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前編

誤字など発見したので、訂正しました。

 自宅で寛いでいたところ、来客があった。天才と名高い変人の従兄弟だ。

 昔から常人には理解できない言動の男だったが、どこか憎めないところがあった。一族のほとんどは彼が好きだし、友人も多い。彼の言動に振り回されているだろう使用人さえも「若様、若様」と人気者だ。もちろん、私にとっても、大好きで大切な従兄弟だ。しかし、彼は昔から夢の国を行ったり来たりしている。

 案内も待たずに私の自室に来る。これはいつものことだ。

 「幸せになれる蛸壺」を抱えている。これは2か月前から抱えている。彼は昔から信心深い。変な方向に。何故蛸壺?と思うのだが、突っ込まない。突っ込んでも「お師さまがそうおっしゃっている」と答えるだけだ。経験済みだ。

 慌てたメイドがお茶を持ってくる。彼が大事そうに蛸壺を抱えているのを見て驚いているところを見ると、新人らしい。驚きながらも慣れた手つきでお茶を淹れるところや、学校出たてと言う年ではなさそうなところを見ると、どこかのお屋敷に勤めていたのだろう。まあ、蛸壺を抱えた客人なぞ、この家以外ではお目にかかれない。ある意味、貴重な経験をしたと思って欲しい。

 突然、部屋に入ってきた従兄弟は立ったまま、唐突に話し出した。

「私の前世の記憶によると、お前の婚約者は悪役令嬢だ。ヒロインに辛辣に当たり、酷いイジメをして断罪され、修道院に入れられる」

それだけ言って、帰って行った。出されたお茶も飲まずに。帰り際、「忠告したからな」と言って。

 ついに、夢の国に永住してしまったのか?


 ランドルトン公爵家の嫡男の私には婚約者がいる。ライル伯爵令嬢エレオノーラだ。

 漆黒の髪に紫の目、整った顔立ち。すらりとした手。残念ながら足はドレスで隠れて見えない。子供の頃の姿から想像すると、多分、すらりとしていると思われる。水晶の鈴の音を思わせる様な澄んだ美しい声。この世の考え得る全ての美を体現したら、彼女になるのだろう。

 性格だって悪くない。何事にも動じず、決して声を荒らげず、常に冷静。世間様からは淑女の鑑と言われている。そして、常に思索に耽っている。「あれは婚約者のランドルトン様のことを考えてらっしゃるのよ」「いや、先日、ラントの『帰納法の実践』を読んでいた。哲学の探求だろう」「違うわ、ソネットの公募の用紙をお持ちでしたもの。きっと、応募作を考えていらっしゃるのよ。どんな素敵な詩なのかしら、発表が待ち遠しいわ!」

 うん、みんな想像が豊かだね、けれど、どれも違うね。何しろ彼女は究極のものぐさ姫。驚くのが面倒、声を荒らげるのが面倒、話すのが面倒。故に思索にふけっている。耽っていれば、話しかけられない。話す必要がない。思索の内容は「いかに面倒なことを避けて暮らすか」だ。 


 ついでに言えば、公募の紙の裏には文字が書いてあった。店の名前と人気の菓子の名前がいくつか書いてあって、渡された。彼女が家に遊びに来るときに用意しておけ、と言うことだろう。もちろん、用意させるよ。食べたい料理の名前も。こんなところはこまめだ。

 こんな私の婚約者だが、小さな頃はこんなものぐさではなかった。


 初めて会ったのは、私が6歳、彼女が5歳の時だった。彼女は母親に連れられて遊びにきたのだ。その3ヶ月前に私達は婚約した。もちろん、親同士が決めた婚約だ。

 私の母親であるランドルトン公爵夫人と彼女の母親であるライル伯爵夫人は女学校時代の友人だった。全寮制の学校で三年間同室だと聞いた。父親同士も学生時代からの悪友らしい。

 母親のドレスから顔だけを出してこちらを見る彼女はとても可愛らしかった。絵本で見た天使は金髪だったけど、黒髪の天使もいるんだ、と思った。

 ライル夫人が彼女の背中を押して前へ出そうとするが、母親のドレスの裾を掴んでイヤイヤしている。なんて可愛らしいんだろう!

