25.木陰
目を覚ますと、柔らかな日差しが頬に触れていることに気づいた。ゆるく開け放たれた窓から、鳥の鳴き声が聞こえてくる。
今までの出来事は夢なのかと思ったが──。
「…アスール?」
声の主は──カリマだ。
傍らに目を向ければ、ひどく心配げな顔がそこにあった。頬が一気にそげたように見える。アスールは僅かに笑むと、
「俺は…起きた方がいいのか?」
いつかの木陰でのやり取りを思い出した。すると、銀灰の双眸が緩み。
「…いや、また眠っていい。──良かった…」
そう言うと、握っていたアスールの手を引き寄せ、甲に口づけた。温もりが心地いい。
カリマ──。
アスールは安心して、また目を閉じた。
しかし、次に目覚めた時、カリマの姿はなかった。
アスールは、野営地からほど近い村の宿で休養していたのだが、アスールが目覚めたその日、もう大丈夫だと分かると、姿を消したらしい。いなくなる理由が分からない。
「アスール。第三王子の遺体は王都に運んだぞ」
すっかり体調も回復しつつあるアスールの元へ、ルベルが訪れそう告げた。
「…そうか」
「いったい、何があった? 腕の怪我も治っているし、体調も回復しているし。お前は死にかけてたんだ。それを全て第三王子が治したとでも言うのか?」
ルベルは、アスールが眠っている間に、カリマからシアンについて話しを聞いたとの事だった。そこに至るまでの経緯や特異能力について。
「…シアン様は、そう言っていた。──でも…」
この身体を治したのは?
シアンはカリマの剣で倒れた。右腕以外は治せなかったはず。
なら、いったい誰が?
「──分からない。俺はその時、意識がなかったから…」
「お前を連れ帰ったのはカリマだ。奴の指示で遺体も回収した。この宿にお前を預けて、ずっとつきっきりで看病してな。連れ帰って五日目でようやくお前が目覚めて…。それでどっかに行っちまった。カリマなら何か知っていると思うんだが…」
「いったい、どこへ? 何か…言ってはいかなかったのか?」
「それは俺が聞きたい。カリマはどこへ行くとは言わなかったか?」
アスールは首を振る。カリマと言葉を交わしたのは、目覚めたあの時だけ。
「何も…」
「とりあえず王都には俺が報告に行った。カリマはここを動かなかったから代理でな。お前が回復したら王都へ連れてくるように言われたぞ。──セリオン陛下はお前の既知か? 元従者だったとしても、心配具合が普通じゃなかったぞ」
アスールは小さく息を漏らすと。
「…カリマと一緒に、幼い頃、遊んで過ごしたんだ」
「なんでもろくに行き先も告げずに姿を消したとか…。何があったのは知らねぇが、大切な相手に心配をかけるのは良くねぇな。しかも、今は王様だ」
「…分かっている。回復したら報告に出向く。──それより、カリマが心配だ。嫌な予感がする…。誰にも何も言わずに、どこかへ消える奴じゃない」
「お前と違って、か?」
ルベルの言葉に睨んだが、その通りで反論もできない。
カリマは真面目で不誠実な事はしない。誰にも伝えずに消える等と言うことはしないはずだ。
いったい、何があった?
アスールの身体の回復についても、カリマは何かを知っているのではないだろうか。アスールは胸が苦しくなった後の事を覚えていない。
カリマ。
いなくなった途端、その存在の大きさを知った気がした。
✢✢✢
それから二週間ほど経ったある日、近隣の村の住人が、森の奥で恐ろしく巨大な魔獣を見たと騒ぎ出した。狩りで森の奥まで向かった際、それに出くわしたのだと言う。
アスールはカリマを探す目的で、回復してからも村に滞在していた。ルベルには、ああ言ったが、王都には帰っていない。
帰ればセリオンがここへ戻ることを許さない気がしたからだ。それはごめんだった。
なんとしてもカリマの行方を知りたい。
アスールは必死だった。どんな些細な出来事も逃さず、糸口はないかと探ったが、ようとしてカリマの行方は知れなかった。
そこに、今回の話しが飛び込んで来た。
カリマの行方とは関係のない話しだったが、魔獣となれば放っておくことはできない。しかも巨大だと言うならなおさらだ。
そこは魔獣など滅多に現れない森で。村人は鹿を追って分け入った際、獲物の鹿をその魔獣が捕えていたのだと言う。
アスールはすぐさまルベルを伴い、村人の家まで話しを聞きに行った。
「森の奥とはどの辺りだ?」
ルベルの問いに、村人はテーブルの上に広げた地図の一端を指した。それは確かに奥だったが、危険とされている場所ではない。
村人は何処か身震いする様に、話し出した。
「この辺りだ。沢筋に沿って鹿を追って──妙な音がすると思って物陰から覗いたら…奴がいたんだ…」
「どんな魔獣だ?」
「下半身は四つ足の獣だ。猫科の動物に似てたな…。とにかくでっかいんだ。前脚を折ってたが、それでも俺の背丈の二倍はあった。…ただ、上半身が──人のように見えた…」
