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空母 双龍 東へ  作者: 銀河乞食分隊
チタ要塞1944
55/62

ロシア防衛戦 陸の王者 戦場の神

陸の王者=陸王

ではありません。


陸の王者と言えば、鉄の塊です。


戦場の神は、大砲です。


11月18日 

 誤字修正 

 戦車の装甲厚を修正、少し薄くしました。

 車重に合わせる事にします。

 でもまだ軽い気がしますが。

 76.2ミリですが以降76ミリ表記とします

 ソビエト人民共和国がバイカル湖を越え、ウラン・ウデに進出した頃のロシア陸軍と日本陸軍の戦車はチハが数の上では主力であった。

 ロシア陸軍が、いや、ロシアが総力を挙げて開発したRT-2(ЯТ-2)は、まだ少数が前線配備されたところだった。

 日本陸軍も余り状況は変わらず、一式中戦車チホはまだ主力では無かった。


 対するソビエト陸軍も、状況は余り変わらず最新鋭のT-34はせいぜい半数であった。これは西側正面のポーランド方面に陸軍の主力が置かれ、そちらに優先的に配備されたためだった。残りはほとんどがは旧式のBT-7と、チハでは撃破困難なKV-1が配備されていた。


 バイカル湖戦線は、こう言ってはなんだが西に強敵を抱えるにもかかわらず、この程度の戦力で大丈夫だろうというクレムリンの判断で起こされた戦いだった。勿論アメリカの意思も介在したのは間違いない。日本に二正面作戦を強要し、海軍の戦力が日本を確実に葬れるまでの時間を稼ぐ。


 もっともソビエトのこの程度に対して、ロシアと日本は全力であった。


 一式中戦車は単純に九十七式中戦車を大型した物で、履帯幅増加による接地圧の軽減と機関出力向上による機動性の向上が図られていた。

 主砲は最初、七十五ミリ野砲の転用であったが駐退機が砲塔外に出てしまう欠点があり、新開発された七十五ミリ五十口径の戦車砲を装備している。 

 装甲は前面七十ミリ、砲塔正面九十ミリ、砲塔側面五十ミリ、車体側面四十ミリであり、重量三十五トンの中戦車と言うには重い戦車になってしまった。日本の鋳造技術では、量産性に優れる鋳造砲塔や鋳造車体を作ることが出来ず、砲塔に至るまで全て溶接である。小型の物は作れたが、一式戦車用の大型砲塔用となるとひずみが大きく出て修正作業に時間が掛かり、かえって溶接砲塔の方が量産性は良かった。

 九十七式中戦車同様に、変速機を後部に置き車内は広かった。

 懸架装置は水平対向コイルスプリングで、負荷の増大に対処するため片側2セットとされ、転輪は1セット四個計八個だった。ただ、このサスペンションは地形追従性は良い物のこれ以上の負荷には対応が難しく、後にトーションバー式になっていく。

 エンジンはチハ同様空冷4サイクルV型12気筒ディーゼルだった。

 450馬力という大馬力ディーゼルで在ったが、三十五トンという重量に対してはやや力不足で最高速度は四二km/hに留まった。

 ディーゼルエンジンの特性としてトルクが強く、幅広の履帯と相まって泥濘地での取り扱いに問題は無かった。


 RT-2は一式中戦車同様九十七式中戦車チハベースにした戦車であるが、一式中戦車よりも強力であった。

 ベースにしたと言っても、傾斜装甲やディーゼルエンジン、大型砲塔などの基本構成を参考にするために徹底的に解析を行っただけであり、一式中戦車の一バージョンであるような戦後の一部記述は間違いである。

 ロシアには赤化革命時に逃れてきた人々が多く、その中には技術者も多かった。航空機分野のシコルスキーもその一人である。

 

 彼等開発陣は、ソビエトに劣る数量的人的資源を大切にするという思想を持った。生存性の高い戦車で敵戦車を撃破するという考えだった。

 1930年代に重工業が発達したロシアでは、鉄道設備・鉄道車両や自動車、特にトラックの生産が重点的に行われていた。そこで鉄鋼技術やディーゼルエンジンの技術が磨かれた。

 その技術水準は日本を超えるものがあり、一部では世界水準を超える部分もあった。


 その技術的集約の一つが戦車RT-2であった。

 彼等は、まずチハを徹底的に解析した。最後には車体もバラしてしまった。

 参考にすべきは、傾斜装甲と溶接車体であり、後方に置かれたトランスミッションも車室内の拡大に有効であるとした。

 大型砲塔は、車長・砲手・装填手の三人が余裕を持って行動出来るとして、参考にした。

 空冷ディーゼンルエンジンは、保守は水冷よりも容易であるし、冷却もシベリアでは問題ないとされた。反面寒冷時の熱源にはなり得ないとして採用はしなかった。

 人間は寒くなれば行動力が落ちるのは常識であった。シベリアの冬は鉄に触れば皮膚が張り付いてしまう。よって車室内の暖房を考えていた。

 液冷ディーゼルエンジンが採用された。後にオーパーツと言われるエンジンである。

 主砲は、ロシア自主開発の76.2ミリ高射砲を改造した長砲身戦車砲で装甲貫徹力の高い砲であった。

 足回りも、自主開発のトーションバー式で不整地走行性能は高かった。 

 操縦系統は、後方配置のトランスミッションが遠く、中間リンクの剛性不足により、不確実な感触と多大な労力を要するものだった。後に、中継点を増やすことによって、剛性が上がり操作性も向上した。

