を確信した汚い笑みが取り巻く中、ため息を吐いた。
「めんどくさい…」
「はあ? 何言っちゃってんの? 諦めたんですかー?」
「呆れたんですよ」
動物の鳴き声のように甲高い笑い声にかぶせて言った。同時に、足に力を入れて構えた。
四人なら、大丈夫。右手のハンデで丁度良いくらいだ。
「まだどうにかなると思ってんのか? 後で後悔するんだな」
後で悔やむから後悔なんだよ。口に出さずに指摘して、殴りかかってきた男子を避け、カウンターで鳩尾を殴った。腹を押さえて膝を付き、呻いている。それに苛立ったのか、残りの三人が一斉に向かってきた。
一斉に来るということは、その分巻き込みやすい。
まず、向かってきた拳を避け、腕を持って体勢を崩した。
それに巻き込まれた男子の横腹に回し蹴りを入れ、体勢を崩した方の背中に肘を落とした。
残った一人は仲間が次々と倒れていくのに怯んだのか、足を止めている。向かってこないなら、何もしない。
「お前…なんで…」
「合気道と空手をやってたからね。どうする? まだやる?」
「おい、話が違うじゃねぇか! こんなんやってられっか!」
呻く仲間を置き去りにして、不良は逃げた。残ったのは優等生だけだ。呆然としている。何が起こったのか、理解できていないのだろう。
倒れた三人がまた向かってこないか様子を見ながら、一歩下がった。
「由宇、やるわねー」
「そんな特技あったんだねー」
声が降ってきた方を見ると、体育館の二階の窓から透先輩と聖さんが顔を出していた。
そうか。今日は二人共、運動部の助っ人をしていたんだ。
「いつから見てたんですか?」
「『お前が出なければ』ってところから」
優等生のヒステリーから見ていたわけだ。ヒステリーだから気づいたのかもしれない。
しかし、ただ見ていたのは何故か。
「助けてくれなかったのは何故ですか?」
「由宇、余裕あるみたいだったからねー。様子を見ようってことで。結果は見てのとおりだし」
ホラ、と聖さんが指で示した先には、まだうずくまっている不良たちがいた。情けない。手を折られるよりは痛くないのに。
突然現れた聖さんと透先輩に目を見開いた優等生がまだ動かずに居た。
「そこの君ー由宇に手を出すなんて、よくもやってくれたね? 右手の件でもかなりムカついてるんだけど」
「万屋を敵に回したと看做すわね」
笑顔なのに、怒りが滲んでいた。絵で表すなら血管が浮いている状態だ。目が笑っていない笑みは、単純な怒りよりも怖かった。
部員の僕でもそう思うのだから、優等生はもっと恐怖を感じているだろう。
聖さんたちのためにやったことだと思っているなら尚更。
「由宇を傷つけようとする者は誰であろうと許さないよ。僕たちを理由にするな。それはエゴだと知れ」
まるで王のように堂々と。断罪するかのようなその姿は。
今まで見た誰よりも気高く見えた。
「由宇、一応今日は学人の家に寄って右手を診てもらおう。もう切り上げるから、先に部室に行ってて」
「わかりました」
バイバイ、と手を降って中に戻った聖さんと透先輩を見送り、視線を優等生に向けた。
ブツブツ何かを呟いている。
僕は悪くない。伊集院さんのためにやったんだ。須賀が悪いんだ。
微かに聞き取れる言葉に胸が痛んだが、聖さんの言葉がそれを消した。
僕は万屋の一員なんだ。