「息子のエセルバートよ。エセルバート、可愛らしいレディにご挨拶をして」

母親の指名を受けて彼女の前へ出る。

「レディ、ランドルトン公爵が長子、エセルバートです。どうぞ、お見知り置きを」

 彼女の母親のライル夫人が笑う。

「まあ、素敵なご挨拶をありがとう。エレオノーラ、練習したでしょう?どうするのだったかしら?」

半分、ドレスの陰に隠れながらも、

「ライル伯爵が息女、エレオノーラでございます」

そう言って、ちょこんと淑女の礼をした。なんて、可愛らしいんだろう!

 母が笑って、「まあ、素敵なレディですこと。お二人はあちらのテーブルでお茶をどうぞ」と少し先の四阿を指した。

 侍女に案内されてそちらのテーブルに着く。こんな可愛らしい子とどんな話をすればいいんだろう。とりあえず、もう少し自己紹介とかしたらいいのかな?そう思っていると、彼女の方から話しかけてくれた。

「あのね、エセルバート様、エセルバート様と私は結婚するの?」

「そうだよ。親が決めたとは言え、僕たちは婚約者だからね。大きくなったら、結婚するよ。そうしたら、君はアントン子爵夫人だ。僕が父の後を継いだら、ランドルトン公爵夫人になるよ」

 彼女は何かを考えているようだ。何を考えているんだろう?僕は子供達の集まるパーティーでは人気者だった。女の子達は僕を見ると競って挨拶してくれた。そして、話したがった。けれど、彼女は母親の陰に隠れるようにしていた。イヤイヤしていた。僕との結婚が嫌なのだろうか?不安になってくる。

 ちょこんと首を傾げて彼女が僕に質問する。

「子爵夫人って、何をするの?公爵夫人は?忙しい?」

僕は母の日常を思い浮かべる。貴族の夫人の主な仕事は社交だが、父は母にそういうことはあまり望んでいなかった。最低限の社交しか母はしていない。後は慈善活動が少し。

「大丈夫だよ。君が忙しいのが嫌なら、最低限の社交でいいと思うよ。母も最低限しかしてないみたいだし。だから、そんなに忙しくはないと思うな」

そう言うと、心底安心したような顔をした。

「よかった。お母様のお知り合いのローランド侯爵夫人は毎日のようにお茶会とか夜会にお出かけになるの。そんなにしなくていいなら、本当によかったわ。でも、最低限はしなければならないのね」

そう言って、ため息をついた。


 あれ?この頃から、片鱗があったのか?

 でも、彼女が可愛らしく、美しい私の婚約者なことには変わりない。

 

 学校に行く年頃になると、私の母親も彼女の母親も、自分達の出身の全寮制の女学校に行かせたがった。が、彼女は私と同じ学園に入学することを強く希望した。

「少しでも、エセルバート様と一緒にいたいのです」

ほんの少し、頬を染めて。

この言葉に両家の母親は騙された。

 騙されたという言葉は少し違う。本当に彼女は私と同じ学園に行きたかったのだ。

 そして、母親達の勧める全寮制の女学校に行きたくなかった。理由は単純明快。面倒くさいから。良妻賢母を育てる学校だ。色々と細かい規則がある。起床時間とか就寝時間とか、余暇の過ごし方に至るまで。

 彼女が私と一緒にいたい理由は楽だから。学校生活ではいろいろと面倒なことがある。自分で解決しないといけないもの以外は全部、私に丸投げしてくる。断ればよいのだが、惚れた弱みで引き受けてしまう。婚約者の頼みくらい快く引き受けるのが、漢というものだろう。


 入学してすぐに彼女は学生の噂になった。何しろ、ものすごい美人だ。成績だって、常に上位をキープしている。ほかの令嬢のように他人の噂話をしない。人を見下さない。そして、口数少なく、常に思索に耽っている。その横顔は非常に美しかった。もちろん、正面も。あの、夢見るような顔で、何を思っているのだろう!みな、噂した。

