第44話 みんなに愛される心優しいヒロイン④
あの大聖堂での祈祷演習の失敗以降。
ミレイアは、以前より明らかに大人しくなっていた。
お昼休み。
風の通り抜ける中庭の隅のベンチ。
「……はぁ」
本日何度目か分からない、深い溜め息。
ミレイアはテーブルに額を落とすようにうなだれた。
「……ミレイア、令嬢がそんな公共の場でそんな姿を見せるものではないわ。そんなにいつまでも落ち込むことかしら?」
「落ち込むよ! 大打撃だよ!」
がばっと勢いよく顔を跳ね上げる。
「だってあたし、聖女候補なのに、本番の光魔法の出力がヘロヘロのスカスカだったんだよ!? 全員の前で大恥かいた上に、最推しのレオ様に真正面から冷徹にガチ説教されたんだよ……っ!?」
当時の恐怖をリアルに思い出したのか、彼女は「うぅ……」と再びうめき声を出してテーブルに突っ伏した。
(本当に分かりやすい子だわ)
私はそんな彼女を見つめながら、静かに紅茶――ではなく、水の入ったグラスを口元へと運ぶ。
入学当初の彼女なら、こうして落ち込んでいれば周囲の生徒たちが我先にと駆け寄って慰めていただろう。
だが、今の彼女の周りには誰もいない。少し離れた席に座る貴族生徒たちが、腫れ物に触るかのような目でちらちらとこちらの様子を窺っているだけだった。
「でもさぁ……」
ミレイアが、テーブルに頬を押し付けたままぼそりと呟く。
「やっぱ努力してる子の方が、レオンハルト様って好きそうだよね」
一瞬だけ、私はグラスを持つ指先をぴたりと止めた。
「……さあ、どうかしらね」
「絶対そうだってば!」
ミレイアは再びがばっと起き上がり、拳を握る。
「超・完璧主義って感じだもん!」
……まあ、そこに関しては、間違ってはいないわね。
レオンハルトルートに入るにも、全てのパラメーターを上げなければいかなかったし。
「じゃあやっぱり、あたしもこれからはもっとちゃんとしなきゃだよね。レオ様に幻滅されたままで終わりたくないし!」
「ちゃんと、とは?」
「もっとこう、気品あふれる聖女っぽく!」
ぐっと両拳を胸の前で握りしめる。
「立ち居振る舞いとか、言葉遣いとか! そ……その、レオ様の横に立てる女の子になりたいし……」
最後の部分だけ、急に声が小さくなって顔を赤らめる。
(ああ、なるほどね)
私は内心でふっと冷たい笑みを浮かべた。彼女の"聖女としてのやる気"の源泉は、世界を救う義務感などではなく、あくまで王太子への純粋な恋心。そっちの方向というわけだ。
「ねえねえ、リリィってさ。昔から、ずっとレオンハルト様の婚約者なんだよね?」
「ええ、不本意ながら幼少期からの付き合いだわ」
「じゃあ、どうしたらレオ様に見直してもらえるかな?」
私は少し考えるふりをした。
「……最低限の礼儀作法や身だしなみ、伝統への敬意には人一倍厳しいわね」
「うっ……」
ミレイアの表情がみるみる引き攣っていく。
「あと」
私は、静かに言葉を続ける。
「……努力家は評価するわ」
「やっぱり! 努力家が好きなんだ!」
「才能に甘えず、ちゃんと努力しているのを見せることも重要よ」
ミレイアは真剣な顔で頷いていた。
「そっかぁ……じゃあもっとしっかりしなきゃ」
私の言葉を、本気で参考にしているようだ。
(本当に、根が素直で単純な子ね)
実に扱いやすいわ。
◇
数日後。
ミレイアは、本当にその行動を変え始め、そして奇妙な変貌を遂げていた。
「お、おはよう……ございますわ、皆様……っ!」
廊下で令嬢たちとすれ違う際、ミレイアは以前のような気さくな挨拶ではなく、ガチガチに硬い声音で声を絞り出した。
肩のラインに変な力が入りすぎて、ロボットのような動きになっている。
背筋も、物差しでも入っているのかというくらいに妙にピーンと伸びきっていた。
「ミレイア様……? 一体どうされたのですか、そのお姿は?」
「えっ!? い、いえ、 別に何もありませんわよっ!?」
彼女の姿は、どう見ても露骨な挙動不審そのものだった。
しかも、あろうことか放課後の廊下でレオンハルトと遭遇した際にも。
「レオンハルト殿下! 本日のご公務も、誠にお疲れ様でございます!」
彼女は必要以上に踵を揃え、ひどく不自然な角度で姿勢良く頭を下げた。
「……ああ」
レオンハルトは、彼女を見て、一瞬だけ怪訝そうにその端正な眉を寄せた。
けれど、お目にかかれた喜びで舞い上がっているミレイアは、その違和感に全く気づいていない。
「はい! あの……あたし、最近は心を入れ替えて、光魔法の鍛錬もしてます!朝もちゃんと起きてるし!」
「……そうか」
レオンハルトの反応は、相変わらず氷のように薄く冷たい。
だがミレイアは、殿下が自分の"努力の報告"に短い相槌を返してくれただけで、妙に嬉しそうに胸を撫で下ろしていた。
◇
「ねえ、なんか最近のミレイア様、無理してません?」
「王太子殿下へあんなに熱烈に話しかけるなんて、一体どういうおつもりかしら。身の程を知らないというか……」
昼下がりのサロンに響く、令嬢たちの冷ややかな声。
彼女への陰口は、日に日に露骨で容赦のないものになってきている。
ミレイアが必死に取り繕えば取り繕うほど、周囲の貴族生徒たちの評価は、むしろ以前より冷ややかで微妙なものになっていた。
元々のミレイアは、その“平民らしい無邪気さと物珍しさ”ゆえに、多少の不作法も周囲から大目に見て許されていた部分が大きかった。
だが、付け焼き刃の振る舞いと、あろうことか国の至宝である王太子へ執拗に近づき始めたことで、貴族社会の彼女を見る目はさらに厳しくなっていく。
(完全に空回りしているわね)
けれど、ミレイア本人だけは、少しだけ確かな手応えを感じているような輝かしい顔をしていた。
◇
放課後。夕暮れの帰り道。
「ねえ、リリィ!」
「なにかしら」
「今日さ、ちょっとだけレオンハルト様、前より長く会話してくれた気がする!」
「そう。それはよかったわね」
「やっぱり、地道な努力と礼儀作法って大事なんだね! あたし、もっと頑張る!」
隣で本当に嬉しそうに、無邪気に笑う。
そのあまりにも眩しい笑顔を見つめながら、私は心の中で、小さく目を細めた。
(……本当に?)
レオンハルトは、ああいうタイプを一番嫌う。
ただ自分の気を引くためだけに表面だけを取り繕った浅薄な努力も。
必死に好かれようとする魂胆が見え透いた態度も。
彼は、むしろ誰よりも冷酷に見下し、軽蔑するはずなのだ。
でも。私はわざわざ、そんな残酷な現実を口には出さなかった。
「……貴女がそれだけ一生懸命頑張っているんだもの。その誠意は、きっといつかレオンハルトにも伝わるわ」
私がそう言って微笑むと、ミレイアは「うん!」とぱっと顔を一層明るく輝かせた。
差し込む夕暮れの濃い橙色の光が、彼女の横顔を逆光で照らし出す。
その姿は、本人が信じるハッピーエンドとは裏腹に、本当にどこまでも危うく見えた。




