第六十八話:まさか自分だけが……
「うわ~、すご~い!」
ピアが喜びの声をあげ、私もテンションが高くなっている。
ピアも私も初めて乗るヨットだったが、どうやら船酔いとは無縁でいけそうだ。むしろ……風を受けて爽快に進むヨットはとっても気持ちがいい!
初めてのヨットとは思えない程、楽しくて仕方なかった。
この時代のヨットにエンジンなどなく、操作は帆に受ける風で行うセーリングなのだけど、クルスはそのセンスが抜群のようだ。つまり、とても上手!
海面を滑るように進むヨットに乗っていると、なんだか空を飛んでいるような錯覚を受ける。
ということでピアと私はテンションあげあげだったがエルは……。
「エルさんは船酔いだね。よかったらこのミントキャンディを。乗馬が得意だと、船酔いはしにくいとは言われているけど……。こればかりはその日の体調もある。辛そうだから、一旦マリーナに戻ろうか」
クルスに提案されたエルは、残念そうに呟く。
「お嬢さま、ピア、申し訳ないです……。お二人はこんなにも元気なのに、まさか自分だけがこんなに酔うとは……」
「仕方ないわ。クルスさんもその日の体調もあると言っているじゃない。気にしないで、エル」
ヨット遊びはこれでお終いと思ったが、エルは懸命にこう言う。
「お嬢様とピアは、そのままサンセットを楽しんで下さい。自分は休憩しています」
「そんな。エルを置いてなんていけないわ」
「いえ、自分はしばらく使い物にならないです。食欲もありません。ですから自分のことは気にせず、楽しんで下さい。ヨットに乗る機会なんて、そうはないでしょうから」
エルは無念そうにしながらも、ピアと私を気遣ってくれたのだ。
ただ確かに私達の知り合いでヨットを持っているのは、今のところこのクルスだけだった。つまり次にいつヨットに乗れるかというと……。
ここはせっかくなので、お言葉に甘えることになった。
「エルお兄さん、お大事にね」
「大丈夫ですよ、ピア。病気ではないので」
「エルさん、そこの売店ではペパーミントティーを販売しているよ。船酔いにはペパーミントがいいので、ぜひ飲んでみるといい」
「……クルスさん……! ありがとうございます。その、お嬢様とピアを頼みます!」
「お任せください」
エルを陸へ戻し、再び海へ出ると……。
「フェリスお姉さん、見て。あれは何!? 大きな魚!?」
「あれはイルカよ、ピア。聞いたことある? 神話にも登場しているわよ」
「知っている! あれがイルカなんだ! 可愛い~。ヨットと一緒に泳いでいるよ!」
興奮するピアに、クルスは優しく教えてくれる。
「イルカは早朝と夕方に活発に動く。今は夏で、完全な日没の時間は遅い。それでも夕方に向かっていることは、海水温の変化や光の強弱で分かるのだろうね。海も穏やかだから、こうやって遊んでくれる」
「え、イルカがこのヨットで遊んでいるの!?」
「イルカはそんな気持ちなんじゃないかな」
これにはピアは大喜びになり、「イルカさ~ん!」と元気よく声を上げている。
こうしてしばらくイルカとの並走を楽しむと、一旦ヨットを止め、そこでクルスは大きなバスケットを取り出した。
布をとるとそこには美味しそうなサンドイッチ、フィンガーフード、果物が入っている! 飲み物の入った瓶もあり、それは一人一本ずつで、ジンジャーエールだという。
「僕が作ったわけではないよ。こうやってヨットでサンセットを楽しむ人は、結構いる。だから船上で楽しめるよう、こういうテイクアウト料理が売っているんだ。これを食べながら、サンセットを待とうか。といってもピアちゃんは子供だから、寝る時間が決まっているだろう? 完全な日没にならなくても、雰囲気は十分楽しめる。それまではここでのんびり過ごそう」
これにはピアと二人で万歳だった。
「クルスお兄さん、食べていい?」
「もちろんだよ。フェリスさんもどうぞ」
「ありがとうございます!」
今頃エルはマリーナの売店のベンチでグロッキーな状態だと思う。それを思うと申し訳ないし、可哀そうだが、せっかくなのだ。ここは楽しく過ごさせてもらおうと、バスケットに手を伸ばす。
「わあ。美味しい!」
「本当。さっぱりしているわね」
ピアと二人、絶賛してしまうのは、サンドイッチ!
いろいろな種類を楽しめるように、一口サイズになっている点も嬉しいポイント。
レモングリルチキンサンドはさっぱりして夏らしい味わい。モッツァレラとトマトのサンドはバジルとオリーブと塩胡椒でまさにカプレーゼ風! キューカンバーサンドもシャキシャキキュウリとバターがよくあいパクパク食べられる。
「セロリのピクルス美味しい~」
「ピアはセロリが大丈夫なのね。苦手な子供も多いのに」
「ピアは野菜は何でも食べられるよ~!」
フィンガーフードのピクルス、スモークサーモンのチーズ包み、イチジクの生ハム巻き。
こちらも大変美味しい。
「クルスお兄さん、絞って!」
「ピア、洋服が汚れるからそれはなし。かして。私がむくから!」
フルーツはオレンジ、ピーチ、ぶどうとこちらも新鮮でどれも甘く、みずみずしい。
用意されていた料理は三人で綺麗に平らげることになった。
「エルも食べられたら良かったのに」
思わず私がポツリと呟くと、ピアも「今頃、エルお兄さん、大丈夫かな」としょんぼりしてしまう。
この様子を見たクルスは「君達は本当に仲がいいんだね。だから親子に見られるのでは?」と指摘する。これには「そうかもしれない」と思ってしまう。
エルもピアも。
私にとっては家族も同然の存在になっている。それなのに。エルを置いて、ヨットでディナーを楽しんでいたからなのか?
思いがけない出来事に遭遇することになったのだ。
お読みいただきありがとうございます!
次話は18時頃公開予定です~