後編
後半です。
誤字や文章がおかしなところがあったので、訂正しました。
内容に変更はありません。
新学期が始まり、従兄弟の言う通り、一人の男爵令嬢が転入してきた。
ピンクのフワフワの髪、ウルウルした目。かわいい部類に入るだろう。しかし、当然、エレオノーラの敵ではない。
初日の放課後、従兄弟が教室に訪ねて来た。彼は「出来るだけ毎日、蛸壺を撫でるように」真剣に勧めてきた。そうすれば、災いを避けて幸せになれると言うのだ。馬鹿らしいと思ったが、たいそうな手間でもないし、従兄弟と会わない日は撫でなくても仕方ないと言う。あまりにも真剣なので、従兄弟の言うようにした。
彼女は最初、騎士団団長の子息に近づいた。彼は能力を筋力の方に多めに振り分けたらしく、少し短慮だが、顔も悪くない。もちろん、マナーもそれなりにはある。騎士道だかで、女性には親切だ。媚びているのが明白な男爵令嬢にも。周りで男爵令嬢の媚びに気づいていない人間はいなかった。ただ、彼が気づいていたかは疑問だ。男爵令嬢も「これは脈あり」と思ったに違いない。
しかし、彼には親が決めた婚約者がいた。彼は婚約者のことを「私のお姫様」と呼び、非常に大切に扱っていた。彼が唯一、認識して大切に扱っている女性と言ってもいいかもしれない。他はその他大勢だ。そんなわけで、男爵令嬢は親切にはしてもらったが、それだけだった。他の女性と同じ扱い。なんなら、男子学生と同じ。特別にはなれなかった。
何故なら彼は強い女性が好きだったから。目をウルウルさせて上目遣いで見てくる女性にはなんの魅力も感じなかったのである。彼の婚約者は女騎士を目指しているという。一度見たことがあるが、男装の似合う麗人だった。庇護欲を唆るようなヒロインとは逆に彼女に庇護されたい欲にかられる女性だった。あの子息、そう言う趣味だったのか。いや、人の趣味には口を出すまい。誰が迷惑をするわけでもない。両人が納得していれば良い話だ。
次にヒロインが目をつけたのが、宰相の子息だった。男爵令嬢は「突然、貴族社会に放り込まれて困っているんです」オーラを出して宰相の子息に近づいた。宰相の子息は学級委員だった。学級委員として彼女がクラスに馴染めるようにしなければ!宰相の子息は極めて紳士的に対応した。そして、極めて常識的に対応した。同じ学生として、適切な距離、言葉遣い、名前の呼び方、話題、などなど。決してヒロインと二人きりになることはなかった。必ず、誰か第三者がおり、物理的にも密室にならない場所で対応した。
「同じクラスの人間として、彼女がクラスに馴染めるようにと思って、彼女のおしゃべりにも付き合ってたんだが、彼女、学生なのに服や髪型、装飾品のことにしか興味ないみたいだ。せめて、本とか絵画とかに興味があれば少しは話ができたんだが。成績も良くないみたいだし、せめて勉強くらい見てあげられればと思ったんだけど。アンナと一緒じゃ嫌だ、二人キリじゃないと、と言うし。婚約者であるアンナとさえ二人キリなんて考えられないのに、常識が無いにもほどがあるよ。もう、私の手には負えない」
彼は勉学好きの努力家だ。故に相手にも努力を求める。彼の婚約者は成績は中の下くらい。けれど、図書室で一緒に勉強しているのをよく見かける。婚約者は一生懸命だし、そんな婚約者を見つめる宰相の子息の目は優しく幸せそうだ。
最初から二人の間に入り込む隙は無かったのだ。
学園の木陰で休んでいると、「王子は留学?ちっ、聞いてねーよ、話が違うじゃん」とヒロインが呟きながら通り過ぎて行った。木の反対側だったので私には気づいていないみたいだった。
王子の留学は、国民にも知らされていたはずだが。
従兄弟はスルーされた。当然だろう。もし、私がヒロインでもそうする。彼は学園にも「幸せを呼ぶ蛸壺」を抱えて来ている。この三年間で学友にも彼とはこう言う人間だ、と認知されている。故に誰も疑問に思わない。
「なあ、なんで蛸壺なんだろう?しかも、新品じゃなく、長年使用されたものだって言ってたぞ。実際、古そうだし」