 彼女の婚約者である私は非常に羨ましがられた。公爵家嫡男である私の婚約者に手を出そうとする不届き者はほとんどいなかったが、誰に言い寄られても、困ったように少し憂いを含んだ笑みを浮かべて首を横に振るだけだった。それがまた評判になった。

 「面倒くさ、話しかけるな」と思っているんだろうなと見当がついたが、黙っていた。確かめるまでは確定しない。故に彼女の思索の内容はみなの憶測を呼んだ。


 従兄弟が言った時期になった。私の最終学年の最終学期だ。明後日から学校だと思うと、急に彼の言ったことが気になりだした。そこで、夢の国に移住した従兄弟を訪ねて話を聞くことにした。

「先日、お前が言っていた悪役令嬢だのと言う戯言をもう少し詳しく教えてくれ」

 彼は例の蛸壺を抱えて話し始めた。自室でも抱えているのか。彼の話によると、抱えて寝るらしい。

「教えてもらうのに、随分、威張ってるな。まあ、いい。

ライル伯爵令嬢は悪役令嬢だ。取り巻きと一緒になって編入してくるヒロインをいじめるんだ。持ち物を捨てたり、壊したり。貴族社会に慣れないヒロインを笑い者にしたり。あと、突き飛ばしたり。そして、最後には断罪されて修道院送りになるんだ」

さすが夢の国の住人。言っていることが支離滅裂でサッパリ分からない。まあ、それは移住以前からだが。

 彼の婚約者によると、なんと、彼には婚約者がいる。婚約を考えている女性がいると聞いた時、侯爵家嫡男の彼の地位目当てか?と疑い、警戒したが、相手は裕福な公爵家の一人娘。彼は婿養子に入り、侯爵家は弟が継ぐらしい。相手からの申し込みで、公爵ご夫妻は非常に彼を気に入っており、学生結婚も考えて欲しいとまで言われている。彼を説得してくれないか、と家に来られたこともある。令嬢とは相思相愛みたいだ。幸せそうで何より。

 話がずれた。元に戻そう。その婚約者によると、彼は天才なので答えが瞬時にわかってしまうとのこと。私達が、問題Aから解答Bを導き出す場合、過程1から過程2に行き、と繰り返して解答Bを導き出す。彼の場合もそれは一緒らしい。しかし、私達がひとつひとつやるのに対し、彼はこの過程を意識せずに瞬時にやってのけることができる。意識せずにやるから、人に説明するのが難しい。簡単な問題なら普通の人でも過程が想像できるので大丈夫だが、複雑になればなるほど、過程がわからないので聞いている人は唐突な印象を持つらしい。

 ここは私が誘導しながら話させるのがいいだろう。一問一答方式だ。

「待て、お前の言っていることは、サッパリ分からない。私が質問する。それに順序立てて話せ」

 昼過ぎに訪ねて行って、夕食を勧められる時間までかかって聞き出したのはとんでもない内容の話だった。


 従兄弟のソイツは前世の記憶があると言う。その記憶によると、ここは「乙女ゲーム」の世界だと言う。なんか恋愛を楽しむ女性向けのゲームらしい。なんで女性向けのゲームを男のお前が知っているのかとか、前世は女だったのかとか、いつ記憶があることに気づいたのかとか、気になることはいくつもあるが、無視する。

まず、ヒロインとは何者か?ヒロインというのはゲームの主人公の少女のことらしい。つい最近まで、平民として暮らしていたが、母親と死に別れて父親の男爵に引き取られて男爵令嬢になった。

悪役令嬢。これはヒロインをイジメる女性らしい。

そして、このヒロインの少女が私の通う学園に編入してくる。慣れない生活に戸惑いながらも一生懸命な姿に心惹かれる男子学生。特に仲良くなる五人。しかし、この五人はそれぞれ婚約者がいる。当然、婚約者としては面白くない。嫉妬から、この少女を虐めるのだが、学園主催の卒業パーティーの時にその行いを断罪され、婚約破棄される。虐めの事実により、罪を償うために修道院送りとなる。ヒロインは五人のうちの誰かと婚約する。


 なんだ、その妄想。正確には妄想なのかわからないが、妄想と呼ぶことにする。しかし、もう少しマシな妄想はできないのか?

