第十四話 何も知らないことを知る (1)
「アメリア様、何かいいことでもありましたか?」
夕食を終え部屋に戻ると、それまで静かに付き従っていたアンナが、後ろから問いかけてきた。
唐突な質問に、振り返って問い返す。
「いいことって?」
「いえ、ご様子がいつもと違うような気がして」
その言葉に自分の顔を軽く押さえる。私ってそんなに顔に出るかしら? それともアンナが目ざといだけ?
しばらく頬に手を当て思いを巡らせてみたけれど、答えは出なかった。
「そうね、今日食べた無花果のタルトが美味しかったわ」
「そうですか、それはようございました」
アンナはにっこりと笑い、そのまま私の言葉の続きを待っている。
誤魔化したつもりでも、彼女には効かないみたいね。ベッドに腰かけてふうっと息を吐きだすと、正直に口を割った。
「とあるご令嬢と、一緒にお茶をしたの」
滑らかな手触りのベッドカバーを撫でながら、自分自身に話すようにつぶやく。
「また会いたいって言われたわ。おすすめの本があるからって」
改めて口に出してみると、あの時間は現実ではなかったのではないかとさえ思えてくる。ひょっとして、自分に都合のいい夢を見ていたのかもしれない。
「よかったですね」
我に返って顔を上げると、アンナが優しい目で私を見つめていた。
「よかった、のかしら」
「もちろんです。とってもいいことですよ」
「でも、社交辞令かもしれないわよ?」
自分で言っておきながら、ちくりと胸が痛む。
相手に合わせて思ってもいないことを言うなんて、社交では往々にしてあることだもの。ソニア嬢だって、本音では私に会いたいなんて思っていないかもしれない。
沈んだ声を出す私とは反対に、アンナは明るく返事をした。
「そういうのは、社交辞令にさせないんです! そのご令嬢と連絡を取る方法はないんですか?」
ソニア嬢と連絡を取る方法……? ちらりとチェイサーの顔が浮かんで、胸がどきりと鳴る。
「そ、そうね。あるといえばあるけど」
「それならこちらから連絡するんです。次はいつにします? って」
「ええ……?」
アンナの提案に思わずたじろぐ。
自慢じゃないけど、自ら人を誘うなんて、これまで一度もしたことがない。いつも周りに避けられていたから、他の令嬢に声をかけるなんて場面はなかったのよ。
それでもごくまれに、相手から声をかけられることはあった。でもそれは、大抵が甘い蜜を吸おうとする格下の令嬢か、或いは、私の見た目だけで寄ってくる鼻の下を伸ばした男のどちらかだった。
「私から声をかけなくてはダメなの?」
「本当にもう一度会いたいと思っていらっしゃるなら、そうするべきです」
アンナは自信たっぷりに言い切る。そのあまりにも力強い説得に、ほんの少しだけ心が動いた。
そうね、やってみようかしら。だって、ソニア嬢との時間はとても心地よくて、一度きりにはしたくないもの。
「わかったわ。彼女に連絡してみる!」
ぐっと拳を握り締め、私は高らかに宣言したのだった。
* * *
と、意気込んで登園したはいいけれど、そういう日に限ってチェイサーと同じ講義がない。
とうとう今日の講義は全て終わってしまい、私は彼を探して園内を歩き回る羽目になった。
チェイサーのいそうな場所に当たりをつけて探してみても、なかなか見つからない。あの背の高い茶色の頭は一目見ればわかるはずなのに。
あちこち歩きながら、じりじりと気持ちが焦れるのを止められなかった。
せっかく出した勇気がしぼんでいきそうで怖い。一度へこんでしまった気持ちを盛り返すのはすごく大変なんだから、今日会えないと困るのよ!
