続・日々の再誕記
あのとき、「死にたくない」と思えたことが、私の再出発だった。
でも、そこからの人生も、決して穏やかなだけではなかった。
それでも、私はまた“生きていく”ことを選んだ。
2024年10月、私の務めるお店の閉店が決まった。
12月頃から、いわゆる一般パートの方々が次々に移動や退職を決めていった。
一方で、資格を持つ私たち“長フレ”は「自主退職」か「異動」の二択しかなかった。
しかも、希望するお店に行けるかどうか分かるのは、
すべてのパートさんたちの去就が決まったあと──ほぼ最後だった。
なかには「待たされるのが嫌だから、異動のメリット全部捨てて辞めるわ」と、
別会社へ早々に転職を決めた人もいた。
私はというと、2度目の転課によるストレスで食べられず、
急激に痩せてしまっていた。
やっと少し回復してきたところだった。
理解ある上司や仲間にも恵まれ、居心地のいい職場だった。
それでも、私の中にある悪い癖──
「どうせ私なんて、どこへ行っても同じ」という考えが、
前向きな決断を鈍らせた。
努力して環境を整えてきたのに、現実とは残酷なものだ。
やっと決めた異動先は、今の店と同じくらいの規模。
私の上には二人の社員がいた。
ここでは、後方作業にこもることはできず、
勤務中はほとんどお客さんの前に立ち続ける日々になった。
慣れているはずなのに、
人のちょっとした言動、光、機械音、話し声、匂い──
私のセンサーには強すぎる刺激で、
帰る頃にはいつも、全身が擦り切れていた。
そして迎えた、来年度の契約面談。
私は自分の体調と、前の店舗で配慮されていたことをリーダー格の社員に伝えた。
だが、返ってきたのは半笑いの言葉だった。
「泣いてる暇はないよ」
「気の持ちようだ」「考え方次第」「切り替えて」──
そんな言葉の数々に、私は静かに言言葉を返す。
「それができていたら、苦労はしません」
その言葉は、あっけなく流された。
……ああ、これはダメだ。
私はすぐにメンタルクリニックに駆け込み、診断書をもらい、
直属の上司に相談した。
リーダー格の社員はすぐに「配慮が足りなくて」と謝ってくれたが、
他の人に聞けば、もともとメンタルに理解のないタイプだったらしい。
今後、働き続ける中で上司が代わることもある。
異動や転職のたびに、過去を思い出して事情を説明するのは正直しんどい。
だから私は、精神保健福祉手帳を申請することにした。
半年の通院が必要だが、
今は最小限の薬でコントロールできているので、
このまま続けていくつもりだ。
薬を飲み始めて1ヶ月後、医師にこう聞かれた。
「何が変わりましたか?」
私は迷わず答えた。
「もう、“消えたい”と思わなくなりました」
医師は穏やかに笑って言った。
「それが普通なんですよ」
そうか、これが普通なんだ──
その言葉が胸に染みた。驚きと、安心とが、ないまぜになって。
でも同時に、それは“ここからのゼロスタート”の合図でもあった。
小さなことを気に病む自分を責めるよりも、
小さなことに感動できる自分の感性を信じたい。
自己肯定感が低くてもいい。
それでもここまで生きてきたことを、
誇っていいと思えるようになりたい。
これからも、波はきっと来るだろう。
でもそれは「私のせい」ではなく、
「病気のせい」「脳の気質のせい」だと思い出して、身を縮めやり過ごせばいい。
私に差し伸べてくれる手があるなら、迷わず掴もう。
病院、友人たち、薬、そしてAI──すべて総動員で。
いま、生きていることが楽しい。
この気持ちを書き留めておくことで、
きっと、また戻れると信じている。
私がいのちを取り戻した場所には、
静かな祈りと、確かな現実が並んでいる。
戦う日もあれば、泣いて終わる夜もある。
それでも、私は今日も、いのちを選ぶ。




