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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【450万PV感謝】  作者: 星渡リン
第3部 第4章 小さな家は悪役にしやすい

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第73話 家格の足りない責任

 未定欄は、いつも小さい家のそばで口を開けている。


 セレフィーナは、机の上に置かれた追加調整表を見下ろした。


 整った線。丁寧な文字。余白まで上品な紙。

 その端にある「使者受け入れ」という一行へ、目が止まる。


 たった一行。


 けれど実際には、深夜に門番へ指示を出し、寝入った料理人を起こし、馬房の空きを確認し、翌朝には帳簿と宿泊名簿を突き合わせる仕事だ。その重さを、王都のペン先は少しも知らない。


「こちらの未定分につきましては、実務に明るい家へ一部ご協力いただければと」


 王都側の補佐役が、穏やかに言った。


 柔らかな声の中に、相手の喉元を正確に狙う冷たさが透けて見える。親切のふりをした、洗練された絞め技だった。


「フォルク家は地方実務にお詳しいとうかがっておりますし」

 年長の婦人が続ける。

「土地勘もおありでしょう? こうした細かな確認は、現場に近い方のお力が頼りになりますわ」


 イレーネは答えなかった。


 紙の上を、指先だけが動く。

 ばらばらだった空白が、補佐役のペン先一つで、フォルク家という名前の下へ黒い塊となって積み上がっていく。


 あれは分担ではない。

 誰も持ちたがらないものを、小さい家の足元へ掃き寄せているだけだ。


「追加の宿泊確認は、フォルク家へ仮に」

 補佐役が筆を走らせる。

「神殿側の控えも、地方側の実務確認と合わせた方が早いでしょう」

「名簿照合も同じ窓口で済ませられますわね」

「当日の不足分も、動きやすい家が見てくださると助かりますもの」


 フォルク家。

 またフォルク家。


 余った荷物を置く棚のように、その名が使われていく。


 一方で、王都寄りの大きな家へ回される紙は軽やかだった。

 来賓への挨拶。王都側代表との歓談。神殿儀礼の見届け。

 失敗しても経験になる役。後日、家の名誉として語れる役。紹介文へ麗しく書ける役。


 フォルク家へ渡されるものは、成功しても誰も覚えない。

 失敗した時だけ、まっ先に名前が燃える。


「大きな役ではありませんし」

 補佐役はにこやかだった。

「むしろ、融通の利く家にお願いした方が、全体としては円滑かと」


 融通。


 セレフィーナは、その言葉を舌の上で転がした。

 押しつける側が、自分の手を汚さずに相手の時間を奪うための、柔らかい布。


 イレーネが、ようやく顔を上げた。


「確認いたします」

 声は低い。

「今お話に出た未定業務のうち、フォルク家に仮置きされたものは五件です」


 そこで、王都側の補佐役は返事をしなかった。


 手元の資料の端を爪で弾く。


 ぴしり。


 乾いた音が、イレーネの言葉を取るに足らない雑音として室内に響かせた。


 イレーネの声は揺れない。


「それらは、不備が出た場合に最初の確認先となる業務です」


「責任というほど大げさなものでは」

「では、初動担当を明記してください」

「そこまで細かくしますと、かえって」


 補佐役は言葉を濁した。

 もう会話で返す気がないのだろう。爪がまた紙の端を弾く。小さな音のたびに、周囲の何人かが視線を落とす。


 笑い声はない。

 その無関心が、いちばん露骨だった。


 王都側の婦人が、扇を閉じた。

 揃いすぎた乾いた音が、宣告のように響く。


「フォルク家のお嬢様は、本当に細やかでいらっしゃるのね」

 褒め言葉の形をしている。

 中身は違う。

「ただ、こうした親善の場では、多少の余裕も必要ですわ」


 イレーネは口を閉じた。


 代わりに、控えの余白へ短く書き込む。

