双龍の世界 日本 明治以降 大照 前半
本編は、8月1日以降に投稿します。
投稿期間を気がついた時点で、フライング4本。
訓練所に行かなければと言うことで、本編以外、いわば外伝をお届けします。
ミッドウェーに至る双龍世界のご案内です。
大甘で大穴ばかりですよ。
内容はサブタイトルのまま。
無事明治時代を乗り切った日本。
ロシアとはそれなりの友好国であり、日露戦争は起きなかった。
ただ、日露戦争が起きなかった故に史実では回収できたはずの山のような戦訓が手に入らなかった。
日清戦争はでは、ある程度近代戦の戦訓が回収出来た。
海軍は、単横陣に対する単縦陣の優位を示したがそこまでだった。
陸軍は、普通の戦いであり今までの戦場と同じだった。日本国内と違い広大な戦場には苦労したようである。
国家としては、国家間の近代戦は恐ろしいほどの人・金・物を消費するだけという貴重な経験をした。こんな経験はしたくなかっただろうが。
東郷ターンも無く、T字戦法は威力がどのような物か確認されていない。
実はちまたに知れ渡っているようにきれいには決まらなかった。
だが、英雄が必要な日本海軍はきれいに成功したことにした。報道に対して、敵に新戦法を使いきれいに嵌めましたぜ。英雄いますよ。通商破壊戦のことは忘れてください。お願いします。
東郷率いる第1艦隊はバルチック艦隊視認後、バルチック艦隊の運動に追随できず、変針と進路設定に失敗し砲戦には入れず。上村中将率いる第2艦隊がバルチック艦隊の進路を抑えることに成功。その間に第1艦隊が体制を立て直し戦法が完成した。
ただ、バルチック艦隊の将兵が長期の劣悪な環境での航海で疲弊していたことは、あまり知られていない。原因はいろいろあるがおおよそロシア側のせいである。
対して日本側は、訓練十分・休養十分・気合い十分である。同じ戦力なら負ける方がおかしいのである。
旅順攻略も無く、機関銃に突撃して大量の人死にを作ることも無く、堅固な要塞に対して突撃するだけの無策な軽装備野戦兵力では刃が立たないことも確認されなかった。
日本海で通商破壊戦をされ補足に失敗して、石を投げられることも無い。
海軍が日本海海戦の大勝利で、通商破壊戦の補足失敗を忘れてもらうことも無かった。
奉天会戦は無く、児玉源太郎が英雄になることも無かった。
秋山兄弟は活躍すること無く、ただの少し優秀な軍人だった。
東郷提督は、元帥にはならず変なことを時折言うただの身勝手なじいさんであった。
乃木将軍は、その軍事的能力の限界を知られること無く引退できた。
大量にねつ造された軍神達ももちろんいない。(注) 当然**神社も出来なかった。
そう言えば、この世界線では東照宮は無い。護国神社も無い。靖国神社も無い。
日清戦争後、戦死者・殉職者の慰霊をする施設が造られただけである。
死者の魂は皆、故郷に帰るのだ。
平和を満喫する日本国内では、明治天皇がお隠れになられた。1907年の夏だった。
次代の天皇が即位された。
年号は
大照 (たいしょう)
大いなる和をもって世を照らす、そんな思いが込められた年号だった。
天皇即位をきっかけにして、様々な事業や制度改革が行われた。
20才以上の男子全員に選挙権が与えられた。婦人参政権はまだである。
軍の指揮体系を見直し、軍の最高指揮権を持つのは内閣総理大臣とされた。それまでは明確な規定が無くあやふやであった。将来的に軍の暴走を防ぐ意味でも明確な規定が求められていた。
徴兵制が廃止され、完全志願制となった。軍・特に陸軍の抵抗が大きかったが、成立させた。しかし、これは後年ある理由で一時的に徴兵制が復活した。
義務教育の範囲が拡充され、小学校のみであったが中学校までとされた。当時各種学校制度があり、修学年限が様々であったが、これを機会に小学校6年・中学校3年と規定された。
義務教育として子供の修学を強制する代わりに、学費と昼食代は国が出すことにして、修学拒否を防いだ。
大照時代に行われた一連の事業や制度改革の中でも白眉とされたのが、鉄道改軌である。
日本国内では、明治以降鉄道が各地に引かれたが鉄道の起点をどこにするかで、おかしな、論争とも言えないほどの騒ぎが一部であった。
旧朝廷関係者からは、天皇陛下が日本で最高の権威と憲法で規定されているでは無いか。御座所のある京都が全ての鉄道の起点になるのは当然である。