共通の友人に聞かれるが、そんなこと、私にわかるわけがない。
蛸壺とはタコを捕獲する為の一種のワナだ。この国では食べないが、食べる国もあるらしい。蛸壺に入って捕獲されたタコは食べられる訳だから、殺されることになる。なんか、タコの怨念が篭っていて、幸福ではなくて不幸になりそうだ。
「やっぱり、遠い国から来た、長年使用と言う希少価値がいいんだろうか。綺麗な絵付けもなくて、素焼きで、清貧って感じのところもポイントか?まあ、実害は無さそうだし、ヤツも幸せそうだし」
こういうヤツが将来、「霊を寄せ付けない靴ベラ」とかを売るんだろうな。
「あの蛸壺、みんなが小銭を入れてたまったんで、明日、他の奴らも一緒に孤児院に寄付しに行くことになっている。これで、5度目だよ。あの蛸壺になってから。前のやつは8回くらい行ったかな?けっこう、みんな面白がって喜捨してる。まあ、小銭を入れたヤツは喜捨をして気分がいいし、結構な額になってるんで、寄付を受けた孤児院も助かる。それに、あいつが幸せそうに笑ってるのを見ると、こちらまで幸せな気分になるよ。みんな幸せで、やっぱりご利益があると思うよ?」
従兄弟はそれなりに愛されているようだ。
そう言うわけで、ヒロインは私にターゲットを定めたようだ。というより、私しか残っていない。私もヒロインには特に魅力を感じていないのだが。まあ、あのエレオノーラと比べれば、どんな女性にも魅力を感じなくて当然と言える。
しかし、同じクラスである以上、無視するわけにもいかない。席も隣だし。今迄のことを見ていたので、エレオノーラでなくても面倒に感じる。
ある日、教室を移動していると、廊下でエレオノーラと出会った。彼女は夢見るような表情で歩いている。なんて素敵な表情だろう。周りの学生も何を考えているのか、小声で話している。「ジョーンズ夫人の『主婦の心得』をお読みでしたわ。ハウスキーパー任せにせず、ご自分でも管理をなさるおつもりでは?」「ケリーの新作詩集をお求めでしたわ。今回は異国の自然への賛歌が素晴らしゅうございます」うん、彼女、料理や異国の食用作物のところしか、見てないから。
このままでは、柱にぶつかってしまう。私は彼女の前に立ち、両腕をそっと掴む。
「エレオノーラ、しっかり前を見て歩かないと危ないよ」
「エセルバート様、考えごとをしておりました」
そうだね。今日、我が家で晩餐を一緒にする予定だものね。リクエストされた子羊のローストはちゃんと出すから、安心して。
突然、例の男爵令嬢が私の名前を呼ぶ。
「エセルバート様、次の教室の場所、よくわからないんです。一緒に行ってください」
なんて令嬢だ。身内でもなく、婚約者でもない男の名前を呼ぶなんて。しかも、私の婚約者のエレオノーラがいる前で。特別な関係にあると彼女が誤解したら、どうする気だ!
エレオノーラがいるというのに、目をウルウルさせてこちらを見ている。
「エセルバート様、お願いします。私と一緒に行ってください。え、と、こっちの人は?あ、ライルさんだ」
目眩がする。彼女は伯爵令嬢、男爵令嬢のこの女よりずっと身分が高い。なんて無礼な娘だ。
しかし、エレオノーラはニッコリ笑って軽く会釈だけして行ってしまった。無礼なのを咎めるより、相手をするのが面倒だったんだな。周りの学生は「あんなに無礼なのに、咎めもせずになんて心が広いのでしょう」なんて言ってる。
ある日、例の男爵令嬢は遅刻してきた。昼休憩になり、エレオノーラに会いに廊下に出た。一緒に昼を食べる約束をしているのだ。
例の男爵令嬢が後ろから走ってきた。
「エセルバート様、頭が痛いんです。医務室に連れてってください」
と私の手に抱きついてくる。
「腕に抱きつかないでもらえるかな?それから、名前も」
「えー、しんどくて倒れそうなんですもの」
さっき、ここまで走ってきてたのを見たぞ。
運悪く、そこへエレオノーラが来てしまった。私を迎えに来てくれたらしい。なんとしてでも、この女を引き剥がさなくては!
