第9話 止められない気持ち
冬休み終わりました。
3学期に入ります。
3学期が始まって1週間経過した放課後、部活がない蓮実、神城、芹河とともに未亜は保健室に向かった。
連絡は受けていたものの、小埜はやって来た4人を見て露骨に嫌そうな顔で椅子から立ち上がる。
「雪先生や、今日のお菓子は何かね」
各々手頃な椅子に座るのを眺めていた小埜に未亜は咳払いをして言った。小埜は眉をぴくりと動かして
「桐原、婆さんみたいだから止めろ。しけた煎餅でも出してほしいのか」
相変わらず容赦ない。
「むぅ。雪先生ひどい」
頬を膨らませた未亜の元に歩み寄った小埜は手を伸ばす。
「婆さんの次はフグか。忙しい奴だな」
そう言って膨らんでいる頬を親指と人差し指で両側から押す。
「ぶぅ。苛めないで下さいよ、雪先生」
両頬を掴まれたまま不満を漏らすと、そんな二人を見ていた蓮実が顔を険しくさせる。
「ねえ未亜、いつの間に呼び名を作るほど仲良くなったのよ」
芹河と談笑していた神城も輪に加わって、にかりと笑った。
「一気に親しみやすくなったな。俺もお菓子欲しい、雪せ」
「お前に名前を呼んで欲しくない。次呼んだら、お前ら3人のお茶に下剤盛るぞ」
清々しいほどにはっきりと言い放つ小埜に、神城はぼそっと呟く。
「全然親しみやすくなってないし」
「しかもなぜ俺たちまで…」
芹河も降参したようだが、蓮実は勇敢にも立ち向かう。
「じゃあ何、未亜だけ名前で呼んでいいの?何だか危険な予感が――」
「止めておけ坂本。小埜先生からは神城の母さんと同じ匂いがする。敵に回したら徹底的にやられるぞ」
緊迫感の伴う芹河の言葉に、蓮実は悔しそうに押し黙る。
「待て待て。俺の母ちゃんが誰に似てるって?」
納得行かない神城が芹河と蓮実の間に入った。未亜はシンクに向かう小埜の後についていく。ミニ冷蔵庫の上に無造作に置かれた箱を見て声を上げる。
「あ、ミイラパンダのクッキー。雪先生が買ってきてくれたんですか?」
人数分のコップを用意していた小埜は隣に立つ未亜を横目で見て生返事をした。
「コンビニで見つけた。新しく出たやつらしい」
「へへ、嬉しい。大好き、雪先生」
未亜専用の薄赤色のコップと、小埜専用の黒色のシンプルなコップを手に持っている小埜に横から抱きつく。
「おい、いちいちくっつくな。邪魔だ」
コップを落とさないように台の上に置き、未亜の頭を控えめに押しやる。だが、しっかり腕を回されていて離れない。
「ぎゃあっ、あたしの未亜が!…許さない、サシで勝負しろ、この陰険変態眼鏡!」
「ひぃっ!」
憤怒の鬼といった形相で現れた蓮実に、未亜は思わず小埜の胸にしがみつき、小埜はため息をついて小さな頭を撫でる。
「嫌だ、面倒くさい。それに俺が悪いわけじゃない」
「お、勝負すんの?面白そうじゃん。ババ抜きでもやるか。俺トランプ持ってるし」
椅子に座っている神城が自分の鞄からトランプを取り出して掲げた。蓮実は指を鳴らして不敵に微笑む。
「ナイス神城!いざ、勝負よ!」
「だから俺はやらないって言ってるだろ。お前らと違って忙しいんだ」
ようやく離れた未亜の額を軽く小突いた。小埜の言葉を聞いた蓮実は、にやりと笑う。
「あ、そうですか。では小埜先生の不戦敗で、未亜はあたしのものになりました」
蓮実は小埜の隣に立っていた未亜の右腕を絡め取って見せ付けた。むっとした表情で小埜は未亜の左腕を引く。
「待てよ。こいつはお前のものじゃない」
「ちょいとお二人さん、年寄りを苛めないでおくれよぉ」
両腕をそれぞれ違う方向に引っ張られると、幼稚園児にでもなった気分だ。
こんなことあったな。花いちもんめ
頭の中で懐かしい歌を思い返していると、蓮実がついに確信をつく問いかけをする。
「へぇ、じゃあ未亜は一体どこのどいつの何だって言うんです?」
「は、蓮実」
うろたえる未亜をよそに、蓮実は小埜に対して顎を前に突き出し、ガンを飛ばす。売られた喧嘩は買う主義。蓮実の攻撃を真っ向から受け止めた小埜は未亜の細い腰に腕を回し、勢いよく引き寄せた。
「こいつは俺の玩具だ」
右腕を腰に回され、左手で頭を抱えられた。いわゆる抱きすくめるといった行為。
「この変態、不道徳眼鏡!」
