第八話:鴨肉のロースト
今晩は何を食べられるのか。
期待のこもった目でエルが私を見る。
「鴨肉のローストにしましょう。市場でオレンジとチェリーを手に入れてあるから、オレンジソースを作り、タルト作りで残ったチェリーを添えようと思うの。あとは鴨肉のコンフィの下準備をして、骨やガラを使い、鴨肉のスープも用意するわ」
鴨なんてそんなに大きくないし、すぐに食べ切る……と最初は思っていた。だがそんなことはない! 一羽の鴨で、二人分の食事、三〜四回分をまかなえるのだ。
「鴨肉のロースト……! いいと思います。手伝いますよ、お嬢様!」
ということで洗濯物をエルと一緒に取り込み、それを畳むと早速料理作りがスタートになった。
ここで羽根を抜き、皮をはぎ、各部位にスライスしていくという、ジビエならではの作業がある。しかしそこはエルがやってくれるので、大いに助かる。
エルが作業している間にサラダを用意だ。ベビーリーフ、ルッコラ、砕いたクルミを、バルサミコ酢とオリーブオイルと一緒にかき混ぜ、味付けは塩・胡椒とシンプルにする。
「お嬢様、用意できました!」
「ありがとう、エル! 助かるわ」
作業が終わったエルには入浴してもらう。その間に鴨肉の下準備を進める。
まず鍋には骨やガラとたっぷりの水をいれ、火に掛ける。このスープを使い、ソースを作ったり、リゾットにするのだ。次にローストで使う胸肉は、切り込みをいれ、塩・胡椒。フライパンを熱し、皮の方を下にして、焼き始める。様子を見つつ、もも肉に塩・胡椒・タイムをすりこむ。これは鴨肉のコンフィの下準備だ。胸肉は皮がパリッとしてきたので、裏返す。皮目より短い焼き時間を経て、あとは煉瓦製オーブンで焼き上げる。
オーブンに胸肉を入れたところで、エルが戻ってきた。
「鴨肉のコンフィの下準備が終わったの。氷室へ運んでくれるかしら?」
「お任せください!」
エルが厨房を出ると、オレンジソースを作るため、オレンジの皮を剥き、果汁を絞る。先程、胸肉を焼いたフライパンの脂を軽く拭き取り、赤ワインビネガーと蜂蜜を加え、加熱。搾りたてのオレンジ果汁を足し、風味をつけるためのシナモンとクローブを加え、中火で煮込む。
「爽やかな香りですね。オレンジソースですか!?」
「ええ。間もなく完成になるから、パンを焼いてもらっていい?」
「かしこまりました!」
フライパンに、いい感じで煮込まれている鴨肉のスープを加えて行く。よくかき混ぜながら、さらに煮詰める。隣ではエルがフライパンを器用に使い、今朝焼いたパンをスライスし、焼き目をつけている。
「鴨肉の焼けるいい香りと、このオレンジの香りがあいますね」
「さらにパンのいい匂いも漂って、お腹が空いて来たわ……」
「チェリータルトをいただいたのですが、もうお腹が空いています……」
何だかんだでチェリータルトを食べてから時間が経っている。その間に日没を迎え、ランプも灯すような時間になっている。お腹が空いても当然。
「そろそろオーブンから取り出すわ」
「自分がやります!」
オーブンから取り出すと、もう美味しそうな匂いで厨房が満たされる。
遂に鴨肉のローストが焼きあがった。
お皿には、先に作っておいたサラダとチェリーを飾る。そこへスライスした鴨肉のローストを並べれば完成だ。
本来、貴族の食卓では給仕がいるので、塊肉の状態でバーンと出される。その上で目の前でスライスしてくれるのだが、ここに給仕はいないのだ。食べやすいように切り分けて提供となった。
ということでテーブルに鴨肉のローストが載ったお皿とパン、レッドカラントのジュースが揃うと、ディナー開始。
「お嬢様、見た目も鮮やかで大変美味しそうです……!」
「サラダのグリーン、チェリーと鴨肉の赤、オレンジソースと彩がいいわよね」
スマホがあれば写真をとり、SNSに投稿したくなる映えメニューだった。
「公爵邸を出て、こんなに本格的な料理をいただけるとは思いませんでした。しかもこれをお嬢様が作ったのかと思うと……」
エルの瞳が感動でうるうるしている。
その姿は、ご馳走を前に大喜びのワンコに見え、よしよしと頭を撫でたくなってしまう。
「味がどうかは実際に食べてみないと」
「そうですね。では……」
「「いただきます……!」」
ワンプレートで提供してしまったが、ここは前菜感覚で、先にサラダから食べる。が、やはり肉!
ほぼ二人同時で鴨肉のローストを口に運び、唸ることになる。
「鴨肉のローストの旨味と、さっぱりしたオレンジソースが、やはり合いますね!」
「ええ。濃厚な鴨肉の味と酸味が絶妙なバランスだわ! これならペロリといただけるわね」
口の中に残る後味で、パンも進む。
パクパクと食べ進めながら、エルが尋ねる。
「王都では牛肉、豚肉、ラム肉が多く、鴨はたまに召し上がる感じでしたよね。ですが昨晩のパテといい、今日のローストといい、お嬢様は鴨肉を知りつくしているように思います。レシピ本をご覧になったのだと思いますが、それにしてもすごいです!」
「ありがとう、エル。どうやら私は食いしん坊が興じて、料理にも開眼したみたいね」
今回もしれっと作ってしまったので、エルは驚きを隠せない。
確かにジビエに分類される鴨肉は、王都では牛肉などに比べると食べる頻度が低い。
鴨は都市部で養殖もされていたが、日常的に食べるものではなかった。メインの肉料理は、安定供給される牛肉、豚肉、ラム肉のいずれかだ。だがいつもの肉料理にアクセントを加えるため、鴨肉はオードブルでの登場が多かった。ゆえに鴨肉をメインにこうやって料理を作れるのが、エルからすると不思議でならないのだろう。私が狩猟をするわけでもないので、なおさらだ。
前世では一人暮らしのため、料理はしていた。鴨肉はスーパーで割引販売されているのを見て、食べ方を調べたのがきっかけで詳しくなっていたのだ。
しかし公爵家の令嬢に、しかも悪役令嬢に転生し、こんな風に料理をすることになるとは思わなかった。
「エル、デザートだけど」
そこで私はハッとする。
この屋敷には表と裏口があり、そこに簡易な関知魔法をかけていた。自分以外の魔法を感知すると、反応する魔法だった。
「誰かが表と裏口で、魔法を行使したわ!」
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次話は18時頃公開予定です~