 ミッションにはシンクロナイザーが採用され、変速時の操作性を良好なものにしていた。ただし、一速はノンシンクロであった。

 クラッチは、当初電動式サーボが採用されたが、反応が鈍いとして廃止された。ただしクラッチペダルの踏力は非常に小さくて済むものだった。

 パワーアシストの無い600馬力級のクラッチは、とてつもなく重く、足首・膝・腰を痛める戦車兵が続出。経戦能力に不安を持った実戦部隊の要請により、油圧式クラッチブースターが取り付けられる。

 

 車体は、前面装甲厚90ミリ、側面装甲厚50ミリ、後方30ミリ、上面20ミリとした。

 砲塔は、前面装甲厚100ミリ、側面装甲厚60ミリ、後方40ミリ、上面20ミリとした。


 この重装甲と重い液冷ディーゼルエンジンによって、車両重量は40トンを超えた。

 この重い車体を600馬力ディーゼルで駆動し、最高速度は40km/hが出せた。

 

 一式中戦車とRT-2は、T-34を上回る性能でありT-34/85が出現するまではアウトレンジする事が出来、優位に戦いを進められた。

 KV-1に対しても、その装甲を抜くことが可能であり、KV-1の戦車砲がT-34と変わらないことから優位に戦いを進められた。

 

 

 バイカル湖戦線では、その性能差から終始優位に戦闘をしていた戦車部隊であるが、いかんせん数で圧倒されていた。空の戦いと同じで自軍の数倍を相手にしなければいけなかった。


 チハはKV-1は相手に出来ず、もっぱらBT-7の相手をするしか無かった。T-34相手では主砲威力に劣り、不利な戦いを強いられた。



 赤化革命時、ニコライ二世がニコライエフスクに新政府を樹立したとき、多くのロシア人が東にやってきた。

 多くは着の身着のままであり、軍人でも例外では無かった。そして、それはソビエト人民共和国内に多数の重装備を残してきたと言うことである。

 新生ロシア陸軍は、歩兵銃すら装備が足りなかったのであった。それはバイカル湖を境に対峙するロシアにとって危機感を持つどころの騒ぎでは無かった。

 輸入出来る資金はあった。出来る限りの資産を持ち出していた。マガダンの銀やアラスカの金も有った。ただ一番近い日本はロシアの望むだけの兵器供給能力が無かった。

 時期的には第一次世界大戦が終わったばかりであったため、各国の余剰兵器を格安で購入することになった。

 歩兵銃であるモシン・ナガンは、アメリカ合衆国で生産したことがあり、再生産し弾薬も含めて輸入した。

 各種砲填兵器は、これも弾薬込みでヨーロッパ各国から輸入した。ソビエトが抗議したが、不気味な新政治形態のまだ誰も認証していない自称国家よりも従来の政治形態の国を優先した。

 ヨーロッパ各国は、スクラップにするしか無い余剰兵器を金に換えることが出来、若干の財政的な助けになった。

 このために新生ロシア軍の砲兵部隊と兵站部は混乱の極みであった。違う規格、読めない文字イギリスとフランス、一応ロシア語表示が付けられているものも有ったが、正しい表記では無かったりした。

 航空機も余剰となった航空機が格安で大量に輸入出来た。ソビエトには少数の航空戦力しか無く、航空戦力のおかげでバイカル湖でソビエトの進出を止めることが出来たと言われる。


 バイカル湖でソビエトを食い止めたロシアは、兵器体系の整理に乗り出した。

 山岳戦はほぼ無いとして、山砲は廃止に近い扱いだった。それよりも迫撃砲を重視した。

 各種口径の野砲群はロシア伝統の76.2ミリ口径を国産化後に廃止となった。

 やはり同じ状態の大口径砲はフランスのM1913 105ミリカノン砲とGPF155ミリ榴弾砲に統一された。

 1930年代後半からは両砲ともロシアが自国でライセンス生産に移った。

 短射程曲射弾道の榴弾砲も必要とされたが、運用する人的余裕が無く迫撃砲で代用するとされた。

 ロシア陸軍では、70ミリから最大120ミリの迫撃砲までラインナップする事になる。

 ロシアはより長射程の榴弾砲を求め、200ミリ級榴弾砲の開発を始めた。

 ただロシアにはこのような陸上用大口径砲の経験が無く、日本に相談を求めた。

 相談を求められた日本も同様だった。

 結局移動式での運用は列車砲以外では困難であるとされ、要塞砲として開発をする事になった。日本・ロシアとも一番簡単な方法を選んだ。

 艦砲の転用である。要塞砲として運用するならば、艦砲のように強力な動力源を得られる。

 20.3センチ砲の単装で、艦砲のごとく砲塔式とした。ただ、陸上で台地に固定された砲台であり、各部への影響が分からないとされた。海上なら衝撃は最終的に海に逃げるが、堅固に固定されている砲台で連続使用の運用試験をしたことが無い。

 200発の連続発射試験をしてみることにした。砲は二十センチ砲で未使用の砲身だった。強装薬での200発である。

 100発を過ぎたところで、コンクリート台座にヒビが入った。砲架やターレットは大丈夫そうだった。旋回させてみるが、異常を感じられるほどのひずみは出ていないように思われた。

 台座は強度を増してチタ要塞各地に据え付けられた。

 チタ要塞にはさらに秘密兵器が配置された。後にソビエト軍を恐怖に陥れる。

 


 チタを抜かれれば、ソビエトは間違いなくザバイカリスクを目指すだろう。中華民国のことなど無視して、満州里、ハルピン、ウラジオストクと進軍するはずだ。

 

 チタに後退した頃、本格的な冬がやってきた。陸も空も戦いは休みになった。





戦車の重量が軽い気もしますが、良しとしましょう。


次は「チタ要塞」かな。更新は未定です。

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