50.グエン・チ・アン
鈴木四郎は羽田空港の国際線到着ロビー通路で静かに立ち留まっていた。
目の前を多くの人が足早に通り過ぎていく。
かれこれ2時間は同じ場所に居続けているのだけど誰何する人は誰もいない。
時々、横に来て同じ様に立つ男性が居たけれど数分で連れと思われる女性と一緒になって明るい表情をしながら歩き去って行く。
中には歩き始める時に気の毒そうな眼差しを向け軽く会釈して行く人もいた。
(ここは中々に人間観察に向いている場所だったかな)
今は鈴木四郎の名前で活動しているイノマンは内心でほくそ笑む。
そこは公衆トイレの目前、慌ただしく人が出入りする場所だった。
東域宇宙和平維持連盟地球防衛基地日本支部行動調査チームに仮配属になったイノマンクローンの石井光一は50年の下積み経験の実績が評価され自分と縁が深い輸送艦キャメロットのキャプテンにまで上り詰めている。
まあ、イノマンクローンきょうだい達フリープラネット同盟が陰から支援していたのだけど本人には気付かれないように最大限の注意を払っていた。
そんな折、イノマンオリジナルは鈴木四郎の名前を使い石井光一の部下になって働き始めている。
『働かざる者食うべからず』と言われたからなのかどうかは定かではない。
ただ表立って日本へ行くのに一番確実で手っ取り早い方法だから就労者になった。
だから石井光一がチルドレンサーチャーとして日本へ赴くとなった時にはもれなく同行している。
行動調査チームの仕事は日がな一日人間観察をして報告書にまとめ上げること。
一見楽そうに見えるけど真面目に仕事をしていないと報告書が書けない、胡麻化そうとして辻褄合わせに苦労するくらいならサボらずその場で報告書を書くと良い。
定時になったら書いていた報告書をピピッと伝送してそのまま目の前にある酒場なり娯楽施設なりに入って行けるのだから。
どこで観察しようとそれは調査員に一任されている。
結構というか限りなく自由な部署であるのは間違いないのだけどサボリや捏造がバレたりしたら即時異動、鬼上司に監視されながら書類の山に埋もれる内勤業務に回されていた。
だから行動調査チームの皆は楽をしつつも足を踏み外さないよう業務に励む。
トイレから出てきた人の動向はすぐに分かる。
わき目も振らず速足で歩き始める人はだいたい時間に追われていて本人に心の余裕がなく声を掛けたとしても無意味に終わってしまう。
一度周囲を見渡してから歩き出す人には連れがいることが多く迂闊に声を掛けると仲間に取り囲まれて弁明に手間取ることが多い。
誰彼構わず声を掛けられる方法に街頭アンケートがあるのだけど1人でやっていたのでは不審に思われるし目立ち人相も覚えられてしまう。
後から人相書付手配書が街中に張り出されては溜まらない。
これから人さらいをしようとしている鈴木四郎は慎重に慎重を重ねていく。
今ハンカチで手を拭きながらトイレから出てきた妙齢の女性が辺りをキョロキョロと見渡している。
よく見ると東南アジア系らしい顔立ちで不安に包まれている様子。
「ハウ・メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」
鈴木四郎は行動を起こした。
「アイ・ロスト・マイ・グループ」
彼女はかなり焦っているのか苦手なのかおぼつかない英語で話す。
「カム・ウィズ・ミー」
こちらも簡単な英語を使い安心させるように手を差し伸べる。
「アリガトウ」
少し笑顔になった彼女か凄い美人に見えた。
片言でも日本語が喋れるようで本当に助かる。
英語で外国人女性と話をしてると目立ってしまうから。
ここは日本、無関心を装いながら感情を表に出さない内向的根暗男性が多く本当は嫉妬深い国。
「お名前を教えていただけますか」
「ハイ、グエン・チ・アンと言います」
「パスポートを持っていますか」
「イイエ、無くすといけないからと言ってリーダーが持っています」
「それは大変いけないことです。見つかってしまうと国へ強制送還されますね、私が匿ってあげましょう。さあ、私と一緒に来るのです」
「アリガトウゴザイマス」
(暗示にも素直に掛かってくれたみたいで助かったかな)
グエン・チ・アンの手を取って一緒に歩く。
最近開発したスパイ防止装置も認識疎外の効果に期待して作動させる。
「おかえりなさい。早かったですね」
拠点にしているアパートの一室へ戻ってくるとイノマンクローン四女のフランが出迎えてくれた。
「ああ、彼女にお茶を与えてくれないか」
「特性ハーブティーですよね」
鈴木四郎が女性同伴で帰ってきていることについてフランは全くの無頓着。
それが日常的に行われているから……ではなくて計画的に行われたものだから。
キッチンテーブルに置かれた椅子に座らせフランが入れたお茶を差し出すと素直に飲んで安らかな眠りに落ちる。
その様子を見ていたフランは少し気の毒に思った。
「こんな可愛い娘を手に掛けるなんてイノマンにはスケコマシの能力もあったのですね」
「バカなことを言うな暗示が上手く掛かっただけだ、それにその名前をここで使ってはいけない」
そう言うと押し入れから布団を引っ張り出して敷いていく。
「では幽体を移す準備を予定通り始めるとしよう、私は機材を君はこの娘を頼みます」
「考え直しができるのは最後ですよ、明日の朝まで時間はあるのですから少し落ち着きませんか」
「ここまでやっておいて中断したらリスクが大きくなるからな、このまま決行するよ」
「もう会えなくなるのですか」
「それはまだ分からない、この娘から生まれた子供が成長した時に私の意識がどれほど残っているかによるかな、上手くいけば二重人格者として表に出ることができるかも知れないからその時は連絡するよ」