神城は事の成り行きをただ傍観するのみ。
「坂本って眼鏡に恨みでもあるの?」
芹河は微妙な顔つきで首を捻る。
「さあ…」
一方、小埜の腕の中に収まっている未亜は体の芯から温まっていくのを感じていた。
「雪先生あったかい」
「お前の方が熱い」
未亜は真上を向いて、逆さまに映った小埜の顔を見る。
「ババ抜きしましょう、雪先生。それで、一番に抜けた人がビリの人に命令するんです。蓮実たちも一緒に」
無邪気な笑顔を向けられた小埜はしばし考えこみ、やがて口を開く。
「やってやる」
「うそ」
蓮実、神城、芹河の視線が一様に注がれているのは悲愴な表情の未亜。
手にはまだ1枚のカードがある。
「終わったな」
3番目に抜けた芹河は散らばったカードをまとめにかかる。
「桐原よわすぎ」
4番目に抜けた神城は、未亜が負けないように気を遣っていたにも関わらずこうなったことにため息をつく。
「ひ、ひどい。私だって頑張ったのに…うぅっ」
ビリは堪えるものがある。涙腺が緩くなるのを止められない未亜は、鼻の奥がツンとして顔を覆う。
2番目に抜けて放心していた蓮実が神城に噛み付く。
「ちょっと神城、未亜に何てこと言うのよ。凹んじゃったじゃない」
「ごめんて」
未亜の頭を撫でようとした手が、誰かに止められた。
「お前ら何してる。桐原、お前がビリになったのか」
神城の腕を掴んだままの小埜が全体を把握したように未亜を見る。
「ううっ、途中までは調子が良かったのに…」
しゃくり上げるような泣き方に変わった未亜の頭を、神城の腕を放した手で撫でてやると、立ち上がった未亜がくるりと振り返って抱きついてきた。小埜はため息をつきながらも頭を撫で続ける。
「ったく、餓鬼が泣くと調子が狂うんだよ」
「なぜ私に抱きつかない」
嫉妬の炎に包まれている蓮実の肩を、芹河が軽く叩く。
「まあまあ。それにしても意外だったな。一番に抜けたのが、まさか小埜先生とは」
「ふん。お前らみたいなひよっ子とは違うんだよ。――さて、桐原」
「な、何ですか」
目元を赤くした未亜の顔を覗きこむと、未亜は嫌な予感がしたのか顔を引きつらせた。
その表情に、小埜はにやりと微笑む。
「誰かさんが発案したルールによると俺はお前に命令しなきゃいけないんだろ?」
やはりそうきたか
「う…」
窮地に立たされた未亜に救いの手が差し伸べられる。
「こいつ鬼よ!弱ってる未亜につけこんで、やらしいことさせるつもりなのよ!」
「いくらなんでもそれはないだろ。先生なんだから、さ?」
神城が探るように小埜を見るが、当の本人はしれっとしている。
「お前ら五月蝿い。桐原の機嫌を治すから、保健室から出て行け」
「何ですって、やっぱり…むがっ!?」
「了解」
「30分程経ったら戻ってきます」
神城の手振りで蓮実の口を芹河が塞ぎ、連行する。蓮実は腕やら足やらをじたばたさせて抵抗していたが、屈強な男子二人に挟まれては為す術もない。
「―――!(あたしの未亜がー!)」
未亜が止める間もなく、3人はあっという間に保健室から出て行ってしまった。
「騒がしい奴らだ」
閉められたドアを眺めていた小埜は、腕の中で静かなままの未亜を見下ろす。
「おい桐原。いつまで拗ねてるんだ。いい加減泣きべそかくのは止めろよ」
鼻をすする音がして、未亜のか細い声が届く。
「…雪先生」
「ん?」
「…もっとぎゅってして」
「はいはい。これでいいか?」
力を入れすぎないように加減して、回した腕に力を込める。
「うん」
「赤ん坊と同レベルだな、お前は」
白衣の襟をぎゅっと掴んでいる未亜をからかう。
「どうせ私は餓鬼ですよ」
不貞腐れた声に小埜の低い声が続く。
「そんな所も可愛いと思うけどな」
「え」
顔を上げた未亜の目元を指でそっと撫で、穏やかな笑みをたたえる。
「お前を見ていると父性愛を掻きたてられる」
「怒りますよ」
少し元気を取り戻した未亜に、時計を見て完全下校の時間だと告げる。教室にいるであろう3人のもとに向かって行った未亜の背中を、小埜は見送った。
それから数日経った放課後。日直の仕事を終わらせた未亜は鼻歌を歌いながら玄関に向かっていた。
外はあいにくの雨。だが未亜は鼻歌をやめない。傘立てから自分の傘を引き抜いてワンタッチボタンに指をかける。
