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異物混入 〜ドラッグストア店員、異世界の宿屋でダンジョンマスターになる〜  作者: タイハクオウム


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第一話

 床の下で、何かが脈を打っていた。


 一定の間隔で、心臓の鼓動のように響いている。その音で目が覚めた。


 あたりは暗かった。湿った藁の匂いがして、すぐ近くで誰かがいびきをかいている。


 体を起こすと、そこは広い部屋だった。粗末な木の寝台がずらりと並び、その上で何人もの男が眠っている。


 部屋の真ん中には、腰の高さほどの板の仕切りがあった。向こう側からも寝息が聞こえる。


 俺が寝ていたのは、そのいちばん隅の寝台だった。


 最後に覚えているのは、閉店後のバックヤードだ。


 ハンドソープが帳簿より三本少なくて、棚卸しの数字とにらみ合っていた。段ボールに背中を預けて、少しだけ目を閉じた。そこまでは覚えている。


 着ていたはずの店のエプロンはなかった。ごわごわした麻のシャツとズボンを着ていて、ポケットすらない。スマホも財布も、どこにもなかった。


 床の下の鼓動は、まだ続いている。


 床板に耳を当てると、音はたしかにその奥からしていた。板の隙間から、青白い光がかすかに漏れている。


 隙間に指先を入れた瞬間、目の前に半透明の板が現れた。


【ダンジョンマスター】

階層:なし

DP:1,000

異物混入:Lv1(付与枠 1)