「あなたの幽体が消えてしまわないことを科学者としてあなたのDNAに祈っています」
「そうだな私もこの娘に掛けた暗示が消えることなく無事に出産してくれることを神に祈るとしよう」
(そういえば父は真言密教信者だったかな)
翌日、鈴木四郎は住んでいたアパートから姿を消すのだけどそれが発覚するのは家賃滞納が起きてからのことになる。
元々が全て前払い制を取っている身元不詳者のためにあるような安アパートなので誰も騒ぎ立てたりしない。
大家は原復費用まで先に貰っているわけだから部屋の中で死んでさえいなければ早目に退去してもらいたいと常日頃から願っていた。
「あなたはグエン・チ・アンさんですか」
空港施設警備員が早朝から一人待合室のベンチに座っている若い東南アジア系の女性を不審に思い声を掛けたのは西暦1996年8月21日午前5時15分のこと。
「ハイ」
前日、夕方に警察から行方不明者の捜査協力願いが出されていたので空港従事者全員が気にしていたところなので早期発見に胸を撫で下ろす。
即座に警察へ連絡して引き取ってもらい平穏な日常業務を始めた矢先に警察と先の女性が戻って来て現場検証やら防犯カメラの記録映像確認を行い始める。
なんでも昨日一日分の記憶が完全に抜け落ちているという話し。
今朝ベンチに座ったのも一人で来たのか誰かに送ってもらったのか、どうやって来たのかさえも覚えていないらしい。
まあ最近は過熱気味になったパチンコ店で一過性全健忘症になる人が増えてきているのでそれに似た症状なのだろうということで収めた。
行方不明届が出ていた成人女性本人が無事に一晩で見つかっているので本来なら事件にもならないことだから関係者全員が早く終わらせたいと思っている。
警察署へ戻り待っていると連絡していた外国人技能実習生受入れ仲介業者の人が来たので一般的な手続きをして終わらせた。
グエン・チ・アンが福岡県久留米市で農業実習生として働き始めてから何事もなく5か月が過ぎようとする頃になると実習生の間でアンの体調を気遣う人が増えてきている。
「あんた妊娠しているんじゃないかい」
農業実習生専用アパートで同室のウォンが唐突に聞く。
「日本に来てから生理がきてないのよ……やっぱりあの夜に……何かあったのよ」
アンにとって全く身に覚えのない妊娠は恐怖以外の何物でもないのだけど誰にも言えないことが1つだけあった。
「あんたやっぱり鈴木四郎と関係を持っていたんじゃないかい」
ウォンが心配そうにアンの顔を覗き込む。
「身体も衣服も下着も何も汚れていなかったのよそれに私はまだその……処女のままよ」
最後の方は声が小さくなりほとんど聞き取れない。
「でも鈴木四郎って男が言ったんだろう『時が来れば迎えに来る』って、それは何時のことなんだいそれに『このことは秘密だ誰にも話すな』ってのも騙されているとしか思えないね」
ウォンが辛辣に言ってくるけどその瞳は慈愛に満ちていた。
「説明のしようがないの、その二つの言葉だけが頭の中にあるのよだから信じて待つことにしようと思うの」
「赤ん坊はどうするんだい……」
言いながらここで密かに産ませるしかないと思う。
このことが表に出れば強制送還は間違いなしだから。
こっちがいくら正しいことを言ってもそういう正義が通らないことぐらいの世の中であることくらいここに居る誰もが知っている。
幸いにしてここはベトナム実習生20人が暮らす専用アパートになっていたので秘密出産をして皆で育てるのは何も問題がない。
「あの人がそれまでに来てくれるはずよ」
「もし……来なかったらどうするんだい」
「その時は協力してね、病院に行けないのは分かるでしょう」
「そんなの分かってるよ、それに皆も薄々気付いているからさあ正直に言って協力してもらうからね」
「そうね私から言うわ、もし知らない男の人が訪ねてきて追い返されたりしてはたまらないものね」
ここに来ているベトナム農業実習生は祖国で生活をしている時に今では考えられない程の貧しくて厳しい毎日を送っていたのでアンが背負った状況は苦難の道なんかには入らなかった。
鈴木四郎は最後まで現れない。
それでもアンは最初の計画通りアパートの一室で元気な女の子を産み農業実習生仲間たちの協力のもとで大切に育ててゆく。
不安な気持ちがあるとすれば農業実習は5年で修了するからここで生活している全員が帰国しなくてはいけなくなること。
グエン・チ・アンは帰国するまでの間に鈴木四郎が迎えに来てくれることを切に願っている。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
『人類の未来なんて関係ないんだから【イノマン編】』はこれで終わりとなります。
この続きは『人類の未来なんて関係ないんだから』のep1アイリーンは4歳だよ、になりますけど
その前に短編の『真昼の幽霊じゃないけれど』はアイリーンが3歳の時のお話になっていますので読んでいただけると嬉しいです。
『人類の未来なんて関係ないんだから』は今回本編と【続】と【続2】に分割しました。
続きの新しいストーリーは【続3】からになります。
今回最初から読み返しをしてあまりにもデタラメや読むに堪えない文章が数多くあり、書き直していますので少しはマシになっているかと思います。
すみませんでした。
もし、頭を抱えながら読んでくれた人がいましたら心からお詫びとお礼を申し上げます。
「ごめんなさい、ありがとうございます」
今後ともよろしくお願いいたします。




