お嬢様、朝っぱらから破廉恥です。
父の日から一週間後の月曜日。
その朝はいつもと違っていた。
龍真はいつものように政美を起こしに寝室へ向かった。
「失礼致します」
襖を開けると、目の前に飛び込んできたのは、黒いサテン地に包まれた白桃のような臀部。
「失礼致しました!!!」
スパーン!!! と破裂に似た音を立てて、襖を閉めた龍真。
「おはようっ。龍真。朝からイイモノ見れたでしょ〜」
襖から既に制服姿の政美が顔を出す。
「まさか覗かれるとは思わなかったけど。女子高生の生着替え、興奮した?」
「いいえ。驚きました。お嬢様がご自分でお目覚めになってご支度まで整えられているのを見たのは生まれて初めてですから」
「つまんない〜〜」
「おはようございます。お嬢様」
縁側で指をついて頭を下げる。如何なる時もペースを崩さない。
「うん。おはよう」
言いたいことはあるが、言っても無駄なので政美は応える。
「龍真。今日からお父様の下で秘書見習いね」
「はい。精一杯勤めさせていただく所存に御座います」
「龍真……」
「はい。お嬢様」
「あたしから離れないでね。あたしのこと忘れちゃダメよ」
「全てはお嬢様の為に御座います」
龍真は恭しく頭を下げる。
やけに聞き分けの良い主を誇りに思う。
このお方は理解しているのだ。
正直、侮っていた。
普段は甘えん坊で我が儘で駄々っ子で手のつけようがないのだが、今回はまるで別人のようだ。
「龍真。こっちきて」
手を握られ、寝室に引き込まれる。
「お嬢様?」
政美が龍真の腰に両手を巻きつけ、胸に顔を埋める。
「お嬢様っ、なりません! 万が一人に見られでもしたら……」
とは言え、他の従業員が出勤するのは、朝十時からで、終業は十八時、遅くとも二十時には龍真と政美の二人になる。
「充電してるの」
「は、はい?」
「これからはいつでも龍真が傍にいる訳じゃないから。送り迎えだって妥協してあげたんだから、これくらい当然でしょ」
「しかし……」
政美の手に力が籠もる。
「あたしね。ずっといらない子だと思ってた。右目がなくなって、お母様はあたしを可愛がってくれなくなった」
「それは、」
龍真の胸が痛む。それは自分のせいだと言いかけたのを、政美の言葉が遮った。
「顔の傷は殆ど目立たなくなったけど、家も別々にされて、お母様は一度も遊びに来てくれないし、父様は変わらずに可愛がってくれるけど、美姫が産まれたって聞いたとき、もう、期待されないんだと思ってた。だけどね、こないだ父様が龍真をご自分の元で勉強させるって言ったとき、わかったの」
政美が顔を上げて、まっすぐ龍真を見た。
その左目は、潤みながらも強い確信を持っている。
「父様は、あたしにまだ期待してくれてる。龍真は、あたしの傍から離れない。そうでしょう?」
「仰るとおりで御座います」
龍真は、低く、はっきりと答える。
「だからね、あたし、強くなる。このままではいられないもの」
「お嬢様、ご成長あそばれましたな」
「遊んでないもん!!」
「いえ、そういうことではなく……」
龍真は苦笑しながら政美の髪を指で梳く。
「お嬢様、あなた様のご成長が私のなによりの喜びです」
「ふふふ。去年より三センチ大きくなったのよ」
「いいえ。背丈ではなく」
「違う! 胸!!」
「私はそういうことを申し上げているのではありません!!」
肩を引き離そうとすると、ネクタイを引っ張られた。
「いつもマトモに相手しないけど、ちゃんと見て!!!」
「どうしたら話がそっちに向かうのですか!!?」
「今あたしが成長するのがなによりの喜びって言ったじゃない!!」
「意味が違います!!」
政美は器用に片手でセーラー服のリボンを外しながら、前をはだけ始める。
「なにをなさっているのですか!?」
思いきりネクタイを引っ張られ、平衡感覚を失う。
そのまま首に両手を絡められ、布団になだれ込んでしまった。
「御戯れが過ぎます!!」
政美に覆い被さる形になり、龍真は慌てて起きあがろうとしたが、腕に阻まれ、反動で顔をつきあわせるかたちになってしまった。
「ふざけてないよ」
頬を紅潮させ、熱っぽく潤んだ眼差しで首を傾げる様は、絶大な攻撃力で龍真の理性を揺さぶる。
しかし、ここで流されるわけにいかない。
お嬢様に手をつけたとなれば、厳罰ものだ。そして魔が差しただけで、誓いも約束も無に変わる。
「ほらほら。据え膳食わぬは武士の恥って言うじゃない」
――それを言うなら男の恥です、と訂正してあげようと思ったが、これをチャンスとした。
「わたくしは!!」
一気に肩を押し返し、政美を組伏せる。
「寺の子です故、恥にはなりませぬ!!」
勘当されたけど、とは言わない。
政美が呆気に取られた隙に起きあがり、着衣の乱れを直す。
「お嬢様の精神的成長を楽しみにしております。それでは、朝餉の準備が出来ておりますのでこれにて」
だいぶ『精神的』の部分を強調して言い放ち、足早に寝室を出た。
「イイ線行ってたのに」
政美は布団の上にあぐらをかき、遠くなる龍真の足音を聞いていた。