一話 エルフのお姉さんに出会った
「あ」
気が付くと僕は森の中に立っていた。視線が記憶にあるものより低い。ふと手を見ると見慣れた手の平ではなく、それよりも一回り小さな手の平が見えた。手首も記憶よりずいぶんと細いように見えて、自分が本当に若返っているのだという自覚を少し覚える。
「そうなると、ここは本当に異世界ってことになるのかな」
世界の狭間であるという空間で少女の姿をした神様と話をして送り出されたのは今さっきのことだった。しかし周囲に見えるのはごく普通の木々で元の世界の物と変わりなく、僕自身の変化がなかったらここが異世界なのだとは思えず全ては夢だったと思っていたことだろう。
「…………まあ、ここが元の世界でも色々おかしいけど」
僕は元の世界では致命傷を負った状態で意識を失っていて、仮に助かったのだとしても目が覚めるなら病院の中かその現場だ。間違ってもこんな森の中であるはずはない。
「…………待っていればいいんだっけ?」
状況の整理がついたところで僕は呟く。あの少女の神からは向こうから気づくはずだからじっと待っているように言っていた…………そもそも動こうにも周囲には同じような森の木々しか見えず指針になるものすらない。仮に自力で人里を目指そうとすれば間違いなく遭難して数日で新しい人生を終えそうだ。
なにせあの少女の神の話が本当であればこの世界には熊どころか凶悪な魔物が出現する。それと遭遇したらその時点で終わりだ。
「どれくらい、待てばいいんだろうか」
そんなことを考えたせいか不安がよぎる。歩き回らずともここで待っているだけでも魔物が寄ってくる可能性はあるだろう。そうなるとどこか身を潜めるような場所を探したくなってくるけど、それで見つけてもらえなくなっては意味がない。
「動くな」
思い悩んでいると背後から声が聞こえた。綺麗な女性の声でありながらも鋭く刺さるような冷たい声色…………少なくとも友好的な雰囲気じゃないのはそれだけでわかる。振り返ってその姿を確認したいのに、まるで首筋に刃物を突き付けられているような感覚があって指一本動かせなかった。
「何者だ、此処は私の領域…………無断で立ち入ることは約定で禁じたはずだ」
「や、約定?」
そんなことはあの少女の神から聞いていない。
「お前はなんのためにここに立ち入った」
「た、立ち入ったというか神様にここに送られて…………」
「神?」
繰り返すその言葉は不快そうだった。
「お前、転生者か?」
「そうです!」
僕は喰いつくように頷いた。
「その転生者が私に何の用だ」
「あの、それはあなたに保護してもらうように言われて…………」
「保護、だと?」
怪訝な声色だった。
「転生者であればあの神から相応の加護を与えられているだろう…………いや、確かにお前からはあれの力をほとんど感じないな、どういうことだ?」
「それはその、僕は神様からチート…………加護を貰うことを拒否したので」
僕はあの少女の神からの使命を拒否した。そうなれば当然チート能力も与えられないものだろうけど、実際のところあの少女の神は使命を拒否したのに能力だけは僕に与えようとしてくれた…………だけれどそれすらも僕は拒否したのだ。
「別に貰って損するものでもないだろう。確かにあれはその代わりに面倒ごとを押し付けてくるが、それを放棄しても罰を当ててはこない」
確かにあの少女の神も使命に関しては気が向いた時でも構わないと最初僕を説得した。この異世界はただ生きるにも過酷だから、相応の力は持っておくべきだと。
「その、僕は前の世界では友人と思っていた人たちに殺されたので…………新しい人生ではあまり人と関わらず目立たず静かに生きたかったんです」
殺された記憶がまだ鮮烈なこともあって前世での僕の死因はトラウマだ…………なぜ自分が殺されたのか、それが今だ理解できないこともあって人と関わるのは怖い。だから僕は勇者のような目立つ上に多くの人との関りが必要な役割になりたくはなかったし、持っているだけで目立ってしまうような力も欲しくなかった。
もちろん力を貰ってもそれを使わず隠して生きるという選択だってあるだろう。実際あの少女の神にもそう説得されたけれど、力があればそれを使うという選択肢が生まれる。
