94 “サタニック・オルガン”
王都カーランの北区は、全国に繋がる主要幹線道路の起点となる、国道1号線のスタート地点である。
北区からまず国道は東西に延びて、そして放射状に全国から大陸に向けて広がって行く事から、この国道1号線はパルナバッシュの大動脈とも言える。
そのため、この地には様々な物流会社が基点を作って運送網を確立しているのだが、このマヌエルルーチョ運送も馬車の時代から運送業を営む老舗として、この国道の起点にある大きな物流街の一角に立派な社屋を構えていた。
太陽が西の地平線に隠れ、早々と夜が始まる冬の夕暮れ時。マヌエルルーチョ運送で業務を終えた社員が、次々とコートの襟を立てながら通用門から家路に向かって行く。
輸送用のトラックは社屋の隣にある大きな車庫に全て収まっており、明日朝からの業務に向けて、今はもう寝静まっていた。
レンガ造りの二階建て社屋、それまでは夕暮れに合わせて事務所内の電気を煌々と付けていた社屋も、その部屋その部屋がポンポンと暗転して行く。事務員やホワイトカラーの社員たちも業務終了。守衛室と役員室らしき二階の部屋にかろうじて灯りが残る程度となっていた。
マヌエルルーチョ運送だけでなく、その周辺にあるほとんどの運送会社が事務所の電気を落とした頃、マヌエルルーチョの正門に一台のバイクが飛び込んで来た。
「おっとっと、止まって止まって!もう営業時間外だよ」
慌ててバイクの前に躍り出た守衛が手を広げて制すると、停車したバイクの運転手は守衛に向かって慌てた表情を浮かべながら、ガウディーノ社長はいるかとズバリ聞いて来る。
もちろん社員の情報など部外者に話せる訳もなく、ましてや社長の動向など口が裂けても言えない。バイクに乗る若者に怪しさを感じた守衛は、それよりも先ずは名乗って訪問して来た理由を話せと要求した。
「あ、すいません。トスカーノ・バイク急便の配達です。王国総務省から社長さん宛てに緊急の書類配達を依頼されましてね」
バイク急便の若者は、肩から下げたカバンから一通の大きな便箋を取り出し、そして守衛に向かって便箋の裏面を見せる。そこには溶かした蝋で封印する『封蝋』があり、パルナバッシュ王国の紋章が刻印されている。
「宛先のご本人様へ直接手渡しを厳命されてまして、取り次いでいただけませんかね?」
このマヌエルルーチョ運送は、通常の配送や配達業務の他に、王国から直接雇用される委託業務がある。そしてそれは極秘と言っても過言ではないほどに情報が統制される、部外秘の特殊な業務である。
内容の詳細までは知らされていないが、この会社が秘密の仕事をしているのはうっすらと心得ている。
守衛はバイク急便の若者が敷地内に入る事を認め、あの灯りが点いてる部屋が社長室だと教えてやった。
もちろん、その老いた守衛は知らない。トスカーノ・バイク急便などと言う会社がこの世に存在しない事を。そしてバイクに乗った若者が見せた大きな便箋も、その便箋に押された封蝋も真っ赤な偽物である事も。
そもそもが、バイクに乗った人物がオレル・ダールベックであった事すら知らないのだ、単なる守衛が変装に気付く訳が無かったのである。
バイクを停めたオレルは、そのまま事務所棟の扉を開けて、薄暗い廊下を奥へ。階段に突き当たって二階に上がると、うっすらと灯りの漏れる部屋が廊下から見える。
「失礼します、トスカーノ・バイク急便です」
灯りの漏れて来る部屋をノックすると、いぶかしげな声で入りたまえと声がする。聞き覚えの無い業者が、こんな時間に何しに来たんだと言う、警戒感を剥き出しにした声色だ。
「ガウディーノ社長様宛てで王国総務省から書類を預かっております。差し出し人はマファルダ様名義です」