「家族でもない異性の腕に掴まるなんて、はしたないと思わないのか?」
「しんどいのに」
口を尖らして上目遣いに見てくる。全く可愛くない。むしろ、醜いと思う。
エレオノーラは何も言わず、こちらを見てくる。従兄弟の話では気分が悪いため倒れそうなヒロインが男子学生(誰かはわからない)に支えられているのを、エレオノーラが理由も聞かずに「はしたない娘」と罵倒し、非難する場面があるらしい。
しかし、彼女が走って来たのを大勢の学生が見ている。この状況、エレオノーラは怒っていいと思う。常識的に許されると思う。周りの学生も非難めいた視線を男爵令嬢に送っている。
けれど、エレオノーラは悲しそうにこちらを見ながら「大丈夫ですの?」と言っただけだ。
私が他の女に抱きつかれていても、嫉妬してくれないの?嫉妬することすら面倒なの?
幸いなことに、補助教員が通りかかる。その教員に「しんどくて倒れそうな」男爵令嬢を任せた。周りの学生は「婚約者の腕に抱きつかれて、お嫌でしょうに。それでも、あの男爵令嬢を心配なさるなんて、淑女の鑑ですわ。あの、悲しそうなお顔、心が痛みましたわ」なんて言っている。あの「大丈夫?」は昼食が大丈夫かの確認だ。私が昼食のサンドイッチを持っていたから。
でも、好物だというハムサンドを譲ってくれた。私は愛されている!
ある日、エレオノーラと廊下を歩いていると、例の男爵令嬢が走ってきて突然転けた。こけた拍子に手に持っていたコーヒーがエレオノーラの制服にかかる。白い制服に大きなシミが!それより、やけどは?やけどは大丈夫なのか⁈
「エレオノーラ、大丈夫?やけどは?」
彼女は軽くうなづく。大丈夫と言うことか。けれど、制服がシミになってしまった。確か制服は予備があるはずだし、彼女の家の経済力からすると新たに購入するのは何の問題もない。けれど、まだ、朝。このシミの制服のまま、今日一日過ごさなければならない!
「痛ててててて。きゃ、せっかくのコーヒーが!」
一番にコーヒーの心配か。やけどさせたかもしれない心配とか、服にシミを作ったことに対する謝罪とかはないのか?
エレオノーラの方を見ると悲しそうな顔をしている。朝から制服が汚れたら気分も下がるよね。多分、メイドにシミの説明するのが面倒とか、思っているんだろうが、その説はとらないことにする。
「君、人にコーヒーをかけて、謝罪の一言もないのか?だいたい、熱い飲み物を持って走るなど、非常識だ」
まだ、言葉を続けようとしている私の服を軽く引っ張り、首を横に振るエレオノーラ。その姿も美しいよ。
しかし、首を横に振ると彼女は行ってしまった。こんな非常識な娘の謝罪を受けるのが面倒らしい。非常識な娘の謝罪は非常識だろう。それは私も面倒だな。
「以後、気をつけるように」
そう言って、エレオノーラの後を追いかけた。
結局、エレオノーラはマナー講座も兼ねた昼餐まではいたが、その後「気分がすぐれない」と早退してしまった。あの悲しそうな顔の理由は、汚れた服では昼餐に出席させてもらえないのでは、という心配だった。他の学生は「無理しておられたのだわ」「やはり、やけどしていたのでは」などと話していたが、私は「昼餐が終わったから」が理由だと思っている。食べたので、汚れた服のまま学園にいる理由がなくなったのだ。確認はしていないが、当たらずとも遠からずであろう。
そんな事が度々あった。その度にエレオノーラは何も言わず、少し困った顔をするだけだった。
このような感じで、ヒロインとされる男爵令嬢が色々と私や他の男子学生にしてきたが、誰も彼女に心惹かれなかった。事あるごとに彼女をイジメるとされていたエレオノーラもそんなことはしなかったし、逆に婚約者にちょっかいを出されながらも健気に耐える「悲劇のヒロイン」扱いされ、それでも相手を赦す態度に「淑女の鑑」とさらに評判が高まった。ただ、面倒くさいから相手にしたくないだけなんだと思うが、黙っていた。
反対にヒロインには非難の嵐だ。
「可哀想なエレオノーラ様、目の前で婚約者が他の女性に抱きつかれるなんて!それも男爵令嬢ごときに」
