【番外編】ある男爵令嬢の述懐
これで、完結です。
あの男爵令嬢のその後です。
私は貴族令嬢だったことがある。貴族令嬢といっても、男爵令嬢で、一年足らずの間だったが。
母はある男爵家のメイドだった。そこの若様の手が付き、私を身籠った。よくある話だ。
私を身籠った母は男爵家を辞めた。若奥様は母を援助してくれたが、私を出産し、働けるようになると、母は援助を断ったようだ。
しかし、気にかけてくれていたようで、私の誕生日と年越しの日には父と過ごせるようにしてくれた。私は自分が正式な両親から生まれた子ではないことは気づいていたが、父が貴族だと言うことは、知らなかった。
母が死んで、途方にくれる私を屋敷に引き取るよう父に勧めてくれたのは、男爵夫人となった奥様だった。
田舎男爵とはいえ、平民からいきなり貴族令嬢になった私はどうかしていた。何故か、王都にある貴族が通う学園に行かなくてはいけない衝動に駆られた。
今迄平民として暮らしていた私が高位貴族も通う学園でやっていけるわけがない。父も奥様もそれを心配していた。それに、学費や生活費の面も。それでも、なんとかやりくりをして、学園に編入させてくれた。
学園に編入した私はどうかしていた。今迄、想像すらつかない夢のような世界に浮かれていたのだろう。
何故か自分が騎士団団長の子息や高位貴族、果ては王子に伴侶として選ばれるべき人間だと思い込み、行動していた。
本当にそう思っており、そうなるべきだと疑うことなく、行動していた。
まるで、熱に浮かされたようだった。夢のような世界に酔っていたのかもしれない。
しかし、夢はいつかは覚める。私の場合、それは卒業パーティーの場だった。
私のあまりにも非常式な言動を危惧した侯爵嫡男が、父に手紙を出してくれていたのだ。お陰で私は大きな過ちを犯さずにすんだ。
卒業パーティーの場から、父に引き摺られて、私は退場した。
男爵家に連れて帰られた私を奥様は責めなかった。それどころか、謝られてしまった。貴族としての最低限のマナーさえ身についていない私を一人、王都の学園に編入させてしまい申し訳なかった、と。
私の醜聞は瞬く間に、社交界中に広まった。そんな娘、それも、夫が他の女に手を出してもうけた娘なのに、奥様は放り出さなかった。なんとか私が平民にならずに済む嫁入り先を必死で探してくれていたのである。相手は田舎騎士の嫡男だった。嫁入り先で肩身の狭い思いをしないように、破格の持参金も用意してくれていた。
「婆ちゃーん!」
幼な子が私のことを呼ぶ。
年老いた今でも、あの学園での出来事を昨日のことのように思い出す。全てが煌びやかな、あの、夢の中のような日々を。
私は奥様の探してくれた相手とは結婚しなかった。
貴族がダメでも、せめて騎士階級に、と言う奥様の心遣いに深く感謝しながらも、私は平民に戻ることにした。屋敷に出入りしていた農家の息子と結婚することにしたのだ。
父も奥様も腹違いの兄も、学園でのことは気にしなくていいと言ってくれたが、私自身、自分には貴族は向いていないと思い知ったのだ。
私の決心を知った奥様は泣きながらも、私達の幸せを願ってくれた。そして、結婚祝いとして私達夫婦が食べていけるだけの土地も分けてくれた。それからも、いろいろと援助をしてくれた。「私はあなたのお母様にはなれないけれど、あなたのお母様があなたにしたであろうことは、させて欲しい」と仰って。
「婆ちゃん!」
そう言って、幼な子が私の手を握る。私は重い瞼を開ける。大勢の人が私を囲んでいる。向こうには、今では立派な父親となった息子と嫁と孫たち。嫁に行った娘。そのさらに向こうには、亡くなったはずの夫まで。
夕陽が大地の向こうに沈もうとしている。今日も何事もない平凡な一日が終わる。
愛する夫と、やがて、子供、孫に囲まれて、この大地を耕して生きてきた。私は誰よりも幸せな人生を送ることができたことを感謝しながら、迎えに来てきてくれた夫の手を取った。
この述懐をした時には、既に男爵令嬢ではありませんが、敢えて「男爵令嬢」としました。
長い間、拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
全ての登場人物が幸せでありますように。