扉を開けながらそう言うと、オレルは大きな便箋を取り出した。
社長の執務室の棚には華美な調度品が並ぶも、いかにも儲けているかのような成金趣味を抑えて、重厚感を醸し出しているのは、さすが古い歴史を持つ老舗の配送会社と言ったところ。
古びて更に質感を増す大きな執務机を前にする初老の紳士の前に、オレルは大きな便箋を置いた。
「すみません、こちらの伝票にサインをいただけますか?」
「伝票にサイン……。どう言う事かね?」
「はい、当社は配達料金先払いではなく、後払い制を取っておりまして。配達伝票に届け先の方からサインをいただき、それを配達証明として依頼主に提出するシステムなのです」
「ふむ、新しい発想ではあるな。銀行を間に入れた信用取引の可能性を感じるぞ」
何気ない会話の中に商売のチャンスを見い出したガウディーノ社長は、急に笑みを漏らして上機嫌。
聞いた事も無いバイク便の会社だが、信用取引を先駆けて始めるなど、なかなかに商才に富んでいるなと言いながら、オレルに渡されたファイルに綴ってある伝票にサインをし、それを返した。
「……確かにサインをいただきました。ありがとうございます……」
様子が急変したのはここ。ここがポイントである。
ガウディーノ・マヌエルルーチョとサインされた伝票をファイルごと受け取り、そのミミズが這うような殴り書きの筆記体を見詰めた瞬間に、オレルの様子が変わる。
配達員を装っていた笑顔はどこにも無く、冷気を感じるほどの無表情でガウディーノ社長を見下ろすと、伝票の一枚目のページをピリッとめくり、無造作に破り捨てたのだ。
「うむ?何だ?その伝票はいらないのか?」
「この伝票は複写になっていてね……二枚目のページが本通なのさ」
なんと伝票の二枚目は、ガウディーノ社長が見ても全く意味の分からない文字や記号が並んでいる。
まるでそれは、今この世界に流通する文字の羅列ではなく、小さなクサビを打って無秩序に並べた知らない世界の文字。古代文字のような様相なのだ。
「な、なんだねそれは?君は、君は一体……?」
底知れぬ不気味さを感じ、椅子ごと後ずさりながら怯えるガウディーノ社長。そして彼は、謎の配達人の瞳が紅く輝き出した事で、自分の身に降りかかる命の危険を肌で感じたのだ。
「サタニック・オルガン (悪魔器官)開放開始、そして契約書を認証、ただ今を持って契約は締結された。本契約書通り私オレル・ダールベックは甲、ガウディーノ・マヌエルルーチョを乙とする」
「契約?契約だと?貴様と私は一体何の契約をしたと言うのか!」
「悪魔と人間による魂の契約だよ。私の言う通りにしていれば、貴様は一生富に恵まれるであろう。しかし私に背いたり裏切ったりしたら、貴様の魂に刻まれた呪いが貴様を殺す」
ひ、ひいいいっ悪魔!悪魔ああぁ! ガウディーノは悲鳴を上げながら椅子から転げ落ちて頭を床に打つのだが、オレルは容赦しない。そのまま床にうずくまるガウディーノの目の前に立ち、燃えるような真っ赤な瞳で蔑むように見下ろしたのだ。
「選択肢は二つ、私の命令に従うか、それとも否か。全身から血を吹き出して死にたくなかったら、賢明な選択をするべきだな」
──余すことなく全て話せ、それだけがお前を助けるのだから──
パルナバッシュ王レアンドロ六世、その王の直轄領には秘密の核開発の研究所がある。
その施設に出入りが許されている物質の搬入業者であるマヌエルルーチョ運送の社長を、オレル・ダールベックは魂ごと自分の所有物に変えてしまったのである。
社長から施設の情報を洗いざらい入手出来れば、作戦は大きく進展する。それはつまり実力行使による作戦完了……具体的に帰国の時期が見えて来た事に繋がるのである。