ひとり憤慨して廊下を歩いていると、私を呼び止める声が聞こえた。
「いやー、サリバン君、相変わらず姿勢がいいね」
ふわふわとしたしゃべりでこちらに向かってくるのは、先日課題を渡した丸眼鏡の助手だ。両手に何か書類のような物を抱えている。
「ごきげんよう、先生」
名前が思い出せなかったからとりあえず敬称で呼んだのだけれど、当の本人は悪い気がしなかったのか、へらりとした笑いを浮かべた。
「やだなぁ、僕は先生なんて呼ばれる立場じゃないよ。ホークって呼んでほしいな」
「ホーク先生、何かご用ですか?」
あまり時間を取られたくなかったので、被せるように話を続ける。こんなところで立ち話している時間はないんだから。
「君、このあとヒマ?」
「ヒマではありません」
即答するが、ホーク助手はまるで聞こえていないかのように話を続ける。
「ちょっと頼みたいことがあってさ。これをミラルダ教授に返却してきてほしいんだ」
「ミラルダ教授? 天文学のですか?」
思わず聞き返してしまって、後悔した。これでは依頼を受ける流れになってしまう。ホーク助手はしてやったりという顔でにやりと笑った。
「そうそう、資料をお借りしてたんだよ」
「農学と天文学ってどんな関係があるんです?」
逃げるのは諦めて素直な疑問を口にすると、ホーク助手はその眼鏡と同じくらい目を丸くして、わざとらしく肩をすくめた。
「おやおや、博学な君らしくもないね、サリバン君。全ての学問は繋がっているんだよ?」
その言い方にカチンときて、眉間に皺を寄せる。
「そんなに嫌そうな顔しないでよ。こないだ課題の提出期限を延ばしてあげたでしょ?」
「それを理由に仕事を言いつけるなんて、教育者としてどうなんですか」
「僕は教育者じゃなくて研究者だもの」
私の口答えなど一向に意に介さず、ホーク助手は書類を丸ごと私に手渡した。
「じゃ、よろしくね」
軽い調子で手を振り去っていくその背中を睨んだあと、手元の書類を見下ろしてため息をついた。
* * *
仕方なくミラルダ教授の研究室を訪ねてみたけれど、運悪く留守のようだった。
(講義室にいるのかしら?)
私は研究室の隣にある螺旋階段に目を向けた。
天文学の講義室はこの階段を上がったところだと聞いたことがある。抱えた書類を落とさないように注意しながらゆっくり一段ずつ足を進めると、突き当りに小さなドアがあった。
そっと扉を開いて、思わず目を閉じた。西日が眩しい。光に向かって薄く目を開けると、窓際に一つ黒い影が浮かんでいた。
「……サリバン嬢?」
聞き覚えのあるやや低めの声。私は目を軽く擦ってもう一度その人影を見た。
「こ、こんなところで何をしてらっしゃるの?」
思った通り、それはチェイサーだった。夕陽で橙色に染まった部屋で、彼も驚いたように私を見ている。
「君こそ、どうしたんだ? 天文学は取ってないだろ?」
「え、ええ……。ミラルダ教授への届け物を頼まれたんです」
咄嗟のことで、これ以上の言葉がでない。それでも私の一言で大体のことを察したのか、チェイサーは私の持つ紙束に目を落とした。
「教授はあと10分もしたら戻ってくると思うから、ここで待ってたらどうだ?」
チェイサーはそう告げ、両手を制服のポケットに入れたまま机に寄りかかって目を閉じた。
その動作があまりにもそっけなくて、私ばかりが慌てているのだと思ったら少し恥ずかしくなった。
言われるまま書類をそばに置き、チェイサーからほんの少し距離を取って、同じように机に寄りかかる。講義室の床に目をやれば、高さの違う影が二つ並んで落ちていた。
(どうしよう、こんなところで会うなんて……。 いえ、もともと彼を探していたんだから喜ぶべきことなの?)
沈黙に耐えきれなくなって初めに発言したのは私だった。
「この部屋の中って、こんな風になっていたのですね」
ドーム型の部屋は天井がガラス張りになっていて、空全体が見渡せるようになっていた。部屋の中央には、大きな筒型の器材が据えられている。
天文学には詳しくないけれど、これだけの物をそろえるには、技術も費用も相当なものが必要だろう。
「ほんと、ここの設備はすごいよなぁ」
チェイサーは天井を見上げて感嘆した。
その横顔は生き生きとしていて、いつもよりも幼く見える。そんな彼を見るのは初めてだった。
「ミラルダ教授は、夜通しここで天体観測することもあるらしくてさ」
「星がお好きなの?」
心底羨ましそうに語るチェイサーにそう尋ねると、彼は我に返ったように声の調子を下げた。
「ああ……うちの領地は鄙びている分、星が綺麗に見えるんだ。子どもの頃からよく眺めていたから、なんとなく好きになった。まあ、ただの趣味だけどな」
そう笑って足元に視線を落とす。その時、私は先ほどから感じていた違和感の正体に気がついた。
(この人、さっきから私のことを一度も見ようとしないわ)
私の知る彼は、どんな時でも、たとえ言い争ってる時でも相手から目を逸らしたりはしない人だった。それが何故か、今日は頑なにこちらを見ようとしない。
(どうして、こっちを見ないの?)
