75 プロローグ 謁見の間
出入り口の大きな扉から伸びる赤い絨毯が、玉座の手前まで伸びる謁見の間は、この水晶宮と呼ばれるパルナバッシュ王国の王城で最大の規模を誇る広さを持つ。
出入り口から玉座を見れば、その豪奢で格調高い玉座も豆粒のように見えるほどの距離があり、端から端まで全力疾走などすれば、大抵の者は途中で息が上がってその場に崩れ落ちる。
まさしくこの謁見の間は、パルナバッシュ王朝の権威の象徴だ。
ただ、近年においてこの巨大な謁見の間は、荘厳な空気に支配された王国の象徴とは別の気配も紛れ込んでいる。それは何か陰湿で停滞するような気配。ねっとりとした湿度が身体に絡みつく、重苦しくて陰鬱な空気も混ざっていたのだ。
それには理由がある。あくまでも憶測ではあるが、誰もが納得出来るだけの理由がある。
何代も続くパルナバッシュ王朝において、今の最高統治者であるレアンドロ六世は、五十年もの長期に渡って治世を行なって来ている。
それは王位を狙った血族の争いによる暗殺の応酬や、先天的な身体の不調が起因して、若くして落命するような短命政権で終わらずに、レアンドロ六世は五十年もの間玉座に座り続けた事で、レアンドロ王朝に新鮮味が無くなってしまった事が要因と考える者が多数を占めていたのである。
もちろん、五十年もの間戦乱などの国家的危機にみまわれる事無く、治世を続けて来た事は称賛に値するのだが、若くして陣頭指揮を執ったレアンドロ六世はもうこの世にいない。
若さを失った王は、可もなく不可もなく世を治めるだけで、時代の流れを停滞させ始めていたのだ。
老いて生気を失った王が統べる国。ただただ惰性でしか時間が流れようとしない……その魅力の無さが、この謁見の間にも気配として現れるようになったのである。
そして今日も今日とて、老いた王は訪問者たちを謁見する。
背中は曲がり、落ち窪んだ眼は皺に隠れ、膝掛けやストールを羽織った骨と皮だけの老人は、細かな金細工が施された豪華な王冠を頭上に頂きながら、入れ替わり立ち替わり挨拶する訪問者たちを見下ろしている。
まるで即身仏修行に挑戦する僧侶のように微動だにせず、口だけをもごもごと動かしているだけなのだが、娘で宰相のマファルダがわざとらしく王の口元に耳を傾け、そして王の言葉として訪問者に言葉を告げる光景が繰り広げられていた。
もちろん、これは王の公式行事であり、政 (まつりごと)の行く末を見守る立場にいる宮廷魔女は、王の公式行事には必ず臨席するのが通例。
この日もコンチェッタにクラリッチェ、アンナベッラの三人は、玉座から遥かに離れた壁際に立ち、王の謁見を見守っていた。
採光用の天窓をびっしりと埋める見事なステンドグラスの数々が、謁見の間を様々な色の光で照らす幻想的な空間の中で、順番に名前が呼ばれて挨拶する訪問者たち。
今日はたまたま年内最後の議会が行われた事から、この国の高級要職に就く様々な人物たちが、神妙な顔付きで王から労いの言葉をかけて貰っていた。
貴族院議長に元老院議長、そして議員の中でもとりわけ権力を持つ有力な貴族議員たちがズラリと並び、王に言葉をかけて貰っては意気揚々と退出して行く。
このベルトコンベアーを使った作業のような流れの中、魔女たちが注目していた人物がいる。
その者は貴族議会らしく派手派手しい服装に鳥の羽をしつらえた帽子を被る者ではない。訪問者の最後尾につく「今どき」のスーツ姿の中年男性が彼女たちの目に入ってから今の今まで、ずっとその人物を凝視しているのだ。
貴族でも議員でも無く、ただ単に謁見のタイミングが重複した事で目立たなくなった人物。その者こそが、王立科学研究所所長のアレクセイ・ボローシン。先日の闇夜にオレル・ダールベックが教えてくれた、魔法と科学を融合しようと蠢動する者なのだ。
(何しに来たですかね?)
