第43話 みんなに愛される心優しいヒロイン③
国家祈祷演習の日。
朝から学園全体の空気は、妙に張り詰めていた。
大聖堂へと続く大理石の回廊には、神官と教師が整列していた。
純白のローブが整然と列を作り、空間全体が恐ろしいほどの静粛さに支配されていた。
「なんかさ……思ったよりもずっと本格的っていうか、ガチな雰囲気だね……」
私の斜め後ろを歩くミレイアが、緊張に顔を強張らせて小声で呟いた。
「当然でしょう」
私は前を向いたまま、冷淡に声を返す。
「これは生徒たちの能力測定であると同時に、聖女候補であるあなたの適性を見極める、国を挙げた行事よ」
「うっ……」
ミレイアは分かりやすく首をすくめて怯えた。
だが。その危機感と緊張感を覚えるのは、少し遅い。
◇
聖堂の重厚な扉が開くのを待つ間、ミレイアが縋るような目をこちらに向けてきた。
「ていうかさ、聖女候補って、もっとこう……特別扱いされるものだと思ってたよ」
「特別扱い?」
「だって、ゲームだと聖女って、最初から“神に選ばれし絶対的な存在”って感じだったじゃん?」
私は小さく、呆れたように息を吐き出した。
「現実はそんなに甘くないわ。この国で“聖女候補”と呼ばれるのは、生まれつき光属性の適性が特別に高い者のことよ」
「……え? そうなの?」
「ええ。そもそも光属性の魔力を持つ人間自体が、この世界では希少なの。その中でも、実力を認められた者だけが正式な“聖女”として認定される」
ミレイアはパチクリと目を丸くした。
「じゃ、じゃあ……今のあたしって、仮免みたいな感じ?」
「そういうことね」
しかも、と私はさらに現実を突きつける。
「正式な聖女になるには、高位神官級の治癒魔法と、大規模な浄化術が必要なの」
「えっ」
ミレイアは露骨にたじろぎ、顔を引き攣らせた。
「……それ、めちゃくちゃ難易度高くない?」
「高いに決まってるでしょう」
私は小さく息を吐く。
「そもそも聖女は、ただの“神聖な象徴”じゃないのよ」
「え?」
「この国は、王家と教会が並び立つ形で成り立っているの。王家が軍事と統治を担い、教会が祈祷や結界を管理しているわ」
「うわぁ……」
「聖女は、教会が保有する最大級の戦力なの。だから王家も、候補者を本気で見ているの」
「急に胃が痛くなってきた。どうしよう……」
◇
通された大聖堂の内部は、圧倒的な静寂に包まれていた。
磨き抜かれた白い大理石の床。遥か高くにそびえる天井。
巨大なステンドグラスから差し込む陽光が、厳かな石床の上に色とりどりの万華鏡のような模様を描き出している。
聖堂の中央には、鈍い光を放つ巨大な魔法陣が刻まれていた。
今回の祈祷演習のお題は、各自の光属性魔法を陣に流し込み、国家結界の維持を想定した"浄化と結界の維持"を行うこと。
本来であれば、実戦経験を積んだ高位神官クラスが担当する難度の術式だ。
「では、演習を開始する」
担当教師の厳格な声が響く。
一等クラスの貴族生徒たちが、順番に魔法陣へと進み出て魔力を流し始めた。
魔法陣から立ち上る淡い光。波打つことのない安定した魔力の供給。
さすがに幼少期から英才教育を受けてきた上位貴族の生徒たちは、術式の扱いに手慣れていた。
「次」
ついに、神官長の声が空間に響く。
「――ミレイア・ルーン」
「は、はい!」
ミレイアが緊張でガチガチになりながら、前へと歩み出た。
その瞬間、聖堂内にいた全ての生徒、神官、そして視察団の視線が、一斉に彼女へと集中した。
平民出身の、世にも珍しい聖女候補。
そして最近、学園内で身の程知らずに悪目立ちしている妙な少女。
期待と好奇心、その両方が混じった空気だった。
ミレイアは巨大な魔法陣の前に立ち、大きく深呼吸をする。
けれど、差し出された彼女の指先が、極度の緊張でわずかに震えているのが遠目からでもはっきりと分かった。
「――光よ……!」
彼女の声と共に、魔法陣に魔力が流し込まれる。
一瞬だけ、眩い淡い光が陣の上に広がった。
……が、次の瞬間。
「……弱いな」
見学席の誰かが、ポツリと冷ややかに呟いた。
彼女の放つ光の障壁は、素人目に見ても明らかに不安定だった。
激しく明滅し、揺らぎ、光の粒子が制御を失って周囲へと散っていく。
神殿が用意した高度な術式の歯車へ、彼女の魔力が上手く噛み合っていないのだ。
「え、あれ……?」
ミレイアの顔が、みるみるうちに焦りに染まっていく。
