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74 開花


 王都カーランの旧市街にある参謀情報部三課のセーフハウスは、深夜になっても灯りがついたままの部屋がある。

 三課所属の兵士や軍属たちは、ローテーションを組んで警備勤務と休憩を繰り返している。それらの規則的な交代勤務とは別の世界にいるように、いつも深夜まで煌々と部屋の灯りがついている部屋。

 それはつまり、ローテーションの輪から外れた部隊指揮官専用の部屋であり、オレル・ダールベックの個室であった。


 個室と言ってももちろん、広々とした室内に豪華な調度品に囲まれるような、リッチな個室ではない。

 いくらオレルが高級士官であっても、今現在の遠征作戦においては、王都で身を隠していられればそれで良し。予算の都合もあって彼の部屋は個室と呼べば聞こえは良いが、ベッドに机があるだけの狭い部屋はまるで、潜水艦内における狭小な艦長室程度の広さしか無かったのだ。


 机上においたオイルランプの灯りを頼りに、オレルは便箋に文字を書き殴っている。

 参謀情報部三課には指揮官も兵士にも適用される絶対的なルールがある。作戦中やそれ以外のいかなる時でも、いくらセーフハウス内で休息をとっているからとしても、、、自分や仲間の情報がバレるアイテムは一切所持してはならないと言うのがそれだ。

 敵の捕虜となって際に、身に付けていた所持品を検査されてしまえば、そこから情報が漏洩してしまうのが理由である。

 つまり、三課のメンバーはどんな状況であってもメモや手帳に記録を残さず、そもそも身に付けない。

 そのルールで言うならば、今オレルは自分の部屋でなぜ書き物をしているのかと言う疑問にぶつかるのだが、どうやら彼は手紙を書いている様子。

 ランダムっで書き綴った文字だらけで宛先も内容もさっぱり分からない、暗号文の手紙をしたためていたのである。


 大陸で流通している文字を無秩序に散りばめた便箋を前にペンを置く。どうやら手紙が完成したのか、オレルは便箋を折り畳んで封筒へと押し込む。

 その時、オレルの部屋が面してある二階の廊下がギイギイと軋み、オレルの部屋の前で止まった。


 コンコンコン……

(中佐、お茶をお持ちしました)


 扉の外から聞こえて来たのはリタ・バルツァー少尉の声。当番夜勤を行なっているリタが、夜更かししているオレルを気遣い、お茶の差し入れを持って来たのだ。


「入りたまえ」


 入室を許可すると直ぐに、オレルは丁度良い時に来てくれたとリタをねぎらいながら、机の上に置かれたコーヒーと引き換えに、今の今まで書き殴っていた暗号文書の封筒をリタに渡す。


「いつも通り、マルヴァレフト侯爵に渡してくれ」

「承知しました」


 この暗号文書は、アムセルンド公国の首都バルトサーリにいるマルヴァレフト侯爵に渡された後に、侯爵のエージェントが参謀情報部のノルドマン准将に届けられる。

 そして大事な事は、今現在パルナバッシュ王国にいるオレルたちと、アムセルンド本国のマルヴァレフト領、そして首都バルトサーリを繋いでいるのが、このリタ・バルツァー。

 三課とマルヴァレフト領の私兵である国境警備隊、更に首都にいるマルヴァレフト侯爵のエージェントを完璧に繋ぎ、今も情報網と支援物資の流通網のライフラインを維持しているのである。


 現状では余談の部類に入ってしまうが、リタが託された暗号文書にはオレルの報告が記載されており、今まで数回報告書を送った過去がある。だがあくまでもオレルの一方通行的な報告であり、ノルドマンからの命令や指示など、本国から送られて来る文書は無い。つまりオレルはまだ、参謀情報部のトップが家族ごと爆殺された事件は知らないのだ。


 暗号文書を渡されたリタは、普通ならここで敬礼しながら退出しようとして、オレルに苦笑されながら早く民間人になれ……諜報作戦中に軍人のクセを出すなと怒られるのだが、今日は違った。

 何か想う事があるのかオレルの傍で直立不動になったまま、部屋から退出しようとしないのだ。


「何か私に聞きたい事があるようだね、遠慮なく話してみたまえ」


 オレルは立ち上がり、リタに椅子に座れと勧める。そして自分はスチール製のマグカップを手にベッドの縁に座り、リタが淹れてくれたコーヒーを楽しみ始めた。


「申し訳ありません、ご配慮感謝致します」


 そう恐縮していたリタだが、貴重な時間を割いてくれた以上臆していては逆に失礼だと、意を決してオレルに尋ねた。


「中佐、この作戦はパルナバッシュで秘密裏に製造されている超兵器の秘密基地を突き止め、そして破壊して二度と製造出来ないようにするのですよね?」

「ああ、今君が言った通りだ。それが我々の使命だ」

「アムセルンドの隣国が、世界の軍事バランスを崩す超兵器を開発している。アムセルンドの安全保障問題において、我々は空前絶後の危機に瀕している。そう言う認識でよろしいですよね?」

「もちろんだ、君が今言った認識で間違い無い」


 一瞬口ごもるリタ

 自分たちの存在価値を再認識して、共通の認識は今も純然たる行動原理で変わらないのだと自分自身に言い聞かせながら、リタはおずおずとオレルに申し出た。──それこそが、リタ・バルツァーに対するオレルの評価が劇的に変化するきっかけなのだ