 前世の記憶はいいとしよう。時にそんなことを言い出す人間がいることは知っている。

 「乙女ゲームの世界」って、なんだ?まあ、この世界自体、神の実験場だと言っている宗教家もいることだし、ゲームの世界というのも変わりない。それもスルーしよう。

 平民との間の庶子が引き取られて貴族になる、これは現実世界でもままある話だ。貴族になったのだから、学園に編入しても不思議ではないし、慣れない生活に戸惑うことも考えられる。しかし、なんでこんな卒業まで半年もないような時期に転入してくるのか?今迄学校に通ったことがないのなら、勉強のこともあるし、半年の間に家庭教師を頼んで学力をあげ、ひとつ下の学年に編入した方がいいのでは?

 婚約者がありながら他の女性に心惹かれる、これも恋愛小説の定番だ。実際にもあることだ。時に大スキャンダルになって、社交界を騒がせている。しかし、婚約者が嫉妬するほど態度に出すのは普通ありえないし、ダメだろう。そして、嫉妬に狂って、相手女性に何かをするのも。貴族の結婚は家と家の結びつき。それを壊すような振る舞いをしようものなら、婚約者の家から当人の家に苦情が行き、話し合いが持たれ、改善するよう促される。できなければ、その時点で男の方が有責で婚約破棄され、廃嫡とか放逐とか。婚約続行なら親の監視下の学園生活となる。侍女や侍従などの怖いお目付役がビッタリくっつく。現にそのような状態の学生が何人かいる。女の方がすれば自己都合退学して修道院に行くことが多い。婚約続行ならたいてい結婚まで領地で軟禁状態だ。

 それから、ヒロインと恋愛するという男子学生五人だが、その中にすでに隣国に留学している王子がいる。すでに話が破綻している。そして私と従兄弟も入っている。あとは騎士団団長の子息と宰相の子息と。

「殿下は留学されている。その恋愛対象に私とお前もいると言ったが、お前はどうするんだ?」

「私は大丈夫だ。この『女に惑わされない指輪』がある。この話をした時、ジョンがすぐさま、お師さまのところに行って、もらってきてくれたんだ」

 ジョンはコイツの侍従だ。同い年だが、キレ者でコイツが変なことをしないよう見張り役だ。

「エセルバート様には打ち明けますが、お師さまは私の武術の師匠なんです。以前、『女にモテるメガネ』を若様が購入されようとしたことがあって、旦那様と師匠に相談したところ、師匠を徳の高い聖人ということにして同様の物を若様に売ることにしたんです。価格が安すぎると疑問を持たれたので、聖人は私の知人なので割引価格で購入できるし、営利を目的としていないから、ということになってます。ええ、納得されました。たまに、お師さまとお会いになって、法話を聞かれることもあります。お金は実費以外、若様の名前で慈善団体や施設に寄付しています。旦那様も承知です。私が取りに行くのですが、最近は私がいなくても大丈夫なように、定期購入サービスという方法をとっています。3か月に一回、新しい物が届くんです」何年も前の話だ。

 あの指輪は臨時購入なのだろう。

 従兄弟は親切に俺にもありがたい指輪を勧めてきた。

「ジョンに頼んで、お師さまに指輪をもらってきてやろう。多分、割引価格で購入できると思う」

「いや、申し出はありがたいが、美人の婚約者がいる私はきっと惑わされないよ。それに、あのエレオノーラがイジメなんかするわけない」

「ああ、そうだな。思慮深く、冷静で天使のようなあの女性はそんな醜いことはしないだろうな。そんな婚約者がいるお前も惑わされることはないだろう。

けれど、少しでもヒロインに心を動かされることがあったなら、遠慮なく言ってくれ。ジョンにもらって来てもらうから」

ああ、何事も面倒なものぐさ姫はイジメなんかしないだろう。人を虐めるというのは結構面倒くさいと、私でも思うくらいだから。

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