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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【350万PV感謝】  作者: 星渡リン
第1部 第6章 次の舞台は、自分で作る

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第34話 悪役は、最初から必要なかった

 会場に落ちた静けさは、先ほどまでの祝賀の気配をかすかに残したまま、奇妙な形で張りつめていた。


 誰も声を荒らげてはいない。

 それでも、もうこれはただの舞踏会ではなかった。


 磨かれた床の上で燭台の灯が揺れている。壁際の貴婦人たちは扇を半ばで止め、若い令息たちは互いに目配せしながらも、誰一人として先ほどまでの軽い笑みへ戻れていない。


 セレフィーナは会場の中央で、視線を逸らさずに立っていた。


 周囲はまだ待っている。


 侯爵令嬢が、ここから冷ややかに言い返すのではないか。

 あるいは、いっそ感情を露わにしてくれれば、そこへ皆で意味を与えられるのに。


 そんな期待とも願望ともつかないものが、薄く漂っている。


 けれど、セレフィーナはそのどちらにもならなかった。


「まず、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


 彼女の声は静かだった。

 静かであるぶん、かえってよく通った。


「私は今宵、何を問われる立場なのでしょう」


 高位司祭の目元が、わずかに動く。


 セレフィーナは続けた。


「私に何か落ち度があったと仰るのであれば、どの言葉が、どの振る舞いが、誰に対する、どのような害であったのか。順にうかがいたく存じます」

「アシュクロフト嬢」

 司祭は穏やかな声音を崩さない。

「今宵は、糾弾のための場ではございません。若い方々の行き違いがございましたなら、それを整え」

「でしたら、なおのこと明確にいたしましょう」


 セレフィーナは、相手の声へ滑り込むように言葉を置いた。


「学園側からも、先ほど“お話を整える”とのお言葉がございましたね」


 彼女はゆるやかに顔を巡らせ、先ほど口を挟んだ壮年の貴族を見た。


「では、閣下」


 会場の視線が、その男へも集まる。


「私が、いつ、どこで、誰に対して、どのような害をなしたのか。今ここで、順にお答えくださいませ」


 男は一瞬、口を開いた。


 だが出たのは意味を持たぬ息だけだった。


「それは……空気というものが」

「ええ」


 セレフィーナは頷いた。


「まさに、その“空気”なのです」


 その一言で、会場のざわめきがわずかに色を変えた。


 セレフィーナは、もはや男から目を外さなかった。


「私は、侯爵令嬢です。婚約者候補でもありました。そして、おそらく多くの方には、冷たく、厳しく見えたのでしょう」

 一拍置く。

「ですから、私を悪役の位置へ置くのは、さぞ都合がよかったのでしょうね」


 今度こそ、会場の空気がはっきり揺れた。


 反論しづらい。

 それでいて、否定すればするほど痛いところへ触れる言い方だった。


「侯爵令嬢であること。婚約者候補であること。厳格に見えること。少し笑わなければ、それだけで冷たい人間に見えやすいこと。そうしたものが揃っていれば、私は“そういう役に置きやすい人間”に見えたのでしょう」

「そのような決めつけは」

 男はようやく声を絞った。

「誰も、あなたを最初から悪役にしようなどと」

「本当にそうでしょうか」


 セレフィーナの声音は変わらない。


「ではもう一度うかがいます。私は、明確な侮辱を口にいたしましたか。誰かを陥れるための嘘を流しましたか。学園の規律を乱すような行いを、公にいたしましたか」

「それは……」

「お答えになれないのですね」


 その言葉は、剣のように鋭いわけではなかった。

 けれど逃げ道だけを正確に塞いでいく冷たさがあった。


「私が問題なのではなく、私を問題に見せやすい空気が先にあったのでしょう。侯爵令嬢だから。婚約者候補だから。冷たく見えるから。その程度の曖昧さで、人は簡単に“そういう人”にされてしまう」