例えば誰かが窮地に陥っている時に無力であれば助けられなくても仕方のないことだけど、力があるとそれを助けるという選択肢が生まれてしまう。例え助ける義理の無いような相手であっても助けられたはずの相手を助けなかったことになるのだ、つまりは見捨てたということになってしまう。
力を持つ者の責任という奴だ。
僕は別に自分を善人とは思わないが、人を見捨てて平気でいられるような悪人でもない。力を持ってしまえば、きっと僕はその内誰かを見捨てることの罪悪感に押し潰される…………だから力を求めなかった。
「賢明だが愚かな選択だな。何の力もなくこの世界に転生すればその日の内に死んでいてもおかしくはない…………なるほど、それで保護か」
女性は納得したように呟く。
「その、それなら力を与える代わりに僕を保護してくれる人を紹介してくれるって…………長命種は長い人生を持て余しているから、人間の一生くらい一瞬の暇潰しと思って世話してくれるからと」
長命種。いわゆるエルフのような存在だとあの少女の神は言っていた。その中で自分の眷属となっている者がいるからそいつに僕の一生を保護させると。
「言っておくが、あれがどんな約束をしたかは知らんが私にお前を保護する義務はない。確かに私はあれの代行者としての役割を与えられているが、報酬の代償として与えられた仕事をするだけの関係だ。余計な仕事をするつもりはない」
「あ、あの…………手紙! そう、手紙を預けられてます!」
ここで見捨てられたら詰む。流石に僕も新たな人生を迎えた直後に死にたくはない。そんな危機感がその存在を思い出させた。異世界に転生して保護者となる長命種に会ったら渡すように言われていたのだ…………こういう事態を想定していたならあらかじめ言っておいて欲しかったが。
「手紙だと?」
「た、多分ズボンのポケットに入ってます」
今気づいたが、ズボンのポケットに何か入っている感触があった。
「動かず、そのままでいろ」
女性が告げてその気配が近づいてくる。僕の事情を理解してもまだ彼女は僕のことを信用したわけじゃない。警告に従わなければ今この瞬間にも彼女は僕の命を脅かすだろう。
震えて動いてしまわないように僕はなんとか自制して動かないように集中し、そうしている間に女性は僕のズボンのポケットからおそらく手紙であろうものを抜き取った。
「…………なるほど、これは確かにあれからの手紙だ。お前を保護するように書いてある」
相変わらず不快気な声色だった。先ほどの仕事をするだけの関係という発言からすると、あまり彼女とあの少女の神との関係性はよくないらしい。
「振り向け」
「えっ!?」
「いいから振り向け」
不意にそんなことを言われて驚く僕に、女性は繰り返す…………散々動くなと言われていたのにいいのだろうかと僕は思ってしまうが、その動くなと言った当人が言っているのだから従わない理由はない。僕は恐る恐る振り返った。
そこに立っていたのは…………なるほど、エルフとしか思えない女性だった。ただ一つ違うのは僕の想像するエルフの金髪と違い長い黒髪をしていたことだろうか。しかしその横に伸びた長い耳は正にエルフといった特徴で、雪のように白い肌に怖いくらいに整ったその容姿はこの世の存在とは思えないくらいだった
そして何よりも、慈愛に満ちたその微笑みは先ほどまでの冷徹な印象を粉々にぶち壊していた。それが同一人物なのだと僕には思えなかったくらいだ。
「あ、あの…………」
「さっきまでの態度はごめんなさいね。この辺りにやって来る人なんてほとんどいないから少し警戒しちゃったの、かしら」
「あ、え、その」
その言葉遣いもおっとりとしたような口調に変わり、僕はますます戸惑う。そんな僕の姿を見て彼女はおかしそうに微笑む。
「心配させちゃってごめんなさいね。お姉さんはノワール、というの」
彼女は僕の手を取ると、ぐっと顔を近づけてもう一度微笑む。
「アサガ、アキ君」
手紙に書いてあったのか、僕の名前を女性が呼ぶ。
「あなたの一生、責任を持ってお姉さんが面倒、見るわね」
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