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“勇者”

今回もひたすらダークで少々グロいです。苦手な方はご注意ください。ちなみに前編後編の二部構成の予定でしたが、エピローグを入れることになりました。話が急展開かもしれませんが、そこのところは優しく見守ってください。

「すみません」


 私は勇気を出して前を歩いている初老の男の人に声をかけた。振り向いた男の人はとても温厚そうな顔をしていて、一目で人が良いことが窺えた。


「はいはい……おや? お嬢さんはこの村の子じゃないね」

「はい。リーネから旅をしてきました」

「リーネからお嬢さん一人でかい!? まだ若いのにそんな無茶なことをしちゃいかんよ!」


 魔物にでも襲われたら大変だ、と男の人は見ず知らずの私に対して本気で心配をかけてくれた。私は思わず泣きそうになった。この十四年間で家族以外の誰かからそんな優しい言葉をかけられたことなど、私にはなかったから。


「……どうしたんだい?」

「いえ……ご心配ありがとうございます」


 この村では私のことを『悪魔の子』と知っている人はいない。そして、知らなければ私はこうして普通に人と話せる。だって私は元々普通の人とちょっと違うだけなのだ。よくリーネでは異端とか異質だとか言われたけど、少し違うだけで、それ以外は、魔力を持っている以外は全然、まったく私は普通の人と変わらないのだ。それに魔力を持っていたって、決して魔法を使って誰かを傷つけたわけでもなかったのに、本当に普通の人間のように暮らしていたのに、


 それなのに、


 それなのに、


 最初が、


 最初に、


 あの司祭に、


 アプテイア教に『悪魔の子』の烙印を押されたから!!


「……でも、お母さんとお父さんと約束をしたんで、旅をやめるわけにはいかないんです」

「そうかい……何か複雑な理由があるんだろうね」


 しかし、男の人はそれ以上詳しくは聞いてこなかった。私はそんな男の人の優しさにまた心を打たれた。でもこれ以上は駄目だ。こんなことばかりしていたら、きっと私の決意が鈍ってしまう。


「ええ、複雑で、だからこそ大切な理由です……あ、そうだ。ところで、この村の近くにアプテイア様も寄ったと言われている聖なるほこらがあると聞いたんですが」

「ああ、ありますよ。この村を出て少し西にいったところに、下位天使のミリアム様を祭ったほこらがね。そうか、そうだね。もしもまだ旅を続けるのなら、ミリアム様と創造神のエマージュ様に旅の無事を祈っていくといいよ」


 男の人はにこりと笑ってそう教えてくれた。


「もちろん――」


 ――そのつもりです


 丁寧にお礼を言った私は、段々と曇ってきた空の下、村を出て西のほこらへと向かった。


 


 


 二日後、一人の初老の男が西のほこらにお祈りに行くと、


 そこには瓦礫の山と、


 下位天使ミリアムが使うと言われている銀の竪琴が落ちていた。






      “悪魔の子”と呼ばれた十四歳処女が魔王を殺すと決意し、

 “勇者”と呼ばれた八歳の童貞が神様を殺すと決意するまでの過程を記録した、

               勇者の母親の手記。






 勇者ってなんだろう?


 まだ私が幼かった頃、お母さんが三代目の勇者についての絵本を読んでくれたことがあった。




 ――昔々、とある村が魔物に襲われるという事件が起こりました。魔物の軍団は何の前触れもなく村を襲い、そこにいた人たちを殺し、そしてありとあらゆる建物を破壊し、火を放ちました。もちろん村の人も抵抗をしました。けれど、圧倒的な力と数の多さで、村はたちまち壊滅させられそうになってしまいました。

 その村には一人の男の子がいました。男の子は村が襲われたとき、すぐさまお父さんとお母さんによって村の外に逃がされましたが、やはり両親を置いてはいけないと思い、いまだ戦渦の激しい村の内部に戻っていきました。