「意見・具申、申し訳ありません。差し出がましいのは重々承知の上で発言させて頂きます。その核爆弾と言う超兵器……爆弾一発で街一つが蒸発してしまう悪魔のような爆弾を、我々が奪取しては駄目なのでしょうか?」


 オレルは正直驚いた。リタの発想が脳裏に無かった訳ではないのだが、オレルは異世界転生人による時代背景を無視した兵器である事から、核爆弾を破壊するだけでなく研究資料も全て灰にして、歴史の闇に葬ろうと決断していた。もし核開発のノウハウを持ち帰れば、異世界転生人ギルドと彼との間に軋轢が生じるからだ。

 だが、リタは異世界転生人ではなく、裏の事情も背景も知らないまま、このアイデアを自分で練って出して来るあたり、なかなかの策謀家だとオレルを唸らせたのである。


「バルツァー少尉、君の意見は正しい。私が作戦を実施するにあたって、君の発想も選択肢の一つとして私の中にあったのは事実だ」

「そうなんですか?ならばなぜ却下されたのですか?」

「大陸の軍事バランスを崩す超兵器……これに興味を抱かない軍人はいない。政治家も然りだが、この欲しいと言う結論にたどり着く過程が大事だ。核爆弾を奪取すると言う結論に至るまでの思考構築、これが非常に重要なのだよ」


 オレルはリタになぜそう思ったのか、彼女に説明を求めている。間違いなくそれは彼女を試しており、その思考の構築内容によっては、リタ・バルツァーの新たな可能性を模索する分岐点であると考えたのだ。


「各国の軍事力では水準以下のパルナバッシュが、我々の想像を超える兵器を開発している。それはつまり、この大陸においてパルナバッシュ以外の軍事国家がいつ二番煎じ三番煎じで、同じ核爆弾を開発してもおかしくない状況にあると考察しました。そうなれば、我が公国は核爆弾開発に関して最後進国となって、核爆弾を基本とした新たな世界秩序の中で弄ばれる立場となります。ならば、その知識やノウハウを先んじて入手して、我々こそが世界秩序の担い手になるべきと考えた結果です」


 ──合格だな──

 ついつい、声にならないほどの小さな声でそう呟いたオレルは、マグカップを口にゴクリゴクリとコーヒーを飲んで誤魔化す。

 ただ単に、凄い兵器を入手したい、手にしたいと欲求が蠢くのではなく、ましてや量産した核爆弾を仮想敵国にバラまいて爆発させようと言う理由で奪取と言う結論に至った訳でもない。

 彼女は開発されてしまった兵器は必ず世界にノウハウが普及する事を念頭に、開発競争でイニシアチブを取るための「奪取」を考えていたのである。内心でオレルが笑顔にならない訳がないのだ。


 ただ、最終的にオレルは核爆弾の奪取案を破棄している。オレルとギルドとの関係についてリタは知らなくても、オレルには奪取案を破棄すべき理由、リタがそこまで到達して欲しいと願う理由がある。

 それを踏まえて、オレルはリタに説いた。


「他国の最先端技術を入手したいと願う事に間違いは無い。しかしバルツァー少尉、私が核爆弾奪取を諦めた理由を考えてみたまえ。パルナバッシュとアムセルンドの違いを」

「パルナバッシュとアムセルンドの違い……ですか?」


 しばしの間、部屋に静けさが漂う

 口に手を当てて塾考するリタを、オレルは早くしろと催促もせずに待っているのだが、その配慮はどうやら、オレルが満足するような内容をもたらしたようだ。


「中佐、思慮が足りず申し訳ありません。中佐はまだ公国が核爆弾を手にする資格が無い、安心して核爆弾を保管するだけの政治が成熟していないと。そう判断したのですね?」

「暗愚な王でも賢王であっても、パルナバッシュは最高責任者が責任を取る。だが悲しいかなアムセルンドは、まだ貴族同士が利権を貪り合っている最中で、責任を任せる者がいない。マルヴァレフト卿が孤立している現状を鑑みれば、それ以外の貴族に核など渡すのは愚の骨頂だ」


 オレルは珍しくにっこりと微笑んだ。

 普段は冷淡で表情が変わっても口角が上がるか下がるかだけの青年なのだが、周囲の空気がキラキラと輝くようなイメージで笑顔を向けられれば、堅物のリタも穏やかではいられない。


「中佐、貴重なお時間を潰してしまい大変申し訳ありません。中佐の深慮遠謀に触れて、小官の至らなさを痛感いたしました!」


 リタは椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がり、直立不動となって敬礼する。


「自分を責めるな少尉、なかなかに良い線は行っていたよ。それに、君が私を超える事を願っている、以後も引き続き精進したまえ」

「おたわむれを。中佐あっての三課である事は揺らぎません、それではこれにて失礼します!」


 踵を使って振り向き、退出しようと扉に向かうリタ


「そろそろ軍人のクセを卒業しなさい……」


 リタの背中に投げられたのは、トーンの高いオレルの声。言葉の節々に、楽しげで愉快な音色が見て取れるのだが、実はその言葉の後には続きがあった。

 リタが退出した後に、オレルはこう呟いたのだ ──【軍人のクセが抜けたら、君が三課の副官だ】と


 優秀な軍人、優秀な技能職が三課にいても、優秀な頭脳が今まで無かった、それがついに充足されたのである。

 オレルの笑顔は作った笑顔ではなく、そう言う意味を含んだ正真正銘の笑顔だったのだ。



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