 そこで視線を会場全体へ広げる。

「私が責められたことそのものより、人が人としてではなく、役として扱われていたことの方が、よほど異様です」


 その言葉は、場を切り裂くというより、祝賀の飾り布を一枚ずつ剥がしていくようだった。


 誰もが見えていたはずの“美しい構図”の下から、粗い骨組みが覗いていく。


 沈黙の中で、ミレイアが小さく息を吸った。


 セレフィーナは彼女を見た。


 青ざめている。

 震えてもいる。

 けれど、その目はもう、ただ順番を待つだけの怯えではなかった。


 ミレイアは一歩、前へ出た。


 そのわずかな動きに、会場の視線が一斉に集まる。


 神殿も、貴族たちも、ルシアンでさえも、息を止めたようだった。


「……私も」


 最初の声は、少しかすれていた。


「私も、お話ししてよろしいでしょうか」


 高位司祭が何かを言うより先に、セレフィーナが静かに頷いた。


「もちろんです」


 ミレイアは唇を結び直し、もう一度ゆっくり息を吸った。


「殿下に助けていただいたことへは、感謝しています」


 その一言に、会場の緊張がわずかに緩む。

 だが次の瞬間、その緩みは切られた。


「ですが、それはセレフィーナ様を悪役にしてよい理由にはなりません」


 ざわめきが、今度ははっきりと波立つ。


 ミレイアは震える手を胸の前で握りしめたまま、視線を逸らさなかった。


「私は、セレフィーナ様から明確ないじめを受けたことはありません」


 その一言は、今宵いちばん重く落ちた。


 扇の鳴る音がひとつ遅れて響く。誰かが慌てて閉じたのだろう。


「厳しい方だと思ったことはあります。怖く感じたこともありました。でも、それは私が不慣れで、勝手に萎縮していた部分もあったと思います」

 息が浅くなる。

 それでも、彼女は止まらない。

「少なくとも、セレフィーナ様が私を傷つけようとして、何かをなさったことはありません」


 高位司祭の穏やかな顔が、わずかに強張った。


 一部の貴族たちは、露骨に居心地悪そうな顔をした。

 彼らが欲しかったのは、ここで「でも怖かったんです」と潤んだ目を向ける少女だったはずだ。


 けれどミレイアは、その役に入らない。


「私は、守られたかったわけではありません」

 声はまだ震えていた。

 だが、その震えの上に自分の意志を置いている。

「誰かを踏み台にして選ばれたかったわけでもありません。周りが勝手に“そういう物語”に見ていただけです。私が報われるためには、誰かが悪いことになってくれないといけないみたいに」

 一度、喉が詰まる。

 それでも彼女は目を伏せずに言い切った。

「私は、それがずっと苦しかったです」


 セレフィーナは彼女を見ていた。


 可哀想な少女ではない。

 主役でもない。

 震えながら、それでも自分の位置を取り戻そうとしている一人の娘だった。


 その瞬間、会場の空気から、はっきりと何かが失われた。


 誰を責めれば気持ちよく終われるのか。

 誰へ同情すれば綺麗に収まるのか。


 その置き場所を、皆が失っていた。


 貴婦人たちは扇を持つ手を迷わせ、令息たちは何を驚けばよいのかわからない顔をしている。先ほどまでなら「侯爵令嬢がどう出るか」を見物するだけでよかった観客たちが、いまは自分で何を聞いたのかを考えざるを得ない。


 悪役。

 被害者。

 そのわかりやすい線引きが、二人の口から同時に拒まれたのだ。


「……ですが」


 なおも学園側の貴婦人が、取り繕うように声を出した。


「若い方々のあいだに、行き違いがなかったとは申しませんでしょう? 今宵はそれを美しく」

「美しく、ですか」


 セレフィーナは静かに問い返した。


 その言い方に、貴婦人の口元が止まる。


「必要だったのは、真実ではなく、都合のよい終わり方だったのでしょう」


 もう誰も、その言葉を軽く受け流せなかった。


「誰か一人が悪役で、誰か一人が報われる側に見えれば、皆さまは次へ進みやすかった。王都も、神殿も、社交界も。そういう終わり方で整えられるなら、その方がずっと楽だったのでしょう」

「アシュクロフト嬢、それはあまりにも」

「では違うと、はっきり仰ってくださいませ」


 セレフィーナの声は強くない。

 けれど、もうこの場で曖昧な慈悲へ逃がす気はないのだと、誰にでもわかる声音だった。


「真実を見たかったのだと。誰を悪役に置くこともなく、ただ事実だけを確かめたかったのだと」


 返事はなかった。


 あるいは、返せなかった。


 それ自体がもう、十分な答えだった。


 セレフィーナは会場の中央で、ゆっくりと周囲を見渡した。

 神殿。

 王家。

 学園。

 社交界。

 そして、その“物語”を見届けるだけの客でいられなくなった人々。


 今なら言えると思った。


 この場の空気が、もう以前のように流れだけで押し切れないと知っているから。


「悪役が必要だったのではありません」


 しんとした会場に、その言葉は澄んで落ちた。


「悪役がいたことにして終わらせたい方々がいただけです」


 高位司祭は、初めて言葉を失った。


 学園側の貴婦人は扇を閉じたまま、もう一度開くことができない。

 そして会場の誰一人として、セレフィーナへ“悪役らしい次の台詞”を求めなくなっていた。


 セレフィーナはそこで、視線だけを少し横へ流した。


「ノア」


 その名に、会場の何人かが反応する。


 壁際に控えていたノアが、わずかに顎を上げた。


「今の証言、記録は取れているかしら?」


 不敵なほど静かな問いだった。


 ノアは薄く笑った。


「ええ。きれいに残っています」


 その返答が落ちた瞬間、場に残っていた最後の飾りまで、音もなく剥がれ落ちた気がした。

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― 新着の感想 ―
導入で作者さんがおっしゃっていた、「断罪の場から去る」に共感し楽しんでいたのに結局他と変わらない展開でした。
AIみたいという感想が多く最初は酷いなと思ってたのですが、宮廷道化師の役職でもないのに王子や侯爵家令嬢に馴れ馴れしく何の解説もなく絡み発言力の強いノア、空気、場、整える、剥がれ落ちるなど、目線が変わる…
これ卒業舞踏会の会場ですよね?ほかの生徒さんは?? この作品、場の流れを「空気」と書いてますけど、この会場の空気を構成する大多数はは誰なんでしょう・・・。 1章のころは読みやすかったですけど、なんだろ…
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