 自分の家まで戻った男の子は、そこで首を切られて死んでいる母親と、腰に茶色いぼろきれを纏った骸骨に、今まさに肩から腰までを切りつけられて絶命した父親を目撃しました。

 男の子は頭の中が真っ白になりました。わけがわからなくなりました。どうしてさっきまで生きていた父親が、一緒にお茶を飲んでいた母親が死ななければならなかったのだろうか。そんなことをぐるぐると考えて、足が動かなくなってしまった男の子。しかし、もちろん魔物が男の子の、人間の事情など考慮するはずもなく、父親を切り殺した骸骨の魔物はそのまま男の子にも襲い掛かりました。絶体絶命の男の子……しかし、

 骸骨に切りつけられそうになった瞬間、男の子の体がなんと淡く光り始めました。そして骸骨の剣が男の子の肌に触れる前に、剣は粉々になりました。驚いて動きを止めた骸骨に男の子が力任せに体当たりをすると、今までどれだけ大人の男たちが切りかかっても倒せなかった魔物を、いとも簡単に倒せることができました。そう、実は男の子は勇者で、淡い光は彼が神様から与えられた聖なる力だったのです。土壇場になって、男の子の秘めたる力がついに解放されたのです

 聖なる力に目覚めた勇者は、村を襲ってきた魔物を苦労しながらも全部倒しました。その後、父親と母親を含めた村中の人のお墓を一人で作って、そのお墓の前で彼は決意しました。『二度とこんな悲しい出来事が起こらないようにする』と。そして村を旅立った勇者は、世界中で様々な仲間と出会い、冒険をして、最後には聖なる力を以って魔物たちの親玉、魔王を討伐することに成功しました。そう、つまり今の世界が平和なのは勇者のおかげなのです。どんな困難にも立ち向かって、世界を平和に導いた勇者の名前はいつまでもいつまでも語り継がれていったのでした――




 めでたし。


 めでたし。


 めでたし、


 なの?


 この話を聞いた十年後、十四歳になった私は一人の勇者に出会うことになる。





 ◇◇◇





 聖なるほこらを後にした私は、とりあえず東にある温泉が有名な村を目指した。そして湯治というわけではないけれど、しばらくの間そこに滞在することを計画した。なぜなら、


「はぁ、はぁ、はぁ……じょ、冗談じゃないわ!」


 村へ向かう途中にある大きな森――通称『妖魔の森』。雨の中そこを足を引き摺りながら歩いていた私は、悔しさと己の考えの甘さに思わず歯噛みした。

 満身創痍もいいとこだった。打撲と擦過傷は全身の至る所にあり、右足は聖なる槍で撃ち抜かれ、右手にいたっては風の刃で肘から下を切り落とされた。右足は村に聖なる力――精霊力――を扱える高位の治癒術士がいれば治るだろうが、右手はおそらく無理だった。一応切り落とされた方の腕も肩から下げているバックの中に詰め込んではいたが、それをくっ付けるとなるともはや一般人では無理である。できるとすれば、特別な洗礼を受けたアプテイア教の司教以上になるけれど、あいつ等に頭を下げて怪我を治してもらうくらいなら、残っている左手を切り落とした方がマシだった。


「しかも、あれが下位天使? ふざけんじゃないわよ。ただの化け物じゃない」


 下位天使の上にはまだ中位、高位の天使が存在し、さらにその上には天使長、そして頂点には創造神のエマージュがいる。しかも、アプテイア教では司教クラスでもすでに下位天使級の精霊力を扱えるらしいのだ。たかが田舎町のたぬき司祭を殺して自惚れていた私のプライドは、先の戦いであっけなくスタズタにされてしまった。


「確かに本来魔族が使う魔法と、その魔族を倒すために使われる聖なる力とじゃ相性が悪いのは当然だけど……クソ、まさかここまで苦戦するなんて――」


 誰に言うでもない愚痴を零していると、私の血の臭いに引き寄せられたのか、突如森の木々の間から魔物が飛び出してきた。数は全部で四匹で、四匹とも大きさはざっと私の二倍くらいあった。白い毛並みにところどころに鮮血のような色の毛が混じる狼のような姿をしたその魔物は、ハンターウルフと呼ばれるこの森の狩人だった。