「落ち着け、ルーン」
担当教師が鋭い声を飛ばす。
「術式の軸をしっかりとイメージして維持しろ」
「は、はい……!」
だが、焦れば焦るほど、彼女の元々の雑な魔力操作はさらに乱れていった。
光は急速に輝きを失って薄れていき――。
――パキン。
ガラスが割れるような鋭い破裂音と共に、魔法陣の一部が完全に弾け飛んだ。
「っ!?」
聖堂内に、一斉に騒然としたざわめきが駆け巡る。
術式の完全なる強制停止。最悪の失敗だった。
「……今の、本当に聖女候補の魔法?」
「出力が不安定すぎませんか?」
容赦なく浴びせられる、ひそひそとした嘲笑の声。
ミレイアの顔から、一気に血の気が引いて真っ青に染まっていく。
「ご、ごめんなさい……」
消え入りそうな小さな声で謝りながら、彼女は唇を強く噛み締め、床を見つめて立ち尽くした。
その小さな肩が細かく震えている。
(……これは、まずいわね)
私は群衆の後ろで、静かに目を伏せた。
これは単なる演習の失敗ではない。国中の重鎮たちの前で"聖女候補として疑念"を植え付ける、致命的な失態だ。
「ミレイア」
その場を凍りつかせるような、圧倒的な威厳を持った声が響いた。
現れたのは、レオンハルトだった。
「……は、はい」
「お前、普段どれだけ鍛錬している?」
「え……」
ミレイアは図星を突かれ、一瞬で言葉に詰まった。
「生まれ持った光属性の適性さえあれば無条件に聖女になれるほど、この国は甘くない」
冷たい声音。その威圧感に、周囲の人々も息を呑んで静まり返る。
「民の命を背負う覚悟も、それを支える最低限の努力すらしていないというのなら――お前がここにいる意味などない」
「っ……」
ミレイアは完全に返す言葉を失い、深く俯いた。
本当に、何も言い返せないほどの正論だった。
「……申し訳、ありませんでした」
今にも泣き出しそうな、消え入りそうな声。
その痛々しい姿を見つめながら、私は隣に立つレオンハルトの横顔を静かに見上げた。
(相変わらず、一切の容赦がない男だわ)
聖女は教会だけのものではない。国の最高防衛戦力としての側面を持つ以上、王家にも当然、管轄の権限がある。レオンハルトはそれを誰よりも理解しているのだ。
それゆえに。彼の言っている指摘自体は、これっぽっちも間違っていなかった。
◇
演習が全て終了した放課後。
ミレイアは聖堂裏にある人気の無いベンチへ座り込み、完全に魂が抜けたように沈み込んでいた。
「やばい……やばすぎるよ……」
両手で頭を抱えながら、ぶつぶつと呪文のように呟いている。
「ねえ、リリィ……あたし、聖女候補を取り消されて、そのまま国外追放されたりしないよね?」
「まだそこまではいかないでしょう」
「“まだ”って言った!?」
彼女は涙目で、半泣きになって私に縋り付いてきた。
「最近本当に何をやっても空回りばっかり……」
彼女は膝に顔を埋めてうずくまる。
「なんでゲームみたいに、上手くいかないの……」
ぽろりと彼女の口から漏れた、転生者としての本音に、私は少しだけ目を細めた。
(ゲーム、ね……)
ミレイアはまだ、心のどこかでこの世界を“物語”として見ているのだ。
だから、失敗してもどこかの選択肢をやり直せば、取り返せると思っている。
でも。本物の現実は、そこまで優しくもなければ甘くもない。
「ミレイア」
「……うぅ」
「少なくとも、今のままだと厳しいわ」
「ですよねぇ……」
「レオンハルトの言うとおり、圧倒的な努力不足なのは事実だもの」
ぐさりと、彼女の胸に分かりやすく突き刺さったような顔をする。
「でも」
私は彼女の隣に腰掛け、静かに言葉を続けた。
「まだ、取り返しのつかない段階ではないわ。今から挽回すればいいのよ」
「……ほんと?」
「ええ」
私はゆっくりと頷き、彼女の目を見据える。
「私も手伝うわ。一緒に練習しましょう」
「うわぁ〜ん!! リリィ、大好きぃぃ!!」
ミレイアは一気に笑顔になり、私の身体に抱きついてきた。
「レオ様の次に?」
私がいたずらっぽく笑うと、ミレイアは顔を真っ赤にして慌てて離れた。
「ううう……からかわないでよ……」
怒ったふりをして、それでも嬉しそうに笑うミレイア。
けれど、ミレイア。
あなたは……本当に分かっているの?
もしあなたが、原作通りにレオンハルト殿下と結ばれてハッピーエンドを迎えたその時。
彼の不必要な"婚約者"である私は――一体どうなってしまうんでしょうね。