男の表情は暗くなる。
男の背丈は百七十センチ程度。標準的な高さだ。それの二倍とは。かなり巨大な魔獣だとうかがえる。
「──よう、とは?」
「人にしたらおかしい。体中、妙な鱗に覆われててな。黒光りして…。背中には鬣みてぇな白い毛が生えてたな…。それが手を使って鹿を食ってたんだ。足が四本に手がふたつ。人じゃねぇ。──どう考えても魔獣だ。背筋が凍り付いて、とにかく必死で逃げてきたんだ。顔は見てねぇな…。見てたらきっと生きて帰って来られなかった…」
「そうか。──って、どうする? まだ、具体的な被害は出て居ねぇようだが」
ルベルは背後を振り返った。アスールは考え込む様にしながら。
「調査に出てみよう。何かあってからじゃ遅い。どういった行動範囲なのか知りたいしな。危険が及ぶようなら排除しなければならないだろう」
「だな。少人数の方がいいだろう? 手練れで機敏な奴を集めとく。明日にも出発するか?」
「そうしよう。早い方がいい」
直ぐ様出立を決める。村人は終始おびえた様子だった。
✢✢✢
「あまり聞かねぇ魔獣だな? 人型と獣の混合ってのはな。──第三王子は見た目は人と変わりなかったしな…」
道々歩きながら、ルベルは傍らのアスールに目を向けた。
「それとは別だろう。とにかく、調べることが先だ。たまたま出てきただけならいいが、今後も現れるとなると、やはり退治しないとな…」
「もう、腕はいいのか?」
「ああ。ちっとも。身体も悪くない」
「そうか。ならいいが。まだ病み上がりと一緒だ。無理はするなよ?」
「分かってる。ルベルもたいがい心配性だな? カリマと一緒だ」
ふんと鼻を鳴らすと。
「お前が突っ込みすぎなんだよ。毎回討伐で無茶しやがって。カリマは過保護だと思ったが、そうならざるを得なかったんだと今身に染みてるところだ。案外、お前の面倒を見たくなくなって消えたんじゃねぇのか?」
ルベルのからかいにアスールはむっと顔をしかめると、
「それならとっくの昔に離れて行ってる。──カリマは、そんなことで離れたりしない…」
俺に告白したくせに──。
幼い頃から知っている。一度断られたくらいで、好いた相手を放り出し消える様な人間ではないはず。
何か事情があるはず──。
そんなアスールにルベルはため息を漏らすと。
「ったく。仲がよろしいことで。おまえとカリマとの間に割って入るってのは無理ってもんだな」
「ルベルだっていい友人だ。いつかの告白には答えられないけど…。何かあれば駆けつける程には思ってる」
「いいさ。今はそれで充分だ。そら、さっさと隊に戻って編成だ。皆我先にと志願するぞ」
皆、アスールと共にでるのを楽しみにしているきらいがある。
ルベル曰く、剣の腕もさることながら、人を惹きつける魅力があるのだと言う。
先頭をきって飛び込んでいく姿に、皆一目置いていた。矢のように飛び込んで行く姿に、目が離せなくなるらしい。
「ルベル、いつも済まないな。俺の勝手に突き合わせて」
「いいって。みんな好きでついていっているんだ。あんたが気に病むことじゃない」
「助かる。ルベル」
笑みを向ければ、ルベルは天をあおぎ。
「あーあ。先に会っときたかったな…」
そうぼやいてみせた。
✢✢✢
一人、森に身を潜めた。
闇の気配が強くなると、人の形を保てなくなっていた。この魔物は、人の中に潜む力によって変化するらしい。
シアンはもともと身体が弱く、人型の状態が多かった。だが、自分はどうやら違うらしい。
能力が高いせいで、すぐに魔獣に転じた。
人の形ももうとることができない。半獣となっていた。四肢を持ち、上半身は人型だ。
ただその上半身も人からはかけ離れている。
形のみ人型だが、皮膚を黒光りする鱗がびっしりと覆い、固く早々傷はつかない。
目は真っ赤に塗り込まれ、耳はとがり口には牙が生えた。頭髪はそのまま背へと伸び、鬣となって尾尻まで続いていた。
もう、人ではない。
猛烈な飢餓感に襲われ、辺りかまわず魔獣や獣を襲い口にした。強い魔獣を口にすると、その力で身体が充たされた。
ただの獣ではこうはいかない。そのたびに身体は巨大化し、まるでその獲物を取り込んでいるかに思えた。
人としての思考は、まだ残っている。
が、感情の起伏はなくなった。怒り悲しみ、喜びそう言ったものはすべて消えている。ただ強い飢餓感に襲われ、そのたび魔獣を襲う。
ただ、光の方向へ行ってはいけないと強く思っていた。
もとより餌になる魔獣が少ない。それに、そこには出会ってはいけないものがいるからだ。
出会えばきっと襲うだろう。
それをただ淡々と眺めているだろう自分が想像できる。
それだけは、してはならない。
いくら魔物に乗っ取られていても、それだけは強く思った。僅かに残る人としての思考だった。