(あたしに聞くなよ、分かる訳無いじゃん)
(そうよね、さすがにこれは判断つかないわよねえ)
魔女三人組は何食わぬ顔で超然とはしているものの、心の中で膨らんでいく疑問に首をかしげたままでいる。そしてその答えが導き出せずに、ヒソヒソ声で互いに確認し合っているのだ。
と言うのも、このアレクセイ・ボローシンなる人物が王に謁見を求めるのは初めてと言って良いほどに、この水晶宮においてはレアな存在である。
元々、魔女文化とそれに付随する魔法文化が主流となっていたこのパルナバッシュでは、科学は何かと軽視されて来た過去がある。
いくら王立科学研究所が王直轄の研究機関だとしても、通常の所轄の省庁よりも遥かに格下の機関である事から、王の謁見を直接受けられるような立場ではない。そう言う上下関係がある事から、王立科学研究所の報告などの科学技術に関しての報告は、産業大臣が上奏するしきたりが古くからあったのだ。
それが今回に限っては、最後尾ではあるものの名だたる議員や貴族に混ざり、所長自らが王の拝謁を受けられると言う謎の事態となっていた。魔女たちはそこに不審な点を見出していたのである。
(絶対怪しいです、とっても胡散臭いです)
(そうね、アイツ絶対に研究所から出て来ないし、あたしらの式神が侵入出来ないように魔法結界仕掛けてあるし)
(科学研究所に魔法結界なんてアンバランスも良いところよね。もうそこまで話が出来上がってると考えるべきなのかな?)
あの夜、オレル・ダールベックなる人物と接触した際に、彼から驚愕の情報を入手した。
パルナバッシュ王国は密かに核兵器なる大量破壊兵器を製造している。それはレアンドロ六世の号令の元で、王立科学研究所が深く関与していると言うのだ。
もしこのオレル・ダールベックの情報が無ければ、今日のこの謁見の場に所長が現れたとて、魔女たちは歯牙にもかけなかったであろう。様々な魔法や手法、魔法工芸品などに興味はあっても、科学などには欠片も興味が湧かないからだ。
だが、魔女たちは先日に情報を得てしまった。そしてもっと情報が欲しいとオレルに求めるも、彼からは五分五分の関係でなければ情報の提供は出来ないと断られたのである。
このいきさつがあるからこそ、老いた王の前にアレクセイ・ボローシン所長が立つと言う違和感に、鳥肌を立てるのである。
(何かある、絶対何か裏があるよ)
(クラリッチェの言う通りね。あのダールベックと言う男の情報量、恐るべきと言えば良いのか)
(でも、あの方は何か……ちょっと悲しそうに見えたです)
ついつい、私心をポロリとこぼしてしまったアンナベッラ。しくじったとばかりに、顔を真っ赤にしながら口を真一文字に結んで下を向くのだが、それを見逃すコンチェッタとクラリッチェでは無かった。
(あらあらあらあら。いよいよアンナベッラにも思春期が来たのかしら、私は嬉しいわ)
(違うです、そんなんじゃないです)
(頭から湯気が出てるぞ。まさかね、ああ言う男がアンナベッラのタイプなのか)
(違うです、だから違うですう)
側から見れば、もじもじしながら身体をくねらすアンナベッラを挟んで、ニヤニヤしながら歳上のコンチェッタとクラリッチェが問い詰めるこの光景は、謁見の間の公式行事中にはあり得ない不遜な行為。王をないがしろにする失礼極まりない私語の応酬である。
だが周囲の関係者や王のお付きの者たちからすれば、あまり関わり合いたくない魔女が勝手に盛り上がっているだけで、静かにしろと怒るのも面倒臭い存在である事は間違い無い。
だから「誰か注意してやれよ」と、周囲の者たちは互いに目を合わせながら責任を擦り付け合うのだが、魔女に一言申す勇気のある者など皆無だった。
このまま魔女たちの私語を野放しにして、王の不興を買う事は無かった。
謁見がつつがなく進み、最後の拝謁者であるアレクセイ・ボローシンが王の前に進み出た時、王の娘である宰相マファルダが突如、声高らかに謁見の儀の終了を宣言したのである。
「これにて謁見の儀は終わった、全ての者は王を置いて退出せよ!これより王の私事である!なんぴとたりとも王の私事に踏み込み事は許されない!」