「今日はミイラパンダだから、雨が降っても槍が降っても問題なし!いざ、出動!」
傘を開いた瞬間、横から強風が吹いて傘を持つ手が取られた。
バンッ、バキバキッ。
「…え」
見事に裏返っただけでなく、骨が数本殉職した。
「私の、私のミイラパンダが……!」
がっくし、と項垂れた未亜は職員玄関から歩いてきていた人物の存在に気づいていなかった。
「おい」
誰もいないと思っていた未亜は壊れた傘を手に飛び跳ねる。
「うひゃ!雪先生、いつからそこに!?」
藍色の傘をさしている小埜は帰宅する格好だ。
「お前が意気揚々と傘を開いて見事にぶっ壊したとこから。1人で漫才でもやってるのかと思った」
淡々と答えた小埜だったが、未亜を襲った不運に笑っていたことは言わない。生徒玄関に傘を置いた小埜は元傘を手に取る。
「これはもう無理だな。完全に折れてる」
「そんな、私の傘…」
「家に帰って処分するんだな」
折れた骨が間違って刺さらないようにときつくしばってまとめ、未亜に返す。
「…どうも。雪先生さよなら」
自分の傘を拾い上げて開いた小埜に、肩を落としたままで未亜は手を振る。小埜は理解しがたいといった顔で未亜を見た。
「…何を寝ぼけたこと言ってるんだ。お前も帰るんだろ?俺の車で送ってやる」
「えっ。いいんですか?」
「いいも悪いもそうするしかないだろ。早く来ないと置いてくぞ」
さっさと歩き始めてしまう小埜を、未亜が雨に打たれながらも追いかける。
「雪先生、待ってください」
「早く入れ」
立ち止まった小埜は傘の中に未亜が入ったのを確認して歩き出す。
「久し振りですね。先生の車に乗せてもらうのって」
駐車場に向かうまで、生徒や教師とすれ違うことはなかった。小埜の黒い普通車の周囲には、ほんの数台の車があるだけだ。助手席に乗り込む未亜に傘を差してやっていた小埜はドアを閉め、運転席側に向かった。傘を後頭部席に放り、発車の準備をする。
「桐原、シートベルトしたか?」
「ばっちしですとも」
「じゃあ、行くぞ」
エンジン音とともに車が走り出す。フロントガラスを叩きつける雨を眺めていた未亜は、車内をぐるりと見回した。
「それにしても殺風景ですよね。彼女とか乗せると何か言われません?」
シンプルイズザベスト、とは言うがどこにも小埜を象徴させるものが無い。
それも先生らしいけど
「いない」
「何の話ですか?あ、彼女ですか。…え、いないの?」
「いない」
「今まで?一度も?」
「ああ」
「どうしてですか。雪先生見た目は格好いいのに」
素直な気持ちを打ち明けた未亜を、小埜が少し気を悪くしたように睨む。
「失礼な奴だな。俺は女が嫌いなだけだ」
「ん?私女ですよ?」
「お前は餓鬼だ」
鼻で笑われる。
「今カチンと来ました」
「それは良かったな」
「いつかぎゃふんと言わせてみせます」
「おおそうか。俺が生きてきた中でその言葉を使っている奴は見たことが無いがな」
「馬鹿にしてるでしょ」
顔がフグになった未亜の頭を、小埜が左手で叩く。
「はいはい。楽しみにしとくよ」
ハンドルに戻っていく左手を名残惜しく見ていた未亜は、隣の小埜をちらりと伺う。
「…ねえ雪先生、1つお願いしてもいいですか?」
「急に改まってなんだ。聞くだけだぞ」
未亜は少し笑った。
「聞くだけ聞いて下さい。あのですね、卒業式のあと保健室で待っててほしいんです」
「卒業式のあと?…そうか、お前3年だったな」
2ヶ月後には未亜は高校を卒業し、華里大学に通うことになっている。
「どうせ仕事があるけど、何の用だよ」
「秘密です。ちゃんと待っててくださいね」
「分かったよ」
もうすぐ未亜の家に着く。
まだここにいたいな。もっと一緒にいたいな
その思いを口にはせずに、ただ笑う。
「約束ですよ」
「しつこいな。俺は約束を守る人間だから安心しろ」
本当ですか?と未亜がからかって尋ねると
「約束は守るが時間は守らないだけだ」
返ってきた自由な答えに、未亜はどこか懐かしそうに目を細めた。
未唯さんに似ているけれどただの憧れだけじゃない
好きなんだ
この気持ちは、止められない
附属高校って、受験とかどうなってるんでしょうね。
…勉強します。




