第七十一話:終わり
「お嬢様、ピア!」
マリーナで私達を待ち受けていたエルは、今にも泣き出しそうな顔でヨットから降りた私達の方へと駆け寄った。
「エルお兄さ~ん!」
ピアが抱きつき、エルは「ご無事で何よりです」と泣き笑いだ。
その様子を眺めた後、後ろを振り返る。
「クルスさん、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。危険を顧みず、僕を助けようしてくれたこと。とても感謝しているよ」
「そんな……! 私とピアを守るため、海へ落ちることになったのです。あの時、私が冷静に行動し、ちゃんと扉を閉めていれば……。クルスさんが海に落ちることはなかったはず。そもそもはわ――」
クルスはさっきと同じように、優しく私の唇に触れた。その指に冷たさはなく、温もりが感じられる。
「君の純粋なところは、見ていて本当に好ましく感じる。あのまま船内にいたら、やがて雨風は収まっただろう。その後は転移魔法なり、風の魔法を使い、マリーナへ戻ること……君なら出来たはずだ。でも君は僕を助けに来てくれた。自分のことよりもつい他者のことを考えてしまうところ。不器用だけど、君らしいと思う。……心惹かれてしまうな、自然に」
「クルスさん……」
「君が指摘した通り、僕は特級魔法の使い手だ。天候を操る……それは……見れば分かったよね。雨風を静め、海を落ち着かせた。でもそれが僕の魔法によるということは……秘密にして欲しい。君と僕だけの秘密にね。それさえ守ってくれれば、十分。君からの御礼として受け止める」
アルシャイン国には特級魔法の使い手がいると、エルと話していた。
まさかその本人に会えるなんて。
しかもその彼から助けられるなんて……。
「クルスさんの秘密。それは守ります。でもこれは助けていただいたので、当然のことだと思います。御礼はちゃんと別にさせてください!」
「君は律儀だね……。そうか。そうだな」
そこで考え込んだクルスは、すっかり乾いたシルバーブロンドをサラリと揺らし、透明感のある碧い瞳を輝かせる。
「御礼のキスでもしてもらおうかな。ここに」
クルスが自身の指で触れたのは……。自分の左頬!
「な……そんな、ほ、頬へのキスなんかが、御礼になるのですか!?」
もうビックリで尋ねると、クルスは実に秀麗なウィンクをしてみせる。それは「勿論それでOK」ということなのだろう。
チラッとエルとピアの様子を見た。
ピアは突然の雷雨の件を、エルに話して聞かせている。二人とも話に夢中なようで、こちらのことは気にしていないと思う。
頬へのキスで十分だなんて。
謙虚過ぎると思う。
そこでデジャヴを覚える。
私に「大丈夫。きっとまた会える。……そうだな。次に再会できたら御礼のキスでもしてもらおうかな。ほっぺに『ちゅっ』ってさ!」と言っていたのは……。
「!」
ふわりと腰を抱き寄せられ、クルスの顔が近づく。
盛大に心臓が反応し、彼の形のいい唇に目が行ってしまうが、そうではない!
その頬にそっと唇で触れると……。
「ありがとう。フェリスさん」
その声はクルスであり、クルスではなく、脳裏に浮かぶのは……。
まさかと思った時、風が吹いた。
一瞬、目を閉じ、開けると――。
クルスの姿が消えている。
転移魔法を使ったのだと思うが、一体どこへ!?