「――はあ……本当、儘らないわね!」


 魔力を捻り出し数十の炎弾を瞬時に作り出した私は、左手を水平に払い、それをハンターウルフへと向ける。一つが人間の頭ほどある火球の雪崩が着弾すると連続で爆発が起き、辺りの草木や地面が吹き飛び、雨が降っているにもかかわらず砂煙が舞い上がった。


「クソ、一匹当たってない!」


 舌打ちすると同時に、目の前の砂煙の中から撃ち損じたハンターウルフが口を開けて突っ込んできた。咄嗟に避けようとするが、聖なる槍で撃ち抜かれた右足に激痛が奔り避け切れなかった。そのまま私はハンターウルフの巨体に押し倒されるようにして地面の上に転がった。


「く、く、う、くぅぅぅぅぅう!!」


 なんとか左手でハンターウルフのお腹を支え、肘までしかない右手を噛み付かせて首を食い千切られるのを防いだけれど、右手はするどい牙が深々と刺さっていた。幸い痛覚はさっきから麻痺しているので傷みはないが、これ以上血液を流すと命に関わる。私はぼやけてきた視界に危機感を抱き、なんとかボーっとし始めた頭に鞭を入れて叫んだ。


「われが斬るは理不尽!! 穢れた血肉を焼き尽くすその名は――断罪の剣!!」


 お腹を支えていた左手から勢い良く噴射した炎は、ハンターウルフの皮と肉を貫いた。目の前の口から悲痛な叫び声と大量の吐血が出るが、私はかまわず左手を下腹部のほうに引き、体を引き裂いた。


「まだ……まだ私は死ぬわけにはいかないのよ!!」


 左手に炎剣を握り締めたまま立ち上がった私は、また『妖魔の森』の中を歩き始めた。とはいえ、さすがに精神力で自分自身を奮い立たせても体は限界に近かった。魔力は体力や精神力とは別物の力だけど、やはり休まず使い続ければ減っていくし、そしてなにより血液。傷口は全て魔力を使って塞いでいるけど、塞ぐ前に出ていった血はさすがに戻らない。おまけにその失血に加え、森の中にいるとはいえ一日中雨に濡れているせいで体温が自分でもはっきり感じるほど低下していた。今すぐ何か血肉になるものを食べて十分な休養を取らなければ、本当にこのまま死んでしまうかもしれない。しかし、生憎食べ物など私は携帯していないし、そもそもこんなところでゆっくりと休養を取っていてうっかり中級、上級の魔物にでも出会ってしまったら、それこそ待っているのは確実な死だった。


 目の前の森は依然として変わらぬ風景で、いつ抜けられるかわからない。


 そして、魔法を使えるといっても私自身はただの人間で、


 ここは弱肉強食のルールが支配する魔物の巣窟である。


 こんなところで食事をして、休憩なんて、


 ……


 …………


「……待ってよ」


 そうだ、


 食べ物なら……ある。


 でも、


 でも、それは人間としてやっていいことなのだろうか?


「確かに、今は悠長なことを言っている状況じゃないけど……」


 逡巡している私の目の前にまたハンターウルフが飛び出してきた。今度は一匹だけだったが、大きさがさっきの四匹の二倍はあった。おそらくさっきの奴らのリーダーか親なのだろう。私に対する敵意殺意害意が剥き出しの牙のようだった。


 敵意。


 殺意。


 害意。





 ――私たち家族を救わなかった怠惰な神様を殺そう





 ドクンッ





 ……そうだった。


 私は握っていた炎剣を消し、新たな武器を作り出す。形は斧槍、色は眩いほどの紫電。それは一昨日、下位天使ミリアム――“歌弦”のミリアム――を葬ることに成功した天使殺しの雷神槍だった。


