三十一話 愛しているからこそ過激になる
お茶を飲み終えてからしばらくしてノワールさんも帰り、僕は自室に戻った。家全体の増築はしたが僕の自室それ自体に変化はない。寝床と小さな机に棚が一つ。
ノワールさんからはもっと広く作ることも提案されたけれど、一人で過ごすにはこれくらい狭いほうが僕は落ち着くのだ。
「ん?」
後ろ手に扉の鍵を閉めようとして僕はふと止まる。なんとなく違和感を覚えたというか本能的な危機感というか…………鍵を閉めるべきではないと感じた。
僕の自室の扉は木製だがノワールさん謹製の代物だ。外から無断で解錠するのは無理だし扉自体の破壊も不可能だ。一度入って鍵を閉めてしまえば実質シェルターのようなもので僕の安全が確保される作りになっている…………まあ、作成者であるノワールさんは平然と侵入して夜這いをかけてきたけれど。
とにかく、だ。僕の自室は一度鍵をかけてしまえば外部からの介入は期待できない。それを僕が本能的に避けようとしたのだとすれば、この自室の中に危険が潜んでいるということになるだろう。
「…………」
じっと僕は狭い部屋を見渡す。明かりはつけていないが窓からは月明かりが入ってくるのでそう暗くはない。あの窓は確か朝から鍵を閉めたままのはずだし、この部屋同様に堅牢だからそこから侵入されたというのは考えにくい。
しかし今日はこの家にはずっと僕等がいたわけで、何かが潜んでいるというのならほかに目につかない進入路は存在しないのだ。
「気のせい、なのかな…………?」
口に出して僕は考える。そもそも僕は妙な魅力があるという点以外では凡人だ。いわゆる達人のように気配を感じるなんて能力はないはずである…………とすれば冷静に判断して気のせいだと考えるのが現実的だった。
「…………寝よう」
しばらく考えたが僕は気のせいだったと判断して息を吐く。今日というかここ最近は精神的に疲弊することが続いているからその影響だろう。精神的に疲れている時は、ふとしたことをマイナスにとらえてありもしないものを見てしまうことだってあるのだ。
「ふう」
気を落ち着かせて寝床に入り眼を瞑る。やはり疲れていたようで体の力を抜いた瞬間に眠気がやって来る…………そのまますぐに僕は眠りに入る、はずだった。
「ぐっ」
不意に喉が詰まるような圧迫感を覚えて僕は呻く…………違う。これは物理的に首を絞められている。完全に息が詰まるほどではないが、満足に息を吸えずほとんど声も出せないほどに締め付けられていた。
「大声を出そうとしても無駄じゃ」
耳元で声が聞こえる。老練な口調に反して高い声色。けれど子供が無理して大人を演じているというにはあまりにも慣れた感じがして違和感がない。
しかしそんなことを気にしている余裕はなく、僕は考えるよりもまず自身の首を絞めつけているものを引きはがそうと手を伸ばした…………けれどそこにあるのは布の感触。見やれば僕の首に巻き付いているのは寝る際に羽織った毛布だった。
しかしその毛布は誰の手もかけられていないのに引きはがそうとする僕の手に抵抗し、さらに強く締め付けてくる。それでも僕は何とか解放されようと全身の力を使って引きはがそうともがいた。
「これ、暴れるでない」
すると今度は首だけではなく僕の四肢へと毛布が絡みついて拘束を始める。それもまた尋常な力ではなく、抵抗むなしく僕は全身を縛り付けられて身動きできなくなった。
「ふむ、やはり直接的な戦闘能力は持たぬ類か」
冷静に僕を分析するように声が囁く。
「しかし結局鍵を閉めなかったことといい勘は悪くないようじゃな」
気のせいと思いつつも僕は自室の鍵を閉めなかった。しかしそれは勘を信じたというよりはどうせ鍵を閉めなくてもリスクなんてないからと思っただけのことだった。
ノワールさんならどうせ勝手に入ってこれるし、アリサやイリーナであれば勝手に入ってきても添い寝する程度。それ以上がありそうなマナカは今日この家にはいなかっただけ…………それで過剰に評価さてしまうのも僕としては困る。
「しかしそこの鍵が開いておったところで同居人はぐっすりと眠っておる…………それに駆け付けたとてあのような子供ではわしには敵わぬよ」
どうやら声の主はアリサとイリーナのことを把握しているらしい。しかも見た目は明らかに子供ではないイリーナも一括りに子供と断じていることからして、この声の主はそれなりの期間僕らのことを観察していたことになる。
「タカナもマナカも遠く離れたところにおる。さすがに今この事態には気づけぬじゃろう」
そして当然二人のことも把握している…………しかしそれならなぜノワールさんの名前は出ないのだろうか? ノワールさんもずっとこの家にいたし、彼女ほどの存在に気付かないなんてことがあるはずはない…………だとすれば。
「何を呆けておる」
思考を遮るように声の主は僕の全身を締め付ける力を強くする…………いや、声の主が何者かはさすがに鈍い僕でもわかっている。だとすれば僕を締め付けているこの毛布もただの毛布ではなく正体そのものなのだろう。
「ぐうっ!」
僕は全力を振り絞って体をねじると胸元の毛布へと嚙みついた。それは紛れもなく僕がこれまで愛用していた毛布の感触だった。野性味のある布の味がする…………しかしそれだけで、僕の期待したような反応は起きなかった。
「お主には布を嚙み切るような咬合力はないし、仮に噛み切れたところで布には痛覚などありはせんぞ…………まあ、発想それ自体は正解ではあるがの」
呆れるというか、こちらが気づくことは察していたように声主が言う。つまりこの毛布は僕の予想した通りクリムが神から与えられたチート能力で変化したものなのだろう。
しかし僕は噛みついて痛みで怯んでくれることを期待したのだけど、今の口ぶりからして見た目だけ変化しているわけではなく本質的に毛布そのものになっているようで痛覚などないらしい…………それならどうやって僕の全身を締め付けているんだとも思うけれど。
「しかしこれで何をしても無駄じゃと理解できたじゃろう…………わしがその気になればお主をすぐに殺せるということもな」
「…………」
僕の抵抗が無駄なのは事実ではあるけれど、後者に関しては間違っている。ノワールさんの守護がある限り僕が殺されることだけは絶対にない。
「何が、目的なんですか?」
我ながら馬鹿な質問だなとは思う。この毛布に化けているのがクリムである以上は目的なド聞くまでもないことだ…………しかしこの質問をしなければ話は進まないのも事実だ。
「無論、タカナを助けに来たに決まっておろう」
そう、彼がここに現れて僕を襲う理由などほかにないのだ。
「…………タカナからは問題ないって報告されなかった?」
直接タカナがクリムへと連絡しているのを僕らは確認している。それで彼女は疑われるような反応はなかったと言っていたはずだった。
「うむ、確かにされたのう」
タカナが連絡していたのが実へ別人であったとかそういうわけでもないようだ。
「最初の連絡の不備を詫びたうえで現状に問題がないことと今後の予定をわしに伝えた。念話であるから表情など見えぬが、それでも普段通りの受け答えに声色におかしいところもなかったはずじゃ」
それならなぜ、と僕が口にする前に彼は答えた。
「じゃが、わかる」
そこに理由など必要ないと彼は断じた。
「伴侶と定めた女の心の内が察せられぬはずもなかろう? 危急の事態が生じたと判断してすぐさまここまでやって来たわ」
迷いのない、断固たる決意を込めた返答だった。
あれ、この人ってだいぶタカナのこと愛していない?
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