先日までは私の方が彼を避けていた。それなのに今、目を合わせてもらえないことがこんなにショックだなんて。
どうにかしてその瞳をこちらに向かせたくて、私はゆっくりと口を開いた。
「昨日、図書館で妹さんとお会いしましたわ」
さすがにこの話題には興味があったのか、チェイサーは私をちらりと見た。
「ああ、ソニアから聞いた。君に対してずいぶんと失礼な態度をとったと、すまなく思っているようだったよ」
「そうですか? これまでのあなたよりかはずっと丁寧に接してくださいましたよ?」
私の嫌味に、チェイサーはぐっと言葉を詰まらせた。そして何か言いたげに私の方に顔を向けたけれど、結局はまた視線を空に戻して話を続けた。
「家でも大興奮だったよ。ソニアは学園に通ってないからな。同じ年頃の令嬢と話せて楽しかったらしい」
ああ、ソニア嬢もあの時間を楽しんでいてくれたのね。ほっと胸をなでおろす。
チェイサーは、相変わらず空を仰いだまま口を開いた。
「あいつは子供の頃体が弱かったから、昔から家で家庭教師をつけているんだ」
「ずっとご自宅で過ごしていらっしゃるの?」
彼女の可愛らしい見た目からはわからなかったけど、今でも体が弱いのだろうか。だとしたら、昨日は無理をさせてしまったんじゃないかしら。
私の声が曇ったのに気づいたのか、チェイサーは安心させるように小さく笑った。
「今はすっかり健康体だよ。ただ、まあ色々あって、学園には行かないことを選んだんだ」
その含みのある言い方に、これ以上深く聞くのもどうかと思い口を閉じる。
しばらくの後、今度はチェイサーが沈黙を破った。
「また、ソニアと会ってやってくれないか?」
「……いいんですの?」
「ああ、あいつは世間知らずで迷惑をかけるかもしれないけど、君さえよければ」
陽の落ちかけた部屋の中で、チェイサーはほほ笑んだように見えた。薄暗くて表情はうかがいしれないけれど、声の端々に妹を想う優しさがにじみ出ていた。
「そんな大切にしてらっしゃる妹さんを、よく私に会わせようと思いましたね」
嫌味ではなく、本当にそう思う。
普通なら、可愛がっている妹を評判の悪い私に近づけたいとは思わないだろう。
「確かに、以前なら君とソニアを会わせようなんて思わなかったかもしれないな」
チェイサーは考え込むようにつぶやいた。
「でもここ最近の君を見て……気持ちが変わった」
(気持ちが変わった? どう変わったっていうの?)
それ以上先を聞くのが怖くて、思わず後ずさる。
その時、カチャリという音が響いた。何か、硬い金属のようなものが床に落ちたようだった。
「何の音だ?」
すぐさまチェイサーが腰を上げる。
「何かが机から落ちたみたいですわ」
慌てて辺りを見回してみたけれど、足元はだいぶ暗くなっていて、一見すると何も見当たらない。
かがんで机の下を覗き込んでも、音の正体は見つからなかった。灯りのついていない部屋では探すのに時間がかかりそうだ。
チェイサーも近くまで来て、同様にしゃがみ込んで机の下を探し始める。じっと目を凝らしていると、チェイサーが叫んだ。
「あっ、それじゃないか?」
「え、どれですか?」
下を向く私の顔の真横を、チェイサーの腕がよぎる。耳元でチャリっという金属音がして、私は視線を上げた。
「……っ」
一瞬にして身体が固まる。
お互いの息がかかるかと思うほどの距離に、チェイサーがいた。あまりにも近くて、肌の熱が伝わるんじゃないかとすら思った。
視線が絡みついて離れない。
チェイサーの見開かれた目がすっと細くなり、ゆらりと熱を帯びたように見えた。
ほんのわずか、彼の身体が動く。
あ、触れる――。
思わず身を固くしたけれど、想定したような接触はなかった。
チェイサーはすっと立ち上がり、拾い物を私の手に握らせた。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
手の中を見ると、小さな鍵が鈍く光っている。
「たぶん、あの書類の中に挟まってたんだな。とすると、君に仕事を頼んだ人のものじゃないのか?」
そう言ってチェイサーは私の手を取り、その場に立たせた。
「大事な鍵だとまずいし、すぐに持っていった方がいい。この書類は俺が教授に渡しておくから」
「……はい」
呆然としたまま返事をすると、私は挨拶も忘れて部屋を後にした。