「私はすでに人間を捨てたんだ」


 巨大なハンターウルフに向かって雷で出来たハルベルトを投擲する。光の速さで進む雷神槍は一瞬で距離を埋め、頭から胴体を貫通し、さらに勢いそのまま後ろにあった大樹にハンターウルフを縫い付けた。そして、


「よくよく見たら、焼いたら美味しそうじゃん」


 雲を貫いた青白い落雷が轟音と共に雷神槍に落ちた。周囲の木々を薙ぎ倒し、魔法障壁を通して私も少しビリッとしたけれど、砂煙や霧が収まった数十秒後――そこにはこんがり焼けた狼の丸焼きが出来上がっていた。





 ◇◇◇





 ――くちゃくちゃ


 ――くちゃくちゃ


「ちょっと臭いけど、まあまあイケる」


 さすがに雷で焼け焦げた肉は怖かったので、短剣に刺して炎で焼き直したハンターウルフの肉を食べながら私は森を歩いていた。


「ふふふ、これでいったい私は何個アプテイア教の教義を破ったのかな?」


 何か門限を破ってずっと外で遊んでいる子どものような心境だった。


 アプテイア教では魔物の肉や血を摂取することを禁止している。これはやはり性交のときのように『穢れる』という印象があるからであるが、それとは別の理由もあった。


 『魔物の肉を食べれば魔法を使えるようになる』


 一時期、それこそ百年くらい前に人間の中でそういう噂が広まったのだ。実際、この噂を信じて大勢の人が魔物の肉を食い漁った。でも結局誰一人魔法を使える者は現れず、この噂はいわゆるデマだったということがわかったのだが、それでもこの噂はなかなか消えなかった。それは偏にみんな力が欲しかったからだった。魔物から自分たちを守る力、誰かの上に立つための力、そして教会に抵抗する力。精霊力を扱えない人達はそういう自分だけの力を欲しがったのだ。

 最初は結果的に魔物を狩るということなので、教会もそこまで厳しく規制をしなかった。しかし、考えてもみれば教会、つまり聖なる力と魔法は絶対に相容れないものである。その相容れない力を手に入れようとする人たちは、長い目で見ればきっといつか教会に仇をなす存在になるに違いない。そう考えた教会の上層部は、すぐさま魔物の肉を食べること、すなわち『アプテイア教の教えや、聖なる力以外の邪悪な力』を求めることを禁止したのである。


「まあ、宗教ならどんな小さなところでもやることよね。『私たちの教えが唯一の救いで、他の教えは邪教なのです』って……というか、もうこの肉飽きちゃった」


 短剣を軽く振り、付いていた残りの肉を振り落とす。焼いたとき一応味付けとして、バックの中に入っていたぶどう酒をかけて焼いたけれど、塩気のない肉を大量に食べるのはさすがにきつかった。ただ、ハンターウルフの肉を食べて、雨水を飲んでゆっくり歩いていたら、さっきより体力が心なしか回復しているような気がした。確かに魔物の肉を食べると魔法を使える云々の話は嘘なのだろう。でも、おそらく魔物の肉は普通の家畜の肉より栄養などが豊富で滋養強壮に効き、たぶんその効果が誇張されて『魔法を使える』というデマを生んだのではないか、と私は考えた。だって事実、私の体温はだいぶ上がってきたし、視界も随分とはっきり見えるようになってきていたから。


「よし、周りもバッチリ見えるようになったし……って、もう森抜けるじゃん!」


 肉を食べるのに夢中で、木々の間から森の外が見えてきたことに私はまるっきり気づいていなかった。どうやら集中力のほうはまだ回復していないらしかった。

 短剣の柄を口で咥え、近くにあった大きめの葉を一枚左手で引き千切る。そして短剣の刃についた肉汁を拭き取ってから、腰のベルトに備え付けてあるホルダーに短剣を収めた私は、勢い良く走って森を飛び出した。聖なるほこらの近くにあった村で立ち見した地図によれば、森を抜ければすぐ近くに温泉が有名なタミアの村というのがあるらしい。ミリアムと戦った後、二日間歩き続け濡れ続けた私は、人生初の温泉に少し浮かれながら森を出て辺りを見回した。