 件数。担当案。発言者。

 感情ではなく、記録を積む手つきだった。


 その横顔に、セレフィーナはかすかな熱を覚えた。

 イレーネの視線には、戦場で同じ泥を被る者を見つけた時のような、冷徹な信頼が宿っていた。


「それに、フォルク家ほどの規模でしたら」

 別の年長者が、何でもないことのように言った。

「表に立つより、実務で支えていただいた方が双方にとって穏当でしょう。多少負担が寄っても、大きな問題にはなりませんわ」


 大きな問題にはならない。


 問題がないのではない。

 問題として扱わなくていい家だと、そう言ったのだ。


 セレフィーナは笑った。


 にこりと。

 相手が安心するには少し冷たい角度で。


「そうですの」

 彼女はゆっくり言った。

「目立つ問題にはならない、ということですわね」


 年長者の笑みが一瞬だけ固まる。


「いえ、そのような意味では」

「では、どういう意味かしら」

 セレフィーナは声を荒らげない。

「負担が寄っても大きな問題にはならない、というご発言でしたから。確認しただけですわ」


 王都側の補佐役が、居心地悪そうにペンを置く。

 その音が、ひどく耳障りな耳鳴りのように室内に残った。


「アシュクロフト侯爵令嬢、こちらはあくまで仮の調整でして」

「ええ。仮の調整だからこそ、言葉を正確にしておくべきでしょう」

 セレフィーナは追加調整表の端を押さえた。

「あとで“そのつもりではなかった”と言われると、現場が困りますもの」


 会合は、その後も何事もなかったかのように続いた。


 王都寄りの家には来賓対応。

 大きな家には神殿側代表との同席。

 ルベール家には交流時の案内と紹介補助。

 フィオナの名は、また前に近いところへ置かれる。


 そしてフォルク家には、追加確認と現場対応が積まれた。


 紙の上では、すべてが「適材適所」に見える。

 けれどその適材は、なぜかいつも火消し役の席に置かれている。


 休憩のために人が動き始めると、ノアがセレフィーナの横へ寄った。


「大きい家は名誉を取り、小さい家は責任を取る」

 小声だった。

「ずいぶん親切な親善ですね」


 セレフィーナは表情を変えない。


「ええ」

 追加調整表から目を離さずに答える。

「親切すぎて、吐き気がするわ」


 ノアが、フォルク家の欄を指先で軽く叩く。


「これ、後で燃えますよ」

「燃えるでしょうね」

 セレフィーナは言った。

「ただし、燃える場所はこちらで決めるわ」


 イレーネが、自分の控えを見下ろしたまま、ぽつりと呟いた。


「……不備が出れば、最初に呼ばれる位置ですね」


 誰に向けた言葉でもなかった。

 それでも、セレフィーナの耳にははっきり届いた。


 彼女は返事をしない。


 代わりに、赤インクの蓋を開けた。

 金属の小さな音が、机の上で乾く。


 フォルク家の欄の横に、セレフィーナは短く書き込む。


 初動担当とする場合、当該業務の決定権限および差止権限を同時に付与すること。責任のみの仮置き不可。


 ペン先が紙を削る。

 赤いインクは、繊維を切り裂くように深く沈んだ。


 ノアが愉しそうに目を細める。


「それ、前に出ている大きい家の予定まで止められますね」

「責任を渡したいのでしょう?」

 セレフィーナはペン先を上げる。

「なら、権限も渡してもらわないと」


 赤い文字は、フォルク家の名の横でひどくよく目立った。


 セレフィーナは乾かない赤を見つめる。

 紙の白に、じわりと滲みが広がっていく。


「さあ」

 彼女は小さく笑った。

「今度はあなたたちが、自分たちの名誉がどれだけ燃えやすいかを知る番よ」

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― 新着の感想 ―
>「今度はあなたたちが、自分たちの名誉がどれだけ燃えやすいかを知る番よ」 これからスカッとが始まるのですね。次話が楽しみです。
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