第9話 健気で努力家な弟⑧
「……妙だな」
低い声が、重苦しい書斎に落ちる。
公爵――私の父は、机の上に広げられた書類を冷徹な目で見下ろしていた。
エドガーが処理した帳簿や外部への書簡。父はそれらを交互に指差し、短く断じた。
「同一人物による処理とは思えん」
指先で、書類の束を軽く叩く。
家庭教師が解任され、絶望の表情でエドガーが部屋を去った後も、私は父の指示でこの場に残されていた。
書斎の空気が重い。
窓の外では鳥が鳴いているが、ここだけは別の世界のように静かだった。
「リリアーナ。この案件、すべてエドガーが管理していたのだな?」
「……はい。そのはずですわ」
「そうか」
父は無言で、恐ろしい速度で書類を検分していく。一枚、また一枚。
「……筆跡がまるで違う」
父が二枚の紙を並べる。
一枚は、私が渡してしまったエドガーの記録。
もう一枚は、提出用に整えられた、非の打ち所がない清書。
「単に清書した、というレベルではない。文字の癖だけではなく、計算過程そのものが別人だ」
静かに、しかし確実に。小さな違和感が、父の手によって"組織的な不正"という形に組み立てられていく。
「側近を呼べ。関係者を洗う。……これは、ただの教育の問題ではない」
◇
後日。再び父の書斎に呼ばれた私の前には、再調査の結果が積まれていた。
「矛盾は偶然ではなかった。エドガーの裏で糸を引いていた者が判明した」
公爵は淡々と、しかし逃げ場のない事実を突きつけていく。
「調査の過程で、さらに重大な事実が発覚した。……収支が合っていないのだ。帳簿上の数字は整えられているが、実際の金庫の金が消えている」
父の指先が紙を叩く音が、裁判官の木槌のように重く響く。
「利益の一部が、人知れず外部へ流出している。……横領だ」
父の声には怒りがない。それがかえって、底知れない冷徹さを際立たせていた。
誰かがエドガーの“優秀な実績”を偽装する傍らで、家の金を盗んでいたのだ。
そして、エドガー自身が把握している数字と、実際に提出される帳簿にズレがあったことで、取引先への報告にも齟齬が生じていた。
「――レイナ・アルヴェルト」
父の低い声が書斎に響く。
その名を聞いた瞬間、書斎の空気が一変した。
エドガーの母であり、亡き母の後、この家の実務を一手に担い、父の後妻候補としても取り沙汰されていた女性。
ゲームでは、最終的に父の後妻となる人物だったはずだ。
「彼女はエドガーに"偽りの成果"を与え、その陰で家の資産を食い潰していた。エドガーは、彼女が私腹を肥やすための"隠れ蓑"にされていたわけだ」
私は言葉を失い、ただ立ち尽くした。
まさか、家を揺るがすほどの犯罪を暴いてしまうなんて。
「レイナ・アルヴェルトは、家の資産に対する重大な背信行為の疑いがある。直ちに身柄を拘束し、精査する」
父の声が落ちるたびに、状況は取り返しのつかない方向へと転がっていく。
それでもまだ、私の心のどこかには、エドガー自身は何も知らずに利用されていただけではないのかという考えがあった。