いや、政治の中心で国会議事堂を始めとする政府施設がある大阪南部(浪速)が、起点となるにふさわしい。
京都案は京都人は皆賛成であった。大阪案も大阪人は皆賛成だが北の人間は気に喰わなかったらしい。まあ京都のすかした奴らが嫌いだから、仕方ない南なら許してやる。と。
そんな騒ぎに巻き込まれ疲れたのか、日本初の鉄道が大阪-京都間に敷設された時、上り下りでは無く大阪行き京都行きとされた。大照になっても上り下りは無く、目的地が示されるのである。
国内の鉄道は最初に敷設された大阪-京都の軌間が今の軽便鉄道程度であり、その後狭軌に変更された。国が管理する鉄道が多い関西では狭軌が主流だったが、私鉄の多い関東では平野部が多く敷設が楽と言うことで、輸送力に優れる標準軌が採用されることが多かった。これは多少建設費が高く付いても後で元が取れるという考えからであり、決して関西に対抗しているわけでは無いと思いたい。
つまり日本国内で軌間が統一されていないのである。一部の専用線で接続が無いなら問題も無いだろう。しかし、そこら中で駅として接続されている。これでは困るのである。軌間が違う度に載せ替えしなければいけない。著しい不効率で有り放置しておけばどれだけの時間的・金銭的な損害が出るかわからない。統一しようという動きは当然だった。
大照になりようやく意見が統一され、軌間は標準軌を採用となった。これは日清戦争のとき関東では荷の集まりが早かったが、関西では荷の集まりが遅かった。これを分析した結果である。ただ全国の鉄道の8割が狭軌で有り、私鉄各社は資金的・地形的な問題で改軌不可能と回答する所も多く、全てを国が管理する国家事業となった。一大国家事業である。
予算は日清戦争で得た戦時賠償金をもって当たることになった。ただ、この戦時賠償金であるがポンドやドルで支払われる額は多くなく農産物や地下資源での支払いが多くなっていた。清に外貨が少ないためやむを得すだが、支払いが滞ったり支払いがなされないよりはと言うことで認めていた。金額ベースでは条約の5%に届かず3%程度だが、清国の現状を見るにこれ以上払わせることは難しかった。外面は良かったが、内面はボロボロであった。国内宛でも支払いが滞る事も多く、無理に払わせれば国内が混乱し今以上に外交関係が難しくなることが考えられた。むしろ、清国の国内を発展させて分母となる国家予算を大きくしようという意見もあった。
しかし、改軌の費用にはなんとか足りるようであった。
改軌は用地買収など抵抗も多かったが、国家事業の名分を盾にややもすると強引に進められた。この事業により日本の土木建設技術は、飛躍的に向上した。また、今までは多くの場合、鶴嘴・ショベル・もっこの完全人力によっていた工事も欧米から土木機械を導入することでスピードアップが図られた。
軍艦や商船の造船は波及効果が周辺にしか及ばなかったが、これは全国規模での事業であり金額的にも地域的にも造船の比では無かった。この事業により日本の基礎工業力の上昇が製鉄・鉄道のみならず、ねじ・工具などにも波及し品質がかなり向上した。全国の港湾や道路も今まで以上に整備され、拡張や拡幅が相次いだ。全国的に景気が良くなった。戦争は勝てば儲かる、一部の人間にこのような危険な思考が生まれた。
日本全体が好景気に浮かれ始めていた。改軌事業は順調に進んでいくはずだった。
そのとき。
日本から遠く離れた、ヨーロッパはバルカン半島の西で一発の銃声が響いた。
(注)
軍神の件では、友のため、仲間のため、家族や故郷の名誉のため、国のためなど、様々な理由で困難な任務で命を落とされた方々を、批判したりおとしめるような意図はありません。
ただ、戦争をあおるために派手な記事として軍神を作った新聞社や作戦の失敗から目をそらさせようとして軍神を祭り上げた軍上層部が気に入らないだけです。
明治期の重要な事件の一つ、大津事件。
この世界線では発生していません。織田政権時代より友好国であり、妙な考えを持つに至らないからです。
東照宮が無いのは、徳川家康が征夷大将軍にならなかったため。そう言えば、秀吉の関係で聚楽第も無い。花の慶次と言う小説や漫画が世に出ない可能性も。そうすると、おとこ・おとこ言う歌も出ないね。




