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第九話 悪役令嬢は課題を提出する

 こんこん、と扉を叩く乾いた音が響いた。うっすらと目を開けたはいいものの、ぼんやりしたまま、また瞼を閉じる。少しの間が空き、もう一度ノック音が聞こえた。


「……入っていいわ」


 つぶやくような返事だったけれど、部屋の外の人物には聞こえたようで、静かにドアが開いた。


「お目覚めになりましたか?」


 天蓋のレース越しに労わるような声がした。身体を起こして大きく伸びをすると、レースが横に引かれ、水差しを手にしたアンナが現れる。


「二日間も熱を出しておいでだったんですよ」


 差し出されたグラスに口をつけると、冷たい水が一気に喉を滑り落ちた。思ったよりも喉が渇いてたんだわ。ふうっと息をつくと、アンナは嬉しそうに目を細める。ようやく意識がはっきりしてきて、ここ数日のことを思い出した。


 コレットに足を引っ掛けられ転んだあと、医務室に向かった私は、そのまま馬車を呼びつけて直接屋敷に帰ってしまった。その後、急に発熱し寝込んだため、あれから学園には行っていない。


 他の人がまだ作業をしている途中で帰るのは礼儀に欠ける行為だったけれど、どうしてもあの教室には戻れなかった。だって、チェイサーに、だ、抱きかかえられたせいで混乱しちゃって、失態を晒してしまったんだもの。


 周りの人々の、奇妙なものを見る目つきが忘れられない。今まで弱みを見せまいと積み上げてきた努力が水の泡だ。


 あの時の私は熱があったんだから、様子がおかしくて当然だとは思ってくれないかしら。


(さすがにそれは無理があるわね)


 ズキズキとするこめかみを人差し指で押さえると、アンナが水を注ぐ花瓶に目が留まった。あふれんばかりに、紫色の花が活けられている。


「あら、アネモネ?」

「あ……そうです。しばらくお部屋で過ごされていましたので、少しでもお気分が晴れればと思いまして」


 私の言葉に振り返り、アンナは眉をハの字に下げた。そんなに心配させちゃったのかしら。心なしかアンナの顔色が悪い。


「大げさね。寝てたのはたったニ日間よ」

「お気に召しませんでしたか?」

「そんなことないわ。ただ、この季節に珍しいなと思っただけよ」


 ありがとう、と言葉を重ねると、アンナはほっとしたように微笑んだ。


「お父様は?」

「ご朝食を済まされ、ただいまは書斎にてお過ごしです」

「そう、すぐにうかがうから準備をして」


 アンナに身支度をしてもらいながら、これから迎えるお父様との対面を思い気を引き締めた。





 * * *






 書斎のドアの前に立ち、大きく深呼吸をする。毎度のことだけど、ここに入るのは緊張するのよね。意を決して荘厳な装飾の扉を叩くと、中から「入れ」と声がした。


 念のため手ぐしで髪を整え、丁寧にドアを開ける。ずらりと並ぶ本棚を背に、お父様はソファに腰掛け新聞を読んでいた。


「熱は下がったか」

「はい。ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」


 頭を下げると、ぱらりと新聞をめくる音がした。


「体調管理は上に立つ者の基本だ。以後気を付けるように」

「はい」


 お父様はその後何も言わなくなった。出て行けと言われない限りはその場にいろという意味だと理解しているので、「失礼します」と一言断りを入れ、向かいのソファに座る。些細な動きも見逃すまいと、新聞を読む姿をじっと見つめた。


 その容姿は、恐ろしいほど私とそっくりだ。いや違う、私が似ているといった方が正しいのか。この国では珍しい濡れ羽色の黒髪も、透き通るほど白い陶器のような肌も、見るものを萎縮させる鋭い目も、全てお父様から引き継いだものだ。唯一、青い虹彩の瞳だけが、私がお母様から生まれたことを証明していた。


 娘の私が言うのもなんだけれど、お父様は非常に耽美な雰囲気をまとった方で、若い頃はそれはそれは目映(まばゆ)い美少年だったらしい。四十を越えて目元の皺が目立つようになってきたとはいえ、すらりとした脚を組んで新聞に目を通す姿は麗しいという表現がぴったりで、流し目一つで年頃の令嬢の一人や二人、簡単に釣り上げてしまいそうだった。


 ただ、その見た目に惑わされると痛い目に合う。お父様は私を何倍にも凝縮したような、厳格で、ストイックで、排他的な性格なのだ。社交の場で、お父様にすり寄って冷たく袖にされるご婦人たちを嫌というほど見てきた。


 どのくらい時間が経っただろうか。お父様が新聞に落としていた目をこちらに向けた。矢のような視線に貫かれ、思わずごくりと喉が鳴る。


「学園での生活はどうだ」


 切り出された話題は想定していたもので、内心ほっとしながら、流暢に回答する。


「些末な問題はありますが、大きな支障はなく勉学に励んでおります」

「そうか」


 さほど興味のなさそうなトーンで返事をし、お父様は私から視線を外した。


「お前は来年卒業だったな」

「はい」

「よもやクラークの息子などに出し抜かれたりしないだろうな?」


 鷹のような目がもう一度こちらを見た。ぎくりと体が強張る。目を逸らしてはいけない。少しの不安も、この人に悟られてはいけない。膝の上でこぶしを握りしめると、まっすぐにその瞳を見返した。


