第十六話 よくある悩み (アルバート視点)
しきりに部屋の扉を叩く音がする。働かない頭でなんとか視線をそちらに向けるが、返事をする気にはならない。
そうしている間にも、ノックはどんどん激しさを増した。
「もう、兄さま! いるんでしょ?」
耐えきれなくなったソニアがドアを開けて入ってくる。ティーテーブルに突っ伏した状態の俺は、体勢を変えることなく声を絞り出した。
「ソニア、悪いが今お前の話を聞く気分じゃないんだ」
暗に出ていけと言ったつもりだったが、ソニアは気にも留めず両手に掴んだ紙をティーテーブルの空いたスペースに広げた。
何枚もの紙がぱさりぱさりと俺の顔の真横に落ちる。
「どの便箋がいいと思う?」
うんざりしながらも頭をもたげると、様々な色合いのレターセットが目に入った。昨日うちに来た行商人から買ったのだろう。ソニアは次々とそれらを手に取って嬉しそうに見比べていた。
意気揚々としているこいつには悪いが、俺はちっとも楽しくない。広げられた紙を半目で見ると、なげやりな答えを返した。
「なんだよ、ニコラス殿に手紙でも書くのか? お前からの手紙ならたとえメモ書きでも喜んでくださるだろ」
俺の言葉にソニアはポッと頬を染めた。
「やあね、違うわよ。ニコラス様へのお手紙は先週書いたわ。これは、アメリア様宛ての手紙よ」
「……!」
今一番聞きたくなかった名前に、思わず体が強張る。ソニアに今の表情を見せたくなくて、持ち上げた顔を再びテーブルに置いた。
(やっぱりあれはまずかったよなぁ…)
ぐりぐりと天板に額を押し付けながら、俺は今日の日没を思い出していた。
* * *
数週間もの時間をかけた課題がようやく終わり、久しぶりに天文学講義室へ足を向けた。
天文学の講義室は、だだっぴろい学園の敷地内の外れにひっそりと存在している。本館からの渡り廊下を通って、突き当りの螺旋階段を上がったところだ。
目立たない場所にあるものの、中の施設は相当なものだったので、星好きの俺は入学以降足繫く通っていた。
夕方に行くのには理由がある。その時間はミラルダ教授が翌日の準備をしていることが多く、手伝いながら話を聞かせてもらえるし、運が良ければ、望遠鏡を覗かせてもらって暗くなり始めた空を観ることもできるからだ。
そのうちに教授との信頼関係もでき、時折俺一人で講義室の留守を預かるようになった。
ちょうど今日もそんな日で、決して珍しいことはなかった。いつもと違ったのは、突如サリバン嬢がそこに現れたことだ。
前日に散々ソニアとレオに揶揄われたせいで、とてもじゃないが照れくさくてサリバン嬢の顔を見れる気がしなかった。だからなるべく園舎内で彼女に会わないようにしていたのに、なんでこんなところで鉢合わせるんだろうか。
斜陽で表情が分かりづらいのがせめてもの救いだ。俺は動揺を悟られまいと努めて素っ気ない声を出した。
「教授はあと10分もしたら戻ってくると思うから、ここで待ってたらどうだ?」
彼女はしばらく躊躇っていたが、結局は教授が来るのを待つことに決めたらしい。俺に倣って二席隣の机に寄り掛かった。
少し離れた位置にいるにも関わらず、心臓の音が彼女に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、胸の鼓動が激しかった。
すると、彼女がふいに天井を見上げて感心した声を出した。どうやらこの部屋に入るのは初めてだったらしい。ガラス張りの天井や望遠鏡を物珍しそうに見ている。
思わず嬉しくなりぺらぺらと語ってしまって、後から恥ずかしくなった。
だがサリバン嬢はそれほど気に留めた様子はなく、話題をソニアに移した。
会話をしながら、ふと、ソニアの話を思い出す。あいつはサリバン嬢のことを『優しい』と表現した。
最初に聞いた時には何かの間違いかとも思ったが、ソニアに対して見せる顔は違うのかもしれない。言われてみれば、ソニアについて話す時の彼女は、穏やかな顔つきをしているように見える。
気が付けば俺は、サリバン嬢にまたソニアと会ってもらうよう頼み込んでいた。
その直後、何か硬いものが床に落ちる音がした。
「何の音だ?」
俺はすぐさま立ち上がった。机の上に機材を置いていた記憶はないが、見落としていたのかもしれない。
机の下を覗き込むサリバン嬢の元へ近づき、同様に腰を落とすと辺り一帯に目を走らせる。
すぐに、サリバン嬢のやや後ろに鈍い光を放つ物を見つけた。腕を伸ばして掴むと、それは小さな金属音を立てて手の内に収まる。
