第二十一話 消えたページ (4)
晩秋の日暮れはあっという間に日が落ちる。
生徒たちが帰った後の園舎は、必要最低限の灯りしか点されていないせいで、闇に飲まれたかのように一帯が薄暗い。
ひっそりと静まり返った廊下に、一つの影が現れた。冷たい空気は音をよく通すのか、靴音がやたらと響く。
その足音の主は、部屋の前で立ち止まり、辺りを注意深く見回した。人の気配がないことを確認すると、扉の近くでなにやらごそごそと探るような動きを始める。
「こんなところで何をなさっていますの?」
私の声に、その人物はびくりと体を震わせた。振り返った人影は、予想通りマリー・コレットだった。
その表情は暗くてわかりづらい。けれど、私が手に鍵を握っているのを見て息を飲んだのがわかった。
何のひねりもない展開にため息が出る。もしこれが物語なら、意外な人物が犯人だったりするものなんだけど。
まったく、「事実は小説よりも穏当なり」ね。
「な、なんであんたがここに……!」
「無実の罪を着せられたのに、私がそのまま家に帰るとでも思いました?」
鳶色の瞳を真正面から見据えると、彼女は明らかに狼狽した。
「とある方に助言をいただきましたの。ここで待っていれば本当の犯人が現れるんじゃないかって」
「何のこと? 私はもう一度教授にレポートの確認をお願いしようと……」
目線を泳がせながらも決して自分の非を認めようとしないコレットに、笑顔で畳みかける。
「そうなのですか? その割には呼び鈴も鳴らさずにずいぶんと念入りにポストを調べてらっしゃいましたね。いったい何を探していたのかしら」
これ見よがしに鍵を手の内に収めた私を見て、コレットはぎりぎりと歯を食いしばった。
「それを渡しなさいよ」
「それとは?」
「手に持ってる鍵のことよ!」
いよいよ余裕がなくなってきたのか、乱雑な物言いを隠そうともしないコレットに薄く笑ってみせる。
「どうしてこれを渡さなければならないのです?」
「あんたが取ったんでしょう? このポストに入ってる研究室の鍵を!」
その言葉を待っていたのよ。
あまりに思い通りに事が運んで笑いだしそうになるのをこらえ、手のひらの鍵を目の前に掲げた。
「これは私の日記帳の鍵ですけど?」
「は?」
コレットの両目がこれでもかと見開かれる。
「じゃ、じゃあ、ポストにあった鍵は……」
「もちろん、アンダーソン教授にお伝えして回収していただきましたわ。誰かに勝手に使われたら危険ですものね?」
にこりと笑えば、反対にコレットは顔面を真っ青にしてうつむいた。
「ポストに鍵があったことは、限られた人しか知らないはず。何故あなたがご存じなの?」
追い打ちをかけるように問い詰めると、彼女は勢いよく顔を上げ私を睨みつけた。
「この性悪が……!」
「それは否定しませんけどね。あなたも相当の悪党よ。私のことが嫌いだからといって、皆で作り上げたレポートを無駄にしていいと思っているの?」
正論を突き付けた私に、コレットは苛立ちをぶつけるようにヒステリックな声を上げる。
「なによいい子ぶっちゃって! あんたが悪いのよ。レオナルド様に名前で呼ばれて、いつだって気にかけてもらって!!」
「な……」
今度はこちらが驚きで目をみはる番だった。
まさか、この一連の行動の動機が全てクラークに起因するだなんて考えもしなかった。思わず口を閉ざした私に向かって、コレットは次々と罵倒する。
「レオナルド様はお優しいから、可哀想なあんたに構ってあげていただけなのよ!」
「それなのに調子に乗って、近づいたりなんかするから」
「学園中の嫌われ者のくせに!!」
投げつけられる棘のある言葉に、微かに眉をしかめる。
でも不思議だわ。彼女の言葉は不快ではあるけれど、表面だけ掠って落ちていく落ち葉のようで、決して私の心の中まで傷つけることはなかった。
(……彼のおかげね)
チェイサーがくれた『信じる』という言葉。あれが私を守ってくれている。たった一言で、私は堂々としていられる。
「私がどんなにレオナルド様に好意を伝えても、見向きもされないのに……!」
むしろ、絞り出すように叫び続けるコレットの方が苦しそうに見えた。
「そこまでだよ」
よく通る声が響いて、コレットの悲痛な声が止んだ。驚愕の表情を顔に貼り付け、私の背後に視線が釘付けになっている。
振り返れば、微笑を浮かべたクラークと、辛そうな顔をしたチェイサーが立っていた。
クラークは靴を鳴らして私の横まで歩いてくると、まるで世間話をするような口調で私を覗き込む。
「それにしてもアメリア、鍵付きの日記帳なんてつけてるの? なんか普通の女の子っぽくて可愛いね」
「……今問題なのはそこではありません」
苦々しく見返すと、クラークは軽く笑った後、今度はコレットに無表情な顔を向けた。
「さてと、コレット嬢、君が手に持っているものは何だい?」
そう言うと、コレットが握りしめていた封筒に目をやる。
固まったまま動かない彼女にそっとチェイサーが近づき、その手から封筒を抜き取ってクラークに手渡す。その間ずっと、チェイサーは眉間に皺を寄せたままだった。
「これは、無くなったはずの君のページだね」
封筒の中身を確認したクラークは、手元の用紙をコレットに見せるとため息をついた。
「誰にも知られずに研究室に戻しておくつもりだったのかな。それで、この件が一件落着になるとでも?」
つまり、彼女は私を陥れるために研究室の鍵を開け、自らの分の課題をこっそり抜き取ったというわけだ。
けれど、話が大事になって恐れをなしたのか、あるいは今日のクラークの脅しが効いたのか、レポートを戻して全てをなかったことにするつもりだったのだ。
恋する相手に詰められ、コレットは瞳に涙を浮かべながら首を横に振った。
「あ、あの、レオナルド様、違うんです。私はただ」
クラークは自身に伸ばされた手をぱしりと振り払う。
「アメリアを傷つけて、それでどうして僕に好かれると思ったの?」
底冷えするような冷たい目に、コレットは顔を歪ませその場で泣き崩れた。
「い、いや、そんな目で見ないで、レオナルド様……!」
彼女のむせび泣く声が廊下に響く。それでもクラークは容赦なく言い放った。
「今回のことは、とても見逃せる問題じゃない。学長にご報告するし、もちろん君の家にも通達がいくだろう」
コレットの嗚咽が一層激しくなった。
彼女の側に立つチェイサーは、表情を曇らせたまま何も言わない。おそらくクラークの意見に異がないのだろう。
「お、お願いです……どうか、どうか退学だけは」
振り絞るように言い、コレットは再び泣き始めた。目を細めたままそれを見下ろしていたクラークが、ふとこちらに視線を移した。
「どうする、アメリア? 学園に報告するかは君次第だ」
「私に一任なさると言うの……?」
信じられない言葉に彼を見ると、緑の瞳の奥に激しい怒りが燃えているのが感じ取れた。
「一番の被害者は君だ。君が決めていい」
例えば私が彼女を害せと言えば、クラークはそのまま実行してしまうような気がした。自分に課せられた責任の重さに身が震える。
「そうですね……」
私は床にうずくまるコレットを、複雑な気持ちで見つめた。