「あれ?」


 しかし、そこに村は無かった。




 

 ◇◇◇





「ううぅ」


 大抵のことは大丈夫だと思っていた。


「ううううううぅ」


 大抵の地獄は見てきたと思っていた。


 だから私は魔物に襲われ廃墟のようになってしまった村に平然とした顔で入り、


 たまたままだ原形を留めていた家の扉を開けたのだ。


 そんなことせず、


 こんな村などとっとと通り過ぎてしまえばよかったのに……





「う、う、うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 


 ありえない。


 ありえない。


 ありえない。


 混乱のあまり普通に扉から家を出ることもできなかった私は、魔力を爆発させて壁を吹き飛ばして家を飛び出した。そこから出てどこへ行くかは決めていない。ただ、とにかくあの家から離れたくて、頭の中にあるあの家の中の惨状を早く消したくて、私はかつて村であった場所を走り回った。


「ヒドイよヒドイよヒドイよヒドイよ、こんなのってヒド過ぎるよ……ああ、駄目、思い出しちゃ、駄目だって――」


 胸から競り上がるものを抑えきれなくなった私は、その場に急停止して嘔吐した。つい数時間前に食べたハンターウルフの肉がこれでもかということくらい飛び出てきた。


 ついさっきまで元気だった思われる四人家族。


 台所には湯気が出ている鍋があり、


 テーブルにもお皿が並んでいた。


 でも、お父さんとお母さんと五歳くらいの息子は、椅子に座ったままその料理を食べることなく胸を一突きされて殺されていて、


 あと、一人、


 娘さんは、


 私と同じくらいの歳の娘さんは、


 お皿が並んでいたテーブルの上で仰向けに倒れていた娘さんは、





 ――――下腹部からドロリとした液体を、




「クソやろおおおおおおおおお!!」


 我慢できなくなった私は、口も拭わずただ雨の下で怒鳴り散らした。


「あの家族を殺した、娘さんを犯した奴は今すぐここに出て来い! 誰であろうとどんな理由があろうと今すぐここで殺してやる! 絶対だ、絶対に私は許さない! 四肢を焼き切って、五臓を踏み潰し、六腑を握り潰してやる! それだけじゃ足りない。魔物だろうが魔族だろうが人間だろうが天使だろうが神様だろうが、全部全部、お前に関係ある奴は全部私が殺す! 殺して、殺して、殺して、とにかく殺して、彼女たちの怒りと私の怒りをその存在に刻み込んでやる!」


 そのとき、少し遠くで音が聞こえた。音の方向を振り返ると、そこには白いレンガでできた尖塔が建っており、その辺りから黒い煙が立ち昇っていた。


「くそっ……ていうか、私は馬鹿か!」


 ついさっきまで元気だったと思われる四人家族。


 台所には湯気が出ている鍋があり、


 テーブルにもお皿が並んでいた。


 それなら、


 それなら、他にもまだ生き残りがいるかもしれないし、


 


「おそらく、まだ……いる!」




 左手に怒りの奔流と魔力を集めて紫電の槌、ウォーハンマーを作る。『悪魔の子』と呼ばれた私が、神様を殺そうと考えている私が人助けだとか、正義の味方の真似事をするのは甚だおかしい話なのかもしれない。本来はそんなことは神様や天使に祝福された『勇者』がやることで、私みたいな奴は逆に迫害されて、討伐される立場の存在なのかもしれない。でも、たとえそれがこの世の理、摂理であったとしても、糞みたいな怠惰な神様が何もしないのなら、それは、それは、


