最終部:死女の夢
そこで、私は眠りから覚めた。少しの間夢との区別がつかなくて、私は右手で顔を抑えた。冷たい空気を吸い込むと、やっと現実が戻って来る。
「クリスタベル……」
とても懐かしい夢を見ていた。私が吸血鬼となったあの時の記憶。そして最愛の友と家族を失い、夜の怪物として生きることを決めた過去の夢。
もう何百年も前の懐かしい、そしてある意味ではとても幸福だった頃の思い出だ。クリスタベルはもう亡くなってしまった。人として生き、人としての生を全うした。私は今度は夢ではなく、はっきりと現の中で思い出す。
最終部:死女の夢
あの夜の後、私はブレイシーの待つ城へとクリスタベルとともに帰り、そして故郷を失った私は彼女に望まれてレオライン卿の城へと留まった。それから私はずっとクリスタベルとともに生きた。結局ヴィルヘルムは戦争が終わっても帰って来ることはなく、彼女はそれから他の男性を愛することもなく生涯独り身だった。
あの夜から数年後には、二人で住むには広過ぎる城は売られ、私たちはこのロンドンへとは移り住んだ。そして人々や他の魔物たちから依頼を受け、この英国を跋扈する魔物や犯罪者たちと戦うこと、それが私たちの仕事となった。
それは吸血鬼となった私の力を存分に活かせる仕事であり、また目の前で何もできず、魔物に家族を奪われた私たちにとってはその償いでもあった。
同時に、その仕事を通して少しでも私たちのような不幸な目に遭う人々を減らすことができるように。それがクリスタベルの願いだった。
そしてそれは私にとっての望みもであるとともに、私が命の糧となる血を得る手段ともなった。
罪のない人間の血を啜る代わりに、私は依頼を受けて魔物や悪魔のような人間たちの血をこの身の糧とした。
人間であるクリスタベルは直接戦うことはしなかったが、彼女は依頼を集り、様々な方法で私を支援し、そして情報を提供してくれた。その日々の中で私は槍の使い方を、この世に存在する怪物たちのことを学んだ。
そしてこの仕事は、クリスタベルがいなくなった今でも続いている。
私はベッドを下り、立ち上がる。今宵のロンドンは満月だ。夜、吸血鬼の時間がやって来た。
そして夜の住人は私だけではない。この世界では、月影の下に様々な魔が出ずる。
私は立て掛けてあった槍を手に取る。かつてクリスタベルとともに仕事を始めた頃作った、青く光る柄を持ったこの槍を。
今宵の相手は同族だ。一月程前にこの町に現れた吸血鬼。名はルスヴン、私も幾度か刃を交えたことがある。私と同じく始祖と呼ばれる吸血鬼の一人。
彼は既にロンドンの若い女を何人もその手に掛けている。
私は部屋の窓を開いた。夜風が私の頬を心地よく撫でる。私は窓枠に足を掛け、遥か地面を見下ろした。そして躊躇うことなくこの身を乗り出す。
満月のロンドンに、死女が舞い降りる。
異形紹介
・ジェラルダイン
サミュエル・テイラー・コールリッジが書いた幻想詩『クリスタベル』に登場する吸血鬼、または魔女。主人公クリスタベルの前に傷付いた高貴な麗人として現れ、また自身はクリスタベルの父、レオライン卿の友人であったローランド卿の娘であると名乗る。
しかしその正体は人ならざる何かとして描写され、呪いによりクリスタベルの生命力を自身の生命力へ転換する、その言葉を支配するといった行動を見せており、また作中に登場する吟遊詩人ブレイシーには鳩を狙う蛇に例えられており、またその瞳が蛇のように変化する描写も見られる。
『クリスタベル』においてジェラルダインが吸血行為を行う描写は見られないが、前述したように生命エネルギーを吸収する力を持っており、これによって文学上に現れた最古の吸血鬼のひとつとして数えられることが多い。こういった吸血鬼は心霊的吸血鬼と呼ばれ、民間伝承中にもそういった吸血鬼の例が存在している。
『クリスタベル』は未完のまま終わっており、作中ではジェラルダインの正体が何であったか明確には触れられておらず、またクリスタベルに近付いた理由も明らかになっていない。しかし後世の文学者たちに影響を与えたことは確かで、吸血鬼小説の古典のひとつ、『吸血鬼』の作者であるポリドリの日記にはこんなことが書かれている。バイロン卿、ポリドリ、パーシー・ビッシュ・シェリー、メアリ・ゴトウィン、メアリの妹クレア・クレモントがバイロン卿の借りていた別荘、ディオダディ荘にて怪奇談義をしている時に、バイロン卿がコールリッジの『クリスタベル』を読み上げた。するとメアリが錯乱状態に陥ったという。
これは所謂「ディオダディ荘の怪奇談義」と呼ばれる一連の出来事の最中のことであり、この怪奇談義の中でバイロン卿が「皆でひとつずつ怪奇譚を書こう」と提案したことがポリドリの『吸血鬼』、そしてメアリの『フランケンシュタイン』執筆の契機となって行くのである。また『クリスタベル』におけるジェラルダインの描写は、後にレ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』に影響を与えたとも言われている。