「それでも、婚約者を信じてじっと耐えている。ランドルトン卿、素晴らしい婚約者をお持ちだ。君が羨ましいよ」
「あんなことされて、相手を赦すなんて私には出来ませんわ。なんて、心の広いお方なんでしょう!」
「それに引き換え、あの男爵令嬢。馴れ馴れしくランドルトン様に話しかけているのを見かけましたわ。それもお名前で呼んで」
「まあ、私は宰相の御子息に迫っているのを見ましたわ。邪険にも出来ず、困っておられましたわ」
「あの歳まで平民として暮らしていたのだから、多少のマナー違反は仕方がないと思っていたが、酷すぎる」
「そのうち改善されていくだろうと思っていたが、改善されないどころか悪化していくとは」
そんなことが続き、学園主催のパーティー。もちろん、私は美しいエレオノーラと出席する。彼女の清楚さが引き立つ、漆黒の髪と同じ色のシンプルなドレス。みなが彼女を見て、ため息をついている。
従兄弟も婚約者を連れて出席していた。新しい蛸壺になっている。更新時期がきたらしい。今度のは「悪運を吸い取り、幸せになれる」仕様になっているそうだ。従兄弟はわざわざ、私やエレオノーラの身にこれから起こることを相談しに行ってくれたところ「それならば、と悪運を吸い取るようにもしてくれた」と嬉しそうにニコニコとしている。呆れた顔をしていたのか、「あの方は天才だからこそ、凡人の私たちには必要のないそのようなものを求められるのです。かの有名で偉大な数学者もオカルト研究をしていましたもの」と従兄弟の婚約者が言った。
従兄弟は真面目な顔をして、自分の前世の記憶のように婚約破棄になりたくなければ、その蛸壺を撫でるようにと私とエレオノーラに言った。そんな馬鹿馬鹿しいことを言う従兄弟にエレオノーラが呆れて私との婚約を破棄すると言い出すのではないかと心配になった。彼女の表情を確認しなければと思うが、恐ろしくてそちらを向けなかった。そんな私の目に、白い美しい手が映った。その白い手は迷うことなく蛸壺に伸び、それを撫でた。エレオノーラは真剣な顔をして、蛸壺を撫でていた。ひとしきり撫でたあと、私に向かって「面倒くさがらず、エセルバート様も、さあ、早く」と言った。「面倒くさいんですもの」が口癖の彼女が、面倒くさがらずに蛸壺を撫でたことを不思議に思いながらも、私も蛸壺を撫でた。
ドタドタとヒロインの男爵令嬢が入って来た。
エレオノーラの美しさに引き換え、遅刻してきた男爵令嬢は誰か指摘をしてくれる人はいなかったのだろうか?胸元の大きく開いたドレス。あそこまで開くと魅惑的ではなく、下品な感じしかしない。昔、子供の頃、下町を通った時、一度だけ馬車の中からあんな服を着た女性を見たことがある。一緒に乗っていた侍従に「あの女の人はどうして昼間からあんな格好をしているの?」と聞いた。母はデコルテを出すデザインのドレスは夜しか着なかったし、訪ねてくる夫人も昼は着ていなかった。侍従は「若様には一生、縁のない女です」と答えをはぐらかした。子供の私に質問されて侍従もさぞかし答えに困ったであろう。
その男爵令嬢がこちらに歩いてくる。嫌な予感しかしない。嫌な予感ほどよく当たる。彼女は私の前まで来ると、目をウルウルさせて上目遣いで、さらに胸を強調させる格好で言った。
「ひどいです〜。一緒に卒業パーティーに行って欲しかったのに。エスコートして欲しいって、お願いしましたよね。どうして聞いてくれないんですか?私、待ってたのに」
頭が痛い。
「その件はハッキリ断ったはずだ。私には婚約者がおり、彼女をエスコートするからと理由も言った」
「え〜、でも〜、私がエセルバート様と結ばれるって決まってるんです!」
その時、男爵令嬢が視界から消えた。それと同時に「申し訳ございません!」と言う声が。見ればあの令嬢の父親である男爵が娘の頭に手をやり、無理矢理、頭を下げさせている。
「とうちゃん、ひどい。せっかくの髪が、、」
「黙れ!バカ娘が!是非、王都でマナーを学んで立派な淑女になりたいからとお前が言うので、送り出したというのに!
侯爵令息の連絡を受けて来てみれば、田舎娘でもしないような無礼な行いを!