「私が救うしかないじゃない!」


 私は怪我をしている右足を無視して白い尖塔――アプテイア教会――に向かって走り出した。


 そのときどこかに、ドンッ、と雷が落ちた。




 ◇◇◇




 現場に到着した私はただただ驚愕していた。




 泣いていた。


 一人の男の子が泣いていた。


 七歳か八歳くらい男の子が教会の前の広場で一人で泣いていた。


 周りに数十、数百という魔物の死骸を引き連れて。


「う、そ……」


 でも、そこじゃない。私が驚いていたのは少年のその出鱈目な強さにではなかった。


「ゆ、勇者だ……」


 遠目からでもわかった。というか、わからなければおかしい。だって一般的に精霊力は目に見えないものだし、たとえ高濃度高純度で見えたとしても、それは一昨日戦った“歌弦”のミリアムが纏っていた物のように薄い乳白色であるのが基本である。だけど泣いている男の子が体中から垂れ流しにしている精霊力の色は、神聖で、何者にも不可侵な――


 ――金色


 あんな絵本や神話くらいでしか聞いたことのない金色に光る精霊力――創造神から祝福を受けた精霊力――を、体から溢れ出させることができるのは、人間では勇者でしかありえない。


「……」


 左手に魔物を焼き潰すために作った紫電の槌を握り締めながら、私は考えた。そもそも勇者という存在は、アプテイア教の聖典によれば、魔王が生まれたときにしか生まれないはずだ。つまりここに勇者が生まれたということは、言い換えれば、魔族の間に新しい魔王が現れたということになる。

 前回の魔王が倒されてからおよそ四百年。まさか自分が生きているうちに魔王が生まれ、そして勇者に出会えるとは思わなかった。まさにこれが神の思し召しという奴なのだろうか。


 そうだとしたら私はもう笑うしかない。


「……たぶん、今なら殺せる」


 私は武器の形状を変化させて天使殺しの斧槍を作り上げる。全力の雷神槍は下位天使にも通じたのだ。たとえ勇者だとしても成ったばかりで、しかもあの神々しさが逆に禍々しく見える精霊力が収まったところを光速の速さで不意打てば、おそらく一撃で殺すことができる。

 ただ、物理的な可能不可能の話は別として、今の私にあの男の子を殺せるだろうか。確かに私は神様を殺すことを決意した。その神様の御使いである天使も殺すことを決めたし、その神様たちを信仰して私たちに『悪魔の子』という烙印を押したアプテイア教の奴らにも報いを与えることにした。そして『勇者』。こうやって出会うことを想定していなかったから今まで考えてこなかったけれど、少し考えれば『勇者』こそ私が殺さなければいけない人物だということはわかる。


 神様に選ばれ、神様に祝福された者。


 神様の手先、神の威光の代行者。


 つまりそれは、私の敵。


 しかし、そうは言ってもまだ彼は今この瞬間に『勇者』になったばかりの子どもである。そしてすでにこれほどの地獄を味わっている彼を、私の個人的な恨みで殺してしまうことは果たして正しいことなのだろうか。


「お母さん……お父さん……アンジェリカはどちらを選べばいいでしょうか」


 私が迷っていると、少年の周りから段々と金色の精霊力が消えていった。おそらく留めることもせず垂れ流しにしてしまったせいで減ってしまった精霊力を、これ以上無くさないように体が自動的に制御したのだろう。金色の衣を失った『勇者』は、今や泣きじゃくる普通の少年になっていた。

 これ以上ないチャンスだった。今すぐ左手に持っている斧槍を少年に向かって投げれば、それだけで私は神様に一泡吹かせてやることができるのだ。ここで見逃して勇者が大人になれば、私が勝てる見込みはものすごく低くなるし、その勇者が魔王を倒してしまえば、それこそ神様の思う壺だ。


 殺せ。


 『勇者』を殺せ!