「お嬢様」「フェリスお姉さん!」
エルとピアが私のそばに駆け寄り「クルスさんは?」と尋ねるが……。
その姿が再び現れることはなかった。
◇
「お嬢様、夏の間はしばらく南部に滞在するのですよね?」
「そうね。これまでは一日で移動していたけど、これからはもう少しのんびりでもいいかもしれないわ。それに冷やし中華もいいのだけど、冷やしラーメンにも挑戦したいと思うの」
「冷やしラーメン。冷やし中華とは何が違うのですか?」
サン・マリーナの町を出発し、御者席でエルと私はいつも通り、おしゃべりに興じる。
「冷やしラーメンは冷たいスープに麺を入れて提供するの。トッピングは冷やし中華と同じではなく、つけ麵と同じよ。煮卵とチャーシューとスキャリオンでいいわ。スープはあっさりで、冷やしても風味が失われないものを作り出す必要があるわね」
「なるほど。話を聞いていると食べたくなります。ぜひ挑戦してみましょう、お嬢様!」
笑顔のエルは気合十分、やる気満々だった。
町を出ることになり、最後の最後でクルスに会えるかと思ったが、それはない。そしてクルスがエディを彷彿させる言葉を口にしたこと。
それが何を意味するのか。
クルスとエディは共に魔法を使えた。
エディは私設騎士団の騎士をあっさり魔法で気絶させている。転移魔法も惜しみなく使っていた。そのレベルは上級魔法の域を超えていたと思う。そしてクルスは天候さえコントロールできる特級魔法の使い手。
アルシャイン国がいくら人口が多く、人材に恵まれていたとしても。特級魔法の使い手が何人もいるわけがない。さらに快活とした雰囲気は、二人ともとても似ていた。涙袋はメイクでぷっくり見せることができる。そしてつけぼくろも存在しているのだ。
「大丈夫。きっとまた会える」とエディは言っていて「次に再会できたら御礼のキスでもしてもらおうかな」と言っていたが……。それは一応叶った……と言っていいのだろうか。
もう会えないのかな。
クルスにもエディにも。
「お嬢様」
「あ、ごめんなさい、エル。ちょっとボーッとしちゃった」
「大丈夫ですよ。自分とピアはちゃんとお嬢様のそばにいますから」
「……!」
エルは不思議と私の不安に敏感。
先回りして、欲しい言葉を掛けてくれる気がする。
「まだ旅は始まったばかり、ですよね、お嬢様?」
「そうね。少なくとも二~三年はこの国をウロウロすることになるわ」
「ピアも独り立ちはまだまだ無理です。しっかりしていても、まだ社交界デビューするような年齢でもないですから。自分とお嬢様とで守らないと」
それはまさにその通り。ピアはしっかり者だし、やれば何でもできてしまう。
でもだからこそ、一人にしてはダメだ。
そんなことしたら絶対に無理をしてしまう。
「これから先、まだまだいろいろな出会いもあるはずです。笑顔で行きましょう、お嬢様」
「そうね。ありがとう、エル!」
夏空は明るく澄み渡り、鳥の鳴き声が軽やかに響く。
婚約破棄され、断罪で国外追放された元悪役令嬢は――屋台でラーメン屋して旅を続ける。
その物語の結末は……絶対にハッピーエンドにしてみせる!そう心に強く誓った。
お読みいただき、ありがとうございます!
これにて第一部は終わりですが
クルスとエディの件、冷やしラーメンの件。
第二部でじわじわ明かしていきます!
今回いつもの時間に読める作品を目指し
毎日同じ時間で三話更新を続けました。
(先日の土日だけ更新時間を調整させていただきました。あとぼーっとして18時11分更新になった回が一度あり、それは本当にごめんなさい!)
でもここでさらに多くの読者様を増やしたいので一旦第一部完結とさせていただけないでしょうか。
既に最終話まで執筆できているので、第二部連載再開は6月26日(木)の朝と決めています。
そして今日の18時頃からは、以下作品の番外編を毎日更新します。もし併読されている読者様がいたら、こちらを読みつつ、本作の第二部スタートをお待ちいただけると嬉しいです。
【書籍化決定】断罪終了後に悪役令嬢だったと気付きました!詰んだ後から始まる大逆転
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初の書籍化の作業が2作品同時進行ですが、普通に仕事もあるし、本当に一日二十四時間では足りない!それでも読者様に作品を届けたいと、投稿を止めずに頑張っています。引き続き、ブックマーク・リアクション・感想・評価などで応援いただけると本当に嬉しいです。よろしくお願いいたします☆彡