第一話 悲しい記憶
この王国の貴族子女が通う学園に入学して三年が過ぎた。
三年制の学園の最終学年になって隣国からの留学生を紹介され、私は気づいた。
彼は前世で私の婚約者だった男性だと。
私は前世でもこの王国に住んでいた。
当時は侯爵令嬢で、幼いころから公爵家の令息と婚約していた。
前世での私の名前はニコラッタ、彼の名前はアモローソ。
政略的な縁談に過ぎなかったけれど、私は美しく魅力的な彼が大好きだった。
彼を好きなのは私だけではなく、アモローソには多くの浮気相手がいた。
前世の私は彼の浮気相手のひとりに刺し殺されたのだ。血の滴る短剣を手にして、彼女は叫んだ。
『アモローソ様! 貴方に執着するこの女が怖いから、この女がなにをするかわからないから、この女と別れて愛する私と結ばれることが出来ないのだとおっしゃっていましたが、侯爵令嬢ニコラッタは死にましたわ!』
私は婚約者のアモローソが大好きだった。
だけど浮気三昧の彼に心は折れていき、もうすぐ学園を卒業するというそのころには前世の両親に婚約の解消を申し出たりしていた。
両親も賛成してくれていたのに、主君である第一王子の権力を使ってまで婚約の解消を拒んでいたのはアモローソのほうだ。どうしてだったのか、今の私は知っている。
私が刺されたのは、今と同じ学園の中庭だった。
これまた今と同じようにアモローソと一緒に散策をしていたときだ。
短剣を持つ女の言葉で私は察した。前から薄々気づいていたけれど、アモローソは浮気相手を本命にしない理由に、目つきが悪くて誤解されがちな私を利用していたのだ。実際は浮気相手の下位貴族の令嬢達など、結婚しても自分の利益にならないから食い逃げするつもりだっただけなのに。
確かに私はアモローソの浮気相手に厳しい態度を取っていた。
罵声を浴びせたこともある。
しかし自分の婚約者の浮気相手に怒りを覚えない人間がいるだろうか。
私はちゃんとアモローソにも怒りをぶつけ、話し合いをしようとしていた。
それから逃げて、私ひとりを悪者にすることですべてを終わらせていたのは彼のほうだ。
前世の私の人生はそのまま、刺されて体勢を崩した私を抱き締めたアモローソの腕の中で終わった。たとえようもない幸せを感じながら──
★ ★ ★ ★ ★
俺には前世の記憶がある。
留学して来たこの国で公爵家の令息アモローソだった記憶だ。
当時の俺には婚約者がいた。侯爵令嬢ニコラッタ──今目の前にいて、侍女や従者と一緒に学園を案内してくれている彼女の前世だ。
ニコラッタの刺殺事件から数十年間封鎖されていたこの中庭は、最近になって解放されたらしい。
それには目の前にいる彼女の尽力があったという話だ。
前世の俺は浮気者だったが、この中庭にはニコラッタとしか来たことがない。彼女もそれを覚えていたのだろうか。
彼女は前世と同じで目つきが悪く、誤解されやすい性格もそのままなのか俺の故郷にまで悪評が届いていた。
でも俺は本当の彼女を知っている。
だれよりも優しくて傷つきやすく……見た目の良さと口の上手さしか取り柄のない俺のことを一心に愛してくれていた彼女を。元々ニコラッタと別れてほかの女を選ぶつもりなどなかったのだ。第一王子の側近だった前世の俺は金目当ての女と結婚して、その女の情夫に殺された。
「美しい中庭ですね」
「ええ。……学園に無理を言って解放させてしまいました。実は私、この中庭に大切な想い出があるんですの」
胸が騒ぐ。彼女にも前世の、ニコラッタとしての記憶があるのだろうか。
俺と過ごした日々を覚えているのだろうか、それとも再会して思い出してくれたのか。
よく見れば、彼女の後ろに控えている侍女も前世で見た記憶がある。従者のほうは……前世でも見たような気もするが、はっきり思い出せない。この国によくいる顔なのだろう。
「ニコ……ッ」
胸に渦巻く感情に押されて前世の名前で呼びかけると、彼女は吊り目がちの瞳を丸くした。
そうすると年相応のあどけなさが滲み出て、優しくて傷つきやすい本当の性格が露わになる。
ニコだ。俺のニコ、前世の俺の愚かな所業で喪ってしまった大切な婚約者。
「君はニコ、侯爵令嬢ニコラッタなのだろう?」
「やっぱり貴方は公爵令息アモローソだったの?」
「ああ、そうだ」
俺はニコが笑みを浮かべてくれると思っていた。
前世で浮気した俺が詫びの花束を持って侯爵邸を訪ねたときのように、ふたりで一緒にこの中庭を歩いたときのように、心底幸せそうな笑みを。
俺の浮気相手に刺されて、俺の腕の中で意識を失っていったときにも見せてくれた笑みを。
でも今の彼女が浮かべたのは嘲りを含んだ笑みだった。