配下:なし

■■■■:■■■■■■


「……は?」


 思わず声が出て、慌てて口を押さえた。隣の寝台の髭面の男が寝返りを打ったが、起きる気配はない。


 ダンジョンマスター。休憩室で後輩がやっていたスマホゲームに、そんな言葉が出てきた気がする。


 この板には、名前を書く欄すらなかった。いちばん下の行は黒く潰れていて読めない。


 板に触れると、文字が浮かんだ。


――当ダンジョンの領域は、この部屋です。


――地下へ拡張する場合、一辺はこの部屋の幅を超えられません。


――コアが破壊された場合、マスターも消滅します。


 最後の一文を、俺は三回読み直した。


◇


 板には、ほかにも項目が並んでいた。


――地下一階の拡張:300DP


――スライムの召喚:40DP


 手持ちは1,000。三階まで掘れば、残りは100になる。スライムなら二匹だ。


「地下三階まで」


 口に出すと板が光った。床の下に、四角い空洞が三つ縦に積み重なっていくのが分かる。音はしなかった。


 部屋の隅の床板が一枚、すっと沈む。覗き込むと、石の階段が下へ続いていた。


 俺だけが通れる隠し階段らしい。各階の部屋を通らずに、壁の内側を伝って一番下まで降りられる。


 階段は、壁の内側を折り返しながら、地下三階まで続いていた。


 地下三階の真ん中には、人の頭ほどの青い石が浮かんでいた。これがコアらしい。さっきの鼓動と同じ間隔で、光が明滅している。


 コアに手を触れると、青い光の中に地下一階の様子が浮かび上がった。縦も横も高さも十メートルほどの、がらんとした石の部屋だ。


 念じると、映る景色が地下二階に切り替わった。こちらも、同じ大きさの空っぽの部屋だ。


 スライムの召喚を選ぶと、画面が切り替わった。


――付与する異物を選択してください。


 並んでいたのは、商品名だった。歯ブラシ、のど飴、湿布、綿棒、固形石鹸、目薬、マスク。


 スクロールしても終わりが見えない。全部、うちの店の商品だ。半分くらいは、並べた覚えすらない。


 棚卸しのことが頭に残っていたせいか、指が固形石鹸を選んでいた。


 コアの前に、手のひらほどの白い塊がぽとりと落ちた。洗いたてのタオルの匂いがする。そいつは床を這って、俺の靴のそばまで寄ってきた。


 残りのDPで、もう一匹呼べる。


 コアのある地下三階まで、誰も来させたくない。手前の地下一階で足止めできるものがいい。


 一覧をスクロールして、潤滑ゼリーを選んだ。


 コアの前に、今度は薄い桃色の塊が落ちた。指先でつつくと、ぬるりと滑って逃げる。


 滑って立てない部屋なら、そう簡単には抜けられないはずだ。


 コアに触れて、地下一階へ移れと念じた。桃色のそいつは、床に吸い込まれるように消えた。


 光の中の地下一階に、桃色がとろりと広がるのが見えた。ドラム缶一本にも満たない量だ。十メートル四方の部屋には、あまりに少ない。


――スライムは、吸収したものを糧に成長します。


 地上へ戻る階段の途中で、自分の手が震えていることに気づいた。


◇


「おい、見ねえ顔だな。宿代は払ってあるのか」


 翌朝、熊のような大男に起こされた。宿の主人だった。


 荷物ごと盗まれたと答えると、主人は俺を睨んでから鼻を鳴らした。


「なら働け。裏の物置を片付けたら、三日分はただにしてやる」


 物置はひどい有様だった。麻袋と樽と木箱が積み上がり、奥では芋が腐りかけている。


 品目ごとに分けて、古いものを手前に出す。数を数えて、木切れに炭で書きつけていく。店でさんざんやってきた作業だ。


 麻袋を数えていると、視界の端に板が浮かんだ。数字がひとつ減っている。


――DP:19


 体が妙に重い。床下の鼓動も、ずいぶん遠くに聞こえた。


――領域外では、DPを消費します。マスターの力も制限されます。


 裏木戸の先を覗こうとすると、鼓動が耳を打って足が止まった。宿の外までは出られないらしい。


 それからは、物置の仕事を少しずつ片付けては、こまめに大部屋へ戻るようにした。


 夕方、主人は木切れの数字を見て黙り込んだ。


「……塩が二袋足りねえ」


「仕入れの帳面だと、十袋届いたことになってますね」


 翌日、出入りの業者が平謝りで塩を届けに来た。それから主人は、俺を「おい、帳面屋」と呼ぶようになった。


 そう呼ばれるたびに、厨房の娘がくすりと笑う。頬にいつも小麦粉をつけている、宿の娘だ。


「お父さん、あだ名なんてつけるの珍しいんですよ」


 朝は誰より早く竈に火を入れ、夜は誰より遅くまで皿を洗っている。そんな娘が、その夜、黒パンを布に包んで持ってきてくれた。


「夕食の残りですけど。帳面屋さん、昼も食べてないでしょう」


「ありがとう。……いつも、こんなに遅くまで?」


「お母さんがいなくなってから、ずっとですよ。もう慣れちゃいました」


 娘はそう言って笑い、また洗い場へ戻っていった。


 俺は宿のゴミ捨ても引き受けた。割れた皿、底の抜けた鍋、腐った芋。夜のうちに厨房の裏から集めてきて、大部屋の床から地下へ落とす。


 大部屋の床は、俺が念じればどこでも開いた。好きな場所を、好きな広さで。


 桃色のスライムは、陶器も鉄も構わず飲み込んだ。鍋が落ちても音ひとつしない。どうやら、音まで吸い込んでしまうらしい。


 白いスライムも、ゴミを食べるたびに大きくなった。古い毛布をかぶせてやると、五日目には人ひとり分の膨らみになった。


「なあ。もう少し、人っぽい形になれるか」


 毛布の下で、白い体がゆっくりと形を変えた。膝を抱えて眠る、細身の女の輪郭だった。


 俺はそいつを、仕切りの向こうの女部屋に運んだ。いちばん隅の寝台に寝かせる。


 毛布の端から、かすかに石鹸の匂いがした。暗がりで見れば、誰かが眠っているとしか思えない。


 昼のあいだは毛布をたたんで寝台に置く。白いスライムは寝台の下に潜って、床板のふりをさせておく。女の形で寝かせるのは、大部屋の灯りが落ちてからだ。


 五日目の朝、俺は板の数字を見てため息をついた。


――DP:21


 毎晩、少しずつは増えている。領域の中に人がいるだけで、DPは入ってくるらしい。


 ただ、朝には消えている。階層とスライムの維持費に、物置や厨房の裏へ出ていた分が重なるからだ。


 板の説明には、もう一行あった。


――領域内で倒れた侵入者の力に応じて、DPを獲得します。


 その意味は、考えないようにしていた。


◇


 六日目の夕方、三人組の男が宿に入ってきた。


 腰に剣を下げ、擦り切れた革鎧を着ている。先頭の男の頬には、耳まで届く古傷があった。


 傷の男は奥の寝台に荷物を放り投げた。そこでは、痩せた若い行商人が先に荷を解いていた。


「あの、そこは僕の……」


「あ?」


 ひと睨みで、若者は黙った。荷物を抱えて、戸口のそばへ移っていく。


 夕食のとき、娘が三人の卓に麦酒を運んだ。傷の男がその手首を掴む。


「姉ちゃん、酌くらいしてけよ」


「ごめんなさいね、お客さん。洗い物がまだ山なの」


 娘は笑顔のまま、するりと手を抜いた。慣れた手つきだった。


 背を向けた娘に、傷の男は舌打ちをした。


 その夜、俺は隅の寝台で寝たふりをしていた。


 夜が更けると、戸口の寝台から行商人が起き出して、厠へ出ていった。


 足音が遠ざかるのを待っていたように、背の低い男が身を起こした。行商人の荷袋の口を手早くほどいて、中を探る。


「しけてやがる。銅貨ばっかりだ」


「やめとけ。夜中に騒がれちゃかなわねえ」


 男は荷袋を元どおりに縛り、自分の寝台へ戻った。しばらくして、行商人があくびをしながら帰ってきた。何も気づいていない。


 客が寝静まってから、俺は厨房の裏へゴミを集めに出た。


 井戸端に、三つの影があった。三人組が、宿からくすねたらしい酒を回し飲みしている。俺はとっさに、樽の陰に身を沈めた。


 ここは大部屋の外だ。見つかっても、床は開けられない。


「前の村の行商人、覚えてるか」


「川に沈めたやつだろ」


「最初はぎゃあぎゃあうるせえのに、沈めたら急に静かになってよ。何度思い出しても笑える」


「荷車ごといただいたしな。命の値段にしちゃ安いもんだ」


 三人が、喉の奥で笑った。


 俺は樽の陰で、拳を握った。


「で、今夜はどうする」


「女部屋の隅に、一人で寝てる女がいたろ。毛布かぶって、ずっと動かねえやつ。ありゃ一人旅の女だ。誰も探しやしねえよ」


「三人でか」


「当たり前だろ。見張りなんざいらねえよ、こんなぼろ宿」


「宿の娘は?」


「あれは明日だ。出ていく前の晩にしねえと、親父がうるせえからな」


 また、笑い声が上がった。


 俺は息を殺したまま、腹の底が冷えていくのを感じていた。

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