チタ防衛戦 イルゲニ湖戦線
じわじわ迫るソビエト軍
イルゲニ湖に阻止線を張り待ち受けるロシア軍
作者ですので派手さはありません
ロシア軍はチタめがけて進撃してくるソビエト軍をイルゲニ湖の南に第一次阻止線を張り迎撃した。
イルゲニ湖戦線の出現だった。
主力はチタ要塞駐留軍だが、補助としてアラフレイ要塞から二個中隊が出撃した。
ソビエト軍はシベリア鉄道とほぼ併走する道路を使って進撃してくる。ただそこら中に阻止のために切り出した木や様々な障害物が置かれていて、それらを片付けるのに手間が掛かったていた。
何しろ、爆発するのだ。地雷とトラップだらけの障害物は見えるだけで兵士の気力を削いでいく。
またソビエト独特の政治委員制度で縛られた軍は明らかにおかしな、軍事的に無意味な行為をすることも度々あった。
多くは無理な物は無理と現実を受け入れていたが、共産党上部への受け狙いや増長した人間が無理難題を言い出すことも多かった。
また計画優先で戦場の実態とかけ離れた指導を行うことも多かった。何しろ政治委員の方が専業軍人の上位に立つのだ。政治委員は共産党に反抗的な(自分の言うことを聞かない)将校を射殺する許可も出されていた。
ときおり爆発音が聞こえるのは、たいていそうした政治委員が口出しをした部隊であろう。
モグソンから何とか十五キロ進んだところで進撃は停止した。日が暮れる。野営に入るのだろう。
上空では、ときおり激しい空中戦が行われている。その合間を縫って対地攻撃機として一式陸爆やKR-1がやってくる。
それでももう日が暮れる。飛行機も寝る時間だ。
だが戦場には夜の悪魔が出る。
アラフレイ要塞から出撃した二個中隊のうち、一個中隊は山岳猟兵だった。近代でいえばレンジャーとかゲリラ戦専門とかの部隊である。
彼等はこの辺りの地形は知り尽くしていると言っていいほどの訓練を重ねた精強な部隊だ。ロシア軍全体でも一個大隊も居ない貴重な部隊だ。
夜の闇にまみれ、昼間戦闘で疲弊した部隊の哨戒網を突破していく。銃は使わない。主な武器はナイフだ。濃い紺色の専用軍服。黒い手袋とマスク。ヘルメットはする場合としない場合が有って今回は隠密性を優先で黒い帽子だ。
気配を消して後ろから近づき口を塞ぎ、喉をかききる。延髄にナイフを突き立てる。心臓を後ろ下側から突き上げる。
後方へと引かれた電話線を切断しガソリンをまき放火をする。
聞こえてくる航空機のエンジン音。時間通りだ。ウクレイを発進した一式陸攻の部隊だった。二百五十キロ陸用爆弾を各機六発装備している。
「チタを通過しました」
航法員が告げる。
「見えたな。明かりだ。時間通りじゃ無いか」
「やりますね」
「俺たちもやってやろう。無線封止解除。我に続け」
「無線封止解除。我に続け。発信します」
「間違うなよ、火災の左側だ。右側には敵は居ないぞ」
「「「了解」」」
僚機からの返答があった。
「投弾開始」
「投下」「投下」
ようやく対空砲火が上がってきたが見当違いの方へ撃っている。
その夜は一式陸攻八機二梯団の爆撃だったが二個連隊規模のソビエト軍は甚大な被害を受けたようだ。
翌早朝に行われた航空偵察では、一個大隊規模の損害と算定された。
チタから進出した部隊も地形を使った隠蔽射撃で迫撃砲による攻撃を始めた。シベリアは湿地帯が多く地面が柔らかいので不発防止のために着発+時限という面倒な信管を使っている。時限式と言っても機械式では無く火薬ヒューズ式の簡単な物だった。
それでも使うのはあとでこの土地に再進出するためだ。耕作や工事の度にドカンでは人は居なくなってしまう。
だがその信管がソビエト軍には混乱をもたらした。不発と思った着弾地点で数秒後に爆発するのだ。時限信管で地雷代わりにしている。多くがそう思った。
迫撃砲の攻撃が終わった後でも前進するのはためらわれた。が、そんな事は政治委員には関係なかった。ここに配属された政治委員は有能か無能かで言えば後者のようだった。強引に前進を命令した。指揮官は反対だったが拳銃を突きつけられては兵に進めとしか言えなかった。
指揮官は思いっきり嫌みを言ったやることにした。
「勇敢なる政治委員同志はもちろん我々と共に前進して下さるのでしょうな」
周りでは司令部要員が見ている。どこに党員や秘密警察 NKVD の手先がいるか分からない。行くしか無かった。
後年の調査によると後ろ弾を喰らったり負傷した政治委員が戦場に置き去りにされた事例が多数チタ戦線で確認されている。
ソビエト軍は多大な犠牲 ロシアや日本から思えばだが を払いながらも前進を続けている。
