第44話 この子を外せば丸く収まる
学園から届いた封書は、思っていたよりずっと薄かった。
王都屋敷の会議室で家令がそれを差し出した時、セレフィーナは封の色を見ただけで眉を寄せた。学園の印。宛名はエステル・ヴァレニエ伯爵令嬢。
「ここで開けて」
エステルは短く頷き、封を切る。
紙を開き、数行追って、指が止まった。封筒の端が、知らないうちに少しだけ折れる。
「どこ」
セレフィーナが手を出すと、エステルは黙って渡した。
真ん中に、よく磨かれた刃物みたいな一文があった。
貴女の誠実な働きは、ときに場の調和を損ないかねないとの懸念があり、しばらく役務の一部を他の者へお任せいただくのが望ましいと判断いたしました。
慇懃な言葉の並びが、かえって吐き気を誘う。
怒る間もなく意味がわかってしまったせいか、エステルの声は砂みたいに乾いていた。
「……来ましたか」
ノアが横から覗き込み、鼻で笑う。
「よく練られたゴミですね」
セレフィーナはそのまま紙を机に置いた。
握り潰す代わりに、インク瓶の蓋を静かに開ける。
「断れば?」
セレフィーナが問う。
「配慮を受け取れない人になります」
エステルは平坦に答えた。
「受ければ、円満に役目を譲ったことになるのでしょう」
会議室の端で、ミレイアが息を詰めた。
「……それ、いちばん嫌です」
膝の上で組んだ指先が白くなる。
「責められるなら、まだ違うって言えるのに。こういうの、断る方が悪く見えるから」
「ええ」
ノアが軽く頷く。
「断ればわがまま、受ければ追放。きれいに作ってあります」
セレフィーナは手紙をもう一度見た。
役務の一部を他の者へ。
その一文に細い線を引く。
「で、代わりに入るのは誰」
ノアがすぐに別紙を探る。
「正式名はまだありません。ただ、候補の走り書きはある」
「見せて」
差し出された控えを見たセレフィーナは、片眉を上げた。
「……なるほど。帳簿も読めない子を座らせる気?」
「座らせたいんでしょうね。読む子じゃ困るので」
「結構」
そこでセレフィーナは薄く笑った。優しくはない笑みだった。
「せっかく“ご配慮”いただいたんですもの。こちらも礼を尽くさないと」
ノアが目を細める。
「どう返します?」
「学園長宛てに公式文書を出す。アシュクロフト侯爵家の名代として」
セレフィーナはさらさらと言う。
「まず、この配慮に至った客観的資料の提出を求める。評価記録、手続き、役務移動の基準、代任候補の選定理由。ぜんぶ公文書で」
「いいですね」
「それから、この手紙の控えは侯爵家と領地に残す。学園側記録室にも回すわ。内々で済ませるつもりなら、最初から諦めてもらいましょう」
ノアはもう新しい紙を引き寄せていた。
リズは言われる前に控え用の箱を開け、封蝋と記録紐を机の端へ揃える。
ミレイアも立ち上がっている。
「ラドフォード書記司祭の文言、もう一度洗います。手紙の表現と重なる箇所があるかもしれません」
「お願い」
「はい」
エステルだけが、まだ少し動かない。
セレフィーナは彼女を見る。
「あなたは座って」
「ですが」
「今は説明しなくていい」
セレフィーナはきっぱり言った。
「説明するのは、外そうとした側よ」
その一言で、エステルの背筋がわずかに震えた。
けれど次の瞬間には、彼女も自分の手元へ紙を引き寄せている。
「なら、評価欄の写しを出します」
「ええ」
「曖昧語が増えた時期も並べます」
「助かるわ」
ノアがペン先を確かめながら、ふっと笑った。
「お嬢様、広報官室に流すつもりでしょう」
セレフィーナは顔も上げない。
「あなた、もう済ませたわね」
「ばれましたか」
その声はいかにも愉快そうだった。
「先ほど“誤配”の手配をしてきました。午前のうちに滑り込めば、午後には王都じゅうがあの選定基準の中身で盛り上がります」
「上出来」
セレフィーナは便箋の冒頭を書き捨てる。
「だったら、あの人たちの大好きな“相応しさ”を、笑い話に変えてあげましょう」
ペン先が紙を掻く音が、静かな会議室に鋭く走った。
そのあとから、ノアの低い笑い声が追いかけた。
第2部第2章までお読みいただき、本当にありがとうございます。
この章でいちばん描きたかったのは、舞台のまんなかで起きる華やかな出来事ではなく、その舞台を何食わぬ顔で回してしまう「紙の上の悪意」でした。
誰かが悪役にされる時って、噂や空気だけでは済まないんですよね。
曖昧な評価語、責任のぼやけた手順、見えにくく分散された負担。
ぱっと見ではただの事務処理に見えるのに、気づいた時にはちゃんと誰かが外される形になっている。
今回ずっと書きたかったのは、そういう書類の隙間に隠れた静かな地獄でした。
正直、派手な章ではなかったと思います。
でも私はこういう、静かに進む胸糞悪さと、そこへ実務で刃を入れていく感じがとても好きで……。
だからこそ、この物語らしい章になった気がしています。
そしてこの章では、ようやく第2部の面白さがはっきり見えてきました。
構造を暴くセレフィーナ。
そこに火をつけるノア。
正しい数字で殴るエステル。
さらに、言葉の流れの奥にある「手」を見ようとし始めたミレイア。
この四人が揃って動き出したことで、私自身も「ああ、ここを書きたかったんだ」と手応えを感じながら書いていました。
最後に届いた、あの穏やかな文面も、かなり嫌な形にできたかなと思っています。
露骨に責めるわけではない。失敗とも書かない。
そのくせ、読む側にだけはきっちり「あなたはここから外れてほしい」と伝わる。
ああいう“やさしい顔をした排除”って、むき出しの敵意よりずっと厄介で、ずっと逃げにくいんですよね。
でも、相手が礼儀正しく文書にしてくれたなら、こちらも礼儀正しく返すだけです。
次章からは、見抜くだけで終わらず、その仕組みそのものへ本格的に手を入れていきます。
穏便に押し出してくるなら、こちらは完璧な手続きで押し返す番です。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
感想や応援に、いつもたくさん力をいただいています。
次章の「茶会」という名の戦場も、見届けていただけたらとても嬉しいです。




