第35話 呼び声の始端
ミスリードは、大好物www
沈黙はまだ部屋に残っていた。
ソウイチは俯いたまま、拳を握ったり開いたりしている。
その指先に、決意と迷いが同居していた。
ユウヒは視線を落とし、深く息を吐いた。
ソウイチを出さないように、どう説得すればいいか。
案が浮かんでは、却下される想像をして、軽く首を振りながら思案する。
その時、何か胸騒ぎのような違和感を覚えて、ふと視線を上げた。
何が起こっているかはわからない。
けれど、遠くで誰かが囁いているような、言葉にはならない、声?
「……呼んでる」
呟いたのはソウイチだった。
ホウジュンもユウヒも、反射的に彼を見る。
二人の視線が同時に注がれれば、普段のソウイチなら慌てふためきそうなものだが、
彼はただ、虚ろな目で、遠く――何かを見ているようだった。
「ソウイチ!おい!意識を戻せ!!」
ホウジュンが肩を揺さぶり、呼びかけると、ソウイチはハッと我に返り、頭を振った。
詰めていたかのように、息を吐き出し、心なしかそれは荒い。
低く、甘く、残酷な響き。
それは風のように細く、けれど確実に耳を撫でていく。
普通なら、気づけない。
ソウイチが反応した。ホウジュンは反応していない。
彼らの違いは明白だった。そして、ユウヒは何かに思い当たった。
あれが聞こえるのは、おそらくファルシラ・オブリシカに足を踏み入れたことがあるもの。
そして、その呼びかけに応えれば――戻れない。
「……ホウジュン、シンを止めろ」
「は?」
「今すぐだ!」
理由は言わない。いや、言えなかった。
そうしてそう思ったのか、ユウヒですら、理解していなかった。
ただ、胸騒ぎだけがユウヒを突き動かす。
幻聴じゃない。
これは――招き。
一番引っ張られそうなソウイチはここにいる。なら、今一番危ういのはシンだと、直感的にそう思った。
ホウジュンはユウヒを一瞥し、次の瞬間には身を翻していた。
ユウヒはすぐにソウイチへ向き直る。
「お前はここから出るな!」
短く、鋭く。
ソウイチは驚いたように目を瞬かせ、そして何度も頷いた。
その頷きに、わずかな不安が滲んでいた。
「何が起こってるか見てくる。もう一度言う。お前はここから出るな。
呼びかけにも、耳を貸すな。わかったな!」
ソウイチの返事を待たず、ユウヒもまた部屋を駆け出して行った。
シンはホウジュンに任せてある。なら、自分はリッカを探そう。
他にも、ソウイチに次いで、ファルシラへの滞在時間が長い者たちが狙われそうだ。
「やってくれる…!」
苦々しく声を吐き出したユウヒは、セントリウム内を駆け出して行った。
――
セントリウム内は、ざわめき始めていた。
だがそれは、声の大きさではなく、空気の密度だった。
足音がやけに多い。
普段なら静かなこの廊下が、今だけ人の行き来で薄くざらついているように感じる。
人とすれ違い度に、短く押し殺した声が漏れる。
「……突然消えただと?」
「何が起きてる…?」
「いなくなったやつは誰だ?」
不確かな情報が耳に刺さるたび、胸の奥に沈んでいた焦燥がさらに膨れ上がる。
状況を把握するために、ユウヒは走った。
だが、方向も場所もまとまらないまま、とにかく気配が集まっている場所を求めて廊下を曲がる。
「ホウジュン!」
目端に捉えた彼に声を張り呼びかける。
彼もそれに気づいたように、手をあげて応えた。
傍らには、シンの姿もあり、ユウヒは無意識に詰めていた息を吐いた。
「シンはいたか。リッカは?」
「無事だ。他のやつらと一緒にいたから任せた」
胸の奥が、ほんの少しだけ息をついたが、すぐに周囲のざわつきに意識が引き戻される。
状況がわかっていないシンは、どうしたらいいか狼狽えているようだったが、それに気づけるほどユウヒには余裕がなかった。
懸念していた二人はいる。
けれど、先ほどから聞こえる声を元に考えれば、失踪者がいるようだ。
考えていたターゲット層との違いに、ユウヒは一人、思考に沈む。
セントリウム全体が、何かに侵食されていく前兆のように、静かで、重くて、落ち着かない。
何かを誤魔化されているような、偽られているような、そんな曖昧さが思考を覆っている。
(内部か……いや、そんなはずは……)
(だけど…なら、どうやって…)
(繋がらない。途切れてる…カギはどこだ?)
完全に停止してしまっているユウヒは、ブツブツと音はなく、口を動かしていた。
何か嫌な予感を感じたホウジュンは、ユウヒの肩を若干力を込めて握る。
「どうする?」
「ああ、そうか…とりあえず、シン。お前は他のやつらと一緒にいろ。いなくなるなよ?」
「え、あ…はい」
わからないながらも頷くシンは、彼らの手を離れ、見知っている仲間のほうへと駆け出した。
予想違うことが起きている混乱を乗り切ろうと、ユウヒは上を向いて、大きく息を吐く。
新鮮な空気は思考を晴らせていき、断片的に聞こえていた周りの声も情報として入ってくるようになった。
そして、ある言葉に、気づく。
「呼んでるって、呟いてた」
「呼ばれたって、突然言い出して…」
「何か持っていたんだ。で、呼んでるからって…」
消えた者たちは、何かが呼んでいると、そう言っていたという。
その単語は、先ほど……ソウイチの口から出ていた。
繋がった最悪の事態に気づき、ユウヒは踵返した。
全てがうまくいかない。
間違ったほう、間違ったほうに、誘導されている気分だった。
廊下を走り抜け、コンシリウムの扉を押し開ける。
そこにあるはずの影が、なかった。
「……嘘だろ」
ユウヒの様子に気づき、追いかけてきたホウジュンが、低く呟く。
先ほどまでいた、ここを出るなと念を押した彼が、いなかった。
耳の奥で、あの声がまだ響いている感じがする。
――呼んでる。
遠くで、甘く、残酷に。
次回更新予定は5/8です。