「もちろんですわ。卒業生総代は私が勝ち取ります」

「……いいだろう。もう行きなさい」


 満足のいく回答だったのか、お父様は私を解放した。言われるがままに席を立ち、扉に向かう。


「あ、あの、お父様」


 扉に手をかけたところで振り返り、おそるおそる声を掛ける。


「この冬の休暇ですが、私も領地にお供してもよろしいでしょうか?」


 慎重に言葉を発すると、お父様はこちらの意図を値踏みするかのようにじっと私を見つめた。ここで選択を間違えると、連れていってはもらえない。


「……お母様にもお会いしたいですし」


 どうやら今回はこれが正解だったようだ。お父様は再び新聞に目を落とし、口を開いた。


「わかった。来月には向かう予定だから準備をしておくように」

「ありがとうございます!」


 思わず声を上げてしまい、慌てて頭を下げるとすぐに部屋から退出する。大きなミッションをクリアした気分になり、私はまた大きく深呼吸をした。



   * * *




 今朝は急に空気が冷え込んで、もう冬といってもいいほどの寒さだった。病み上がりの私はアンナにあれこれと着せられ、若干の動きにくさを感じながら、数日ぶりの園舎を歩いていた。


「アメリア」


 名前を呼ぶ声に足が止まる。振り向かなくてもわかる。私を名前で呼びつける人間なんて、この学園には一人しかいない。


 嫌々後ろを見れば、思った通りクラークが微笑んで立っていた。すでに課題は終わったというのに、何の用事があるというのかしら。


「もう具合はいいのかい?」

「……おかげさまで」

「ならよかった」


 形式ばったやりとりを終え、クラークはにこりと笑った。そして手にした封筒をこちらに差し出す。


「昨日締め切りの課題、君にもサインをしてもらうと思ってまだ持っていたんだ」

「え?!」


 信じられない言葉に目を見開く。もう期限は過ぎているというのに、まだ提出してないっていうの? 封筒を凝視する私に、クラークはくすりと笑う。


「大丈夫。提出を遅らせる許可はいただいているんだ。全員がサインを済ませているのに、君だけないのも変だろう?」

「サインの有無は別に重要じゃありませんのに」


 呆れた声を出しつつも、大人しく差し出された封筒を受け取る。


「分かりましたわ。サインして私から教授へ提出しておきます」

「うん、よろしく。一応、提出が終わったら報告にきてくれるかい?」


 望んだことではないとはいえ、私のせいで締め切りに間に合わなかったのだから断れるはずもなく、提出後に談話室に寄ることを約束して別れた。




 研究室のドアには、小さなベルが付いていた。これは、仕事に没頭しすぎるとノックに気づかない教授のためにつけられた呼び鈴のようなものだ。垂れ下がった紐をつかんで軽く揺らすと、ちりりん、と高く澄んだ音がした。


「はいは~い」


 中から間の抜けた声が聞こえ、くたびれた白衣に丸い眼鏡をかけた男がひょっこりと顔を出した。教授の第一助手の男だ。


「失礼ですが、アンダーソン教授はいらっしゃいますか?」

「ああ、教授は今、王城の会議に出席されてるんだ。あと数日は戻られない予定だから、代わりに僕が用件を聞くよ」


 そう言って、眼鏡の助手はふやけた顔で笑った。以前からこの男のだらしない態度が苦手だったので、あまり関わりあいにはなりたくなかった。長居をしないよう、さっさと用件を述べる。


「課題を提出しに参りました」

「ああ、それなら中にどうぞ」


 丸眼鏡は部屋に戻り、こちらを振り返って手招きした。ここで受け取ってくれればいいのにと思いながらも、しぶしぶ研究室の中に通される。古い本の匂いがするけれど、図書館と違うのはコーヒーと煙草の香りも混じっていることだろうか。


 私を招き入れた丸眼鏡は、自分の椅子に座ってこちらを向き、両手を広げた。


「じゃあ、お預かりしましょうかね」


 促されるままに封筒を手渡すと、彼は中から表紙のついた冊子を取り出した。それをぱらぱらとめくりながら、楽しそうに私に視線を向ける。


「サリバン君、ちゃんとサインは書いた?」

「は?」


 唐突な問いかけに、うっかり失礼な返しをしてしまった。しかし、返された本人は全く気にかけない様子で机の上のコーヒーに手を伸ばし、すすりながら話を続ける。


「いやあ、ほんとはね、課題の締め切りを延ばすなんてことしちゃいけないんだけど、中身は出来上がっててあとは君のサインだけだからって頼み込まれてさ。まあ教授が戻られるまでなら、なんとか誤魔化せるし」


 頼み込む……? いったい誰が、何のために? そこまでする意義が解らずに、私は黙って丸眼鏡の言葉を聞いていた。


「クラーク君とチェイサー君が二人で来てね、このレポートの立役者である君のサインが入らないものを提出するわけにはいかないっていうんだよ。さすがにあそこまで必死な顔で懇願されたら、ダメだって言えなくてねぇ」

「立役者……」


 本当に、彼らがそんな風に私を評価しているのだろうか。にわかには信じられなくて、ただ言葉を繰り返す以外に何も言えなかった。


 確かに今回の課題は力を入れた。お話を聞かせてくださったアダムス卿の厚意に報いたかったし、最終学年になって初めての大きな課題だったし。でもそれはあくまで自分のためだ。それなのになぜ、彼らは助手に頭を下げてまでそんなことを依頼したのかしら。下手をしたら、自分たちの評価が下がってしまう可能性だってあるのに。


 ぐるぐるとまとまらない頭で考える私を見て、丸眼鏡はニヤリと口の端を上げた。


「君、ずっと孤立してるように見えて気になってたんだけど、ちゃんと友人がいたんだね」


 ――友人。


 それは、いまいち現実味のない言葉だった。私にはいまだかつて、友人と呼べるような人間はいなかったんだから。


 よかったねぇ。大切にしなさい、という丸眼鏡の言葉は私の頭の中に入ってはこなかった。ただ、ひたすら腹の底から湧き上がるむずむずとした感覚を理解しようと必死になっていた。


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