本当に申し訳ございません」
そう言うと男爵は令嬢を引きずって、ホールから出て行った。
エレオノーラはホッとした顔をしている。周りが小声で話している。
「エレオノーラ様、ホッとした顔をなさっているわ。当然ですわね。やっと、自分の婚約者に馴れ馴れしくする令嬢がいなくなったんですもの」
「全く、ひどい令嬢がいたものだ。ライル伯爵令嬢は驚きのあまり、声も出ないようだ。お可哀想に」
「今まで、よく我慢なさいましたわ。私なら、あんな女、罵ってやりましたわ」
「あら、私なら、相手にしませんことよ」
みんな、エレオノーラに夢見過ぎ。彼女は「さっさと退場してくれてよかった。長々と謝罪を受けなくて済んだんですもの。だって、真面目に謝罪を受けるって面倒くさいんですもの」と思っているに違いない。確認はしなかったが。
そんなことがあったりしたが、エレオノーラは断罪もされず、私は婚約破棄もせず、パーティーは無事に済んだ。
後日、従兄弟に「連絡してくれて助かったよ」と言ったところ、
「いや、私はエレオノーラ嬢に頼まれただけだよ。まあ、私もあの令嬢の振る舞いは目に余ると思っていたけど、第三者の私が連絡するのもどうかと思ってたところだったし、ちょうどよかったよ。しかし、私がしてよかったと思うよ。エレオノーラ嬢だとただの女性同士の諍いだと取られかねないし、家からすると大事になりかねない。私だと関係者でありながら、第三者でもあるからね」
と言っている、と傍にいた婚約者の公爵令嬢が通訳してくれた。
得意気に「この蛸壺が悪運を吸い取り、幸せを呼び寄せてくれたのだ」と、従兄弟は蛸壺を私の頭に置いた。「アホらし」と思ったが、従兄弟と彼に寄り添う婚約者の幸せそうな笑顔を見ていると、そうかもしれないと思えてきた。もしかしたら、違う結末があったかもしれないのだ。
エレオノーラと二人の時にどうして自分でせずに従兄弟に頼んだのか聞いた。予想通りの答えが返ってきた。
「知らない人に手紙を書くなんて、面倒くさいんですもの!」
それから、あの時、何故、面倒くさがらずに真剣に蛸壺を撫でていたのかも聞いた。
「どうしてそんなことを説明しなければならないんですの?面倒くさいから、説明いたしませんわ!」
と、顔を真っ赤にして私を睨んだ。
卒業をしてすぐに従兄弟は公爵令嬢と結婚した。向こうの両親が「学生結婚でも」と言うのを卒業を待ってもらっていたのである。
彼は結婚式の前日、お師さまを訪ねた。そして「もう、私に幸せになれる蛸壺は必要ありません。私は十分に幸せです」と言って、持っていた蛸壺を返した。お師さまは満足気に頷くと、突然、眩い光に包まれた。光が消えた時、どこにも姿が見えなかったそうである。従兄弟は「やはりお師さまは孤独な私を救いに来た聖人だったのだ」と言った。
思い返せば、彼は天才ゆえに孤独だった。みんな彼が好きだったが、誰も彼を理解しようとしなかった。「一人の人」としてではなく、「天才の人」としか見ていなかった。しかし、婚約者は彼を「一人の人」として理解しようと努めた。そして、結婚に至ったのである。
お師さまが消えた件であるが、私は奇術の類ではないかと思って、奇術師を連れて痕跡を探しにいったが、何も見つけられなかった。奇術師もそんな奇術は不可能だと言った。考えて見れば、姿を消す理由もない。あれからどんなに人を使って探しても、お師さまを見つけることはできなかった。やはり、本当に聖人だったのだろうか?
エレオノーラは従兄弟からの結婚祝いに、あの蛸壺が欲しいと言ったが、従兄弟はお師さまに返してしまって持っていなかった。彼の婚約者、今では彼の夫人がひとつだけ持っていた。「これは私達を結びつけてくれた蛸壺なのです」そう言って、結婚式の日に夫人は蛸壺にリボンを巻いて持ってきた。エレオノーラは幸せそうにそれを受け取った。蛸壺がどのように二人を結びつけたかは聞きそびれてしまって、未だに聞けていない。
やがて、私たちにも子供が生まれた。その子が大きくなり結婚して孫ができても、彼女は蛸壺のほこりを毎日払い、磨き、撫でた。それはもう、幸せそうに。でも、口癖は「面倒くさいんですもの」だ。
そんな彼女も私より先に向こう側に行ってしまった。こんな言葉を残して。
「面倒くさいけど、待っていてあげる。だから、安心して、ゆっくり来てちょうだい。」
エレオノーラ、大丈夫だよ。そんなに長く待たせなくてすみそうだ。もう、まぶたが重いから。もうすぐ行くから、もう少しだけ、待ってて。