モグソンからここまでで二個連隊規模の兵員が減ったようだがドムナまで線路沿いで二十五キロ地点まで前進してきた。
山岳猟兵を使った夜襲はあれから警戒が強化されて近寄ることが出来ない。
貴重な熟練兵士だ。無理して消耗することは無いと夜襲は中止された。
夜間空襲は嫌がらせのために夜間単機や編隊で複数回の爆撃をしている。当たらなくてもいいのだ。
ソビエト側もチタやアラフレイに空襲を仕掛けてくるが、電探で管制された対空砲火による妨害で損害の割にこちらの被害は少ない。
じわじわと迫ってくるソビエト軍にドムナまで十五キロと迫られたロシア軍は遂にドムナ飛行場の破壊と部隊の撤収を命じた。
ここまでの空戦での被撃墜は戦闘機百三十機、爆撃機七十機に上る。キルスコアは四対一程度だがP-51登場以降戦闘機の損害が増えている。爆撃機の損失はバダ強襲時の一式陸爆の損失が大きかった。
ロシアは日本に疾風の提供を急がせているが肝心の疾風が誉発動機の生産数が上がらず徐々にしか増えていない。
日本政府は中島に誉のロシア生産を勧めるが大中島はうんと言わない。それでも陸軍は交渉して鍾馗用魁発動機の生産を絞り誉に振り替えることを承知させた。鍾馗の魁発動機はロシアでも生産している。ネジ規格は同じだ。足りなければロシアから手に入れればいいと考えていた。
海軍は天山の魁発動機を三菱風星に変更するという。
それでようやく誉の量産体制が拡充された。
疾風は十九年四月の月産四百機体制から十九年夏には月産五百機体制を整え十九年暮れには六百機態勢まで拡充される事になる。鍾馗と一式戦闘機の生産を減らした分が疾風に振り分けられた。
誉も十九年四月の月産五百基態勢から十九年夏には月産七百基となり十九年暮れにさらに一千百基まで生産量が伸びた。外部委託生産分は含めない。
これにより八月から月間百機程度の疾風がロシアに提供されるようになった。ロシアでは鍾馗と平行して疾風のライセンス生産も十九年夏に始まる。搭載する誉発動機は外部委託先からの物だ。
空中ではP-51の登場でやや不利な状態が続いている。元々数で負けているのだ。搭乗員の能力と機材の性能でその差を埋めていた。それがP-51の登場で覆された。それは爆撃機の阻止という形で現れた。ソビエト軍のチタ周辺への爆撃成功率が上がり、逆にロシア軍の爆撃成功率は落ちていた。
6月、陸上では遂にソビエト陸軍がドムナを望むところまで進出した。イルゲニ湖阻止線は破られた。
前線監視網もそれにつれて後退する。
最近は曇天が多く雨も降る。航空機の活動は低調だ。
そんな中でも偵察飛行は続けられている。偵察機はドムナ手前で臨時駅を作り戦車を降ろしている列車を発見した。
悪天候の中での低空飛行だ。更に低空と言うことで対空砲火も激しく危険な飛行だ。司令部偵察機の高速を頼りに偵察は続いた。
戦車は相変わらずのBT-7、KV-1、T-34の混成だった。ソビエトの生産力なら全量T-34になっていてもおかしくない。恐らくポーランド戦線に取られているのだろうという推察はされた。
ロシアは九十七式中戦車を下げて自慢のTR-1を全面に出す気だ。
日本陸軍も同様に一式中戦車の比率を上げているが、ロシアほどの戦車生産能力が無い日本は更新が遅くなる傾向にある。
晴れた日は航空機が上空で戦闘をしている下で地面を陸軍がうごめいていた。上空援護機が多くロシアの対地攻撃は上手くいかない。
ドムナ手前でソビエトとロシアの陸戦が始まった。
抵抗することでロシアがドムナを固守する気があるとソビエト軍に思わせないといけない。もっと大量の人員・装備をドムナ周辺に集積させ要塞砲で一気に吹き飛ばす。これが当初からの作戦であった。今のところ上手くいっているように見える。
シベリア鉄道から離れた山間の間道からもソビエト軍はやってくるが、ただの標的だった。狭隘な部分に来るまで戦闘は控えて一気に殲滅する。そんな事を何回もやった。そこら中に監視網が張ってある。抜けさせはしない。
ソビエト軍の補給が多くなったという偵察結果が報告された。いよいよ来るのだろうか。集積場所はチタ要塞の三十六センチ砲がようやく射程内で、アラフレイ要塞の二十センチ砲は射程外だった。
雨こそ降っていないが雲が低く雲底部で三百メートルでは航空機の活動する天気では無かった。二・三日は続きそうという予想がされたその日。
ソビエト軍がドムナに向かって前進を始めた。
遂にドムナを手中に収めようとするソビエト軍
次回 ドムナ戦車戦
だといいな
広さが広さなんで某戦車戦のようにはいきません
次回 未定 出来れば二月中