「あったぞ」と言いかけたが、その言葉が俺の口から出てくることはなかった。
鼻がぶつかりそうなほどの位置に彼女がいた。部屋は暗かったが、余りにも近すぎるその距離では彼女の顔がはっきりと見えざるを得なかった。
大きな瞳が、瞬き一つせずに俺を見ている。驚きで薄く開いた唇から息を飲む音が漏れた。
あまりにも魅惑的で目が離せない。彼女の持つ引力に逆らえない。その唇に触れてみたくて、前に身体を傾けようとした時だった。
『本当に一度もない?』
レオナルドの声が頭に響いた。
『青い瞳に映る自分を間近で見てみたいとか。あの三日月のような薄い唇は……』
「……っ」
まさにこの状況のことを言われているようで、慌てて彼女と距離を取る。
危なかった。あとすんでのところで思いとどまれたのは、男として褒められてもいいんじゃないかと思う。
彼女の手を取ってその場に立たせると、握っていた鍵を手渡す。
もうこれ以上近くにはいられず部屋から出るように促すと、彼女は小さくうなづいて姿を消した。
* * *
「どうしたの、兄さま」
覗き込むようにソニアが話しかけてきて、俺は現実に引き戻された。
自分のしでかした過ちに自己嫌悪に陥っているというのに、この妹は全くもって遠慮というものがない。
ソニアはふむ、と何か考え込むように首をかしげると丸い目を俺に向けた。
「アメリア様と何かあったの?」
その問いかけに返事はせずに視線を逸らす。
それを見たソニアは、まったくわかりやすいわね、と大げさにため息をついた。
「告白したの?」
「ばっ、そんなわけないだろ!」
とんでもない質問に飛び起きて否定する。だが俺の回答は想定内だったようで、ソニアはさらに質問を重ねた。
「じゃあ何? 改めてアメリア様の魅力に気づいちゃったとか?」
「……」
「図星ね」
沈黙を肯定と受け取って、ソニアはしたり顔でうなづいた。
「私は応援するわよ。がんばって兄さま」
「気楽に言うなよ」
「なによ、何が問題なの」
頬を膨らませて声を張るソニアとは対照的に、俺は声を落とした。
「お前は何も感じなかったのか? その、レオは、ひょっとしたらサリバン嬢のこと……」
「まあ、何かしら特別な感情はお持ちよね。きっと」
即答するソニアに目を見開く。
やはりこいつの目から見てもそう映るのか。どうしてレオがサリバン嬢にだけは態度が違うのか。考えれば考えるほど、一つの答えにたどり着く。
レオは、サリバン嬢に好意を持っているんじゃないのか。
もともとあいつは、興味のない人間には愛想がよく、嫌いな人間には関わらない。
それがサリバン嬢にだけは自分から話しかけるし、彼女を怒らせるような言動もする。
それは彼女を意識しているからだと思えばつじつまが合う。
一気に気分が重くなり、大きく息を吐いた。
「よくある悩みよね。好きな人を取るか、友人を取るかっていう」
かなり深刻に悩んでいるのに、「よくあること」で済まそうとするソニアをぎろりと睨みつける。
ソニアは肩をすくめると呆れたように口を開いた。
「諦めるの?」
「諦めるも何も、俺はそこまで……」
途中で言葉が途切れる。その後に言おうとしたことが出てこない。黙り込んだ俺を諭すように、ソニアは今度は優しい声で続けた。
「逆に考えてみてよ。もし兄さまが好きになった人が、レオナルド様と結ばれたら、許せない?」
「いや、それは……もしその女性がレオを選ぶんなら仕方ないだろ」
「でしょう? それなら兄さまだって遠慮する必要ないでしょ?」
ソニアの理論に俺は頭を抱えた。
それは詭弁だ。俺が納得するからといって、それをレオにも求めるのは違う気がする。
「どうするかは兄さまが決めることだけどね」
ソニアはそれだけ言うと、テーブルの上のレターセットをかき集めて立ち上がった。
「言っておきますけどね。レオナルド様と兄さまじゃ差がありすぎて勝負にならないくらいなのよ? 全力で闘ったって完敗するのが目に見えてるの。それなのに本気を出さないでどうするの?」
最後に兄を傷つける捨て台詞を吐いて、ソニアは部屋を出ていった。
なんなんだあいつは。いったい何をしに来たんだ。
疲れ切ってため息をつくと、数時間前のサリバン嬢がふと思い出された。
あれはやばいだろ。俺の理性なんて一瞬で吹き飛ばされる。
これ以上彼女に近づくのは危険だ。
もう一度大きく息を吐きだして、再び俺はテーブルにふさぎ込んだ。