「ははは、迷うことなんてないよね……お母さん」


 




――どうして、どうして生まれてきたばかりの赤子を、お腹を痛めて産んだばかりの我が子を、何が起きるかもわからない将来のために殺めなければいけないのでしょうか。






「ふぅ……」


 力を抜くと斧槍は雲散霧消した。私は自分でそれをしっかりと確認した後、ゆっくりと歩いて勇者に近付いていった。




 ◇◇◇




「へい、そこの良い男」


 私は雨の中一人でメソメソと泣いている『勇者』に声をかけた。


「いつまでも泣いてるんじゃない。泣いて世界が変わるなら二年前に私の涙が世界を変えてるわ」


 声をかけるとずっと虚空を見て泣いていた少年が私の方を見た。大きくて茶色い綺麗な目や白くて柔らかそうな頬を見ると、こんな状況でもなければきっと抱きしめたくなるほど可愛いのだろうが、今のこの有様ではただひたすら可哀想でしかなかった。


「たぶん生き残りはキミだけなんだろうね。まだ小さいのに家族とか友達を失ったことはすごく辛いことだと思う。でも、私も十四歳処女ですでに両親と右手を失ってるけど、それでも頑張って世の中に喧嘩売りながら生きてるわ。だから、キミもいつまでも泣いていないで残された命をどう使うのかを考えなさい」

「――――っ」


 私の薄っぺらい励ましの言葉に対しての返事なのか、少年は口を少し動かした。しかし、声が小さいのと雨の降る音でいまいち良く聞こえなかった。元々私は『悪魔の子』と呼ばれて迫害されていたので人と意思疎通をするのが苦手で、特に自分より年下の子と話したことが一度も無かった。なので、こういう場合はどうすればよいのかということが良くわからなかった。私は少し悩んだ挙句、お母さんが私の話を聞いてくれていたときしてくれたように、少し屈んで自分の顔を少年の顔の高さに合わせてから、「ごめん、もう一度言って」とできるだけ優しく声を出した。


「捨てられちゃったの」


 今度も辛うじだったけれど、なんとか少年の言った言葉が聞こえた。しかし、聞こえたからといって、それになんと答えたらいいのか、未熟な私にはわからなかった。


 捨てられた。


 捨てられた、だって?


 私には俄かには信じられなかった。いくら急に村が魔物の軍団に攻められたからといって、我が子を、こんなに小さな子どもを一人残して自分たちだけ逃げようとするか。それは、それは人間として一番恥ずべき行動で、最も醜い行動ではないか。信じられない、信じられない、信じられない。そんな父親と母親がこの世に存在するのが私には信じられない。だって私のお母さんは自ら戦いに挑んでいく勇敢な人だったし、お父さんは家族を想って笑って死ねる偉大な人だったから。そんな両親がいたからこそ、私は辛くても生きてこられたのだ。


 でもこの子は、この少年は……


「ごめんね。頑張れとか、私、酷いこと言ったかも」


 私は目の前にある少年の頭を左手一本で抱きしめた。


 可哀想な少年。


 両親に捨てられた『勇者』。


 彼は、彼はあまりにも無さ過ぎた。


 大切なものも、


 生きるための目標も、


 想いも、


「もしも……もしも、なんだけどさ」


 この少年を、『勇者』をどうこうする気はすっかり失せていた。ただ、この子のために何かをしてあげたい。自然と私はそう思っていた。




「キミがよかったら一緒に旅する? 私がお母さんになってあげるよ?」


 


 これが私が『勇者』の母親になった理由だった。


























 ――違うんだよ、お姉ちゃん


「え?」


 抱きしめていた腕の中から顔を出した少年――後に『レン』という名前を教えてもらう――は、未だ泣き止まず、大きな瞳を私に向けて、こう、言った。






「僕の、僕のお父さんとお母さん『を』捨てられちゃったの――」






 神様に……





どうでしょうか、つまらなかったでしょう、気持ち悪かったでしょうか。ごめんなさい、ホント自分の文才のなさ(ファンタジーに限らず)には涙が出ます。それでも最後まで読み進めてくれた方はどうもありがとうございました。エピローグを後で付けますので、よろしければそちらもご覧頂けると嬉しいです。感想等はいつでも大歓迎なので、どうぞよろしくお願いします。


ではでは。

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