13.部下
その後、ルベルはまるで人が変わった様に、アスールに仕えた。
剣術の指南も積極的に受け、徹底的にしごかれても、根を上げることはない。
「熱心だな?」
アスールは、手合わせが終わりひと息入れていたルベルに声をかける。ルベルは水筒から水を飲んでいる所だった。目の前では、別の兵士が打ち合っている。
「くやしかったからな。あんたみたいに小せぇ奴にやられたのは。初めてだ」
そう言って、口元を拭うとニッと笑って見せた。アスールは肩をすくめて、
「俺なんてそう強くはない。無鉄砲なだけだ。俺を指南してくれた奴の方がもっとすごい。俺は足元にも及ばないな…」
かつての友を思い浮かべる。
「へぇ…。あんたより、か。そいつは一度会ってみてぇもんだな?」
「王都に来れば会う機会もあるだろうな。今は忙しくてそんな時間もないだろうけれど…」
「そういやぁ、新しく決まった王が結婚するんだってな? あんた、仕えていたんだろう? 婚儀に出なくてもいいのか?」
「…出る必要はない。辞めた元従者が呼ばれることなんてないさ」
「ふーん。まあ、そりゃそうか。俺たちは平民だからなぁ…」
打ち合っている兵士の一方の剣が宙を舞って地面に落ちた。勝敗が決まって歓声があがる。その様子を、見るともなしに見ていたアスールは、
「俺に剣術を指南した男の妹が王妃になる。──とても美しい女性だ」
ぽつりと呟く様に口にした。
「なんだ。知り合いか?」
「…少しだけ。個人的に邸でも剣術を教えてもらっていたから、顔を合わせることもあったんだ」
「なんだ? その妹の事が好きだったのか?」
「ないよ…」
そう言って、苦笑すると視線を落とす。
好きだったのは──。
金糸の髪を風に揺らし、笑いかけてくる人物の姿が目に浮かんだが、それを打ち消した。
「なんだ。即答だな? 少しは面白い話しでも聞けるかと思ったが。しかし、妹が后か。あんたに剣術を指南した男はかなり身分が高い奴だったって事か?」
「そうだ。王家の外戚になるらしい。代々仕えてきた家系だからな」
「それで剣の腕も立つとは。天は二物も与えたってことか。さぞかしモテるだろうな?」
「どうだろう。身持ちの固い方だからな。──ああでも、それなりに遊んではいただろうな…」
いつか見た、美しい娼妓を思いだした。夜の街へ消えていった二人の姿。特定の相手はいなくとも、それなりに遊んではいたのだろう。
そのうち、カリマも相手を見つけて身を固めるんだろうな…。
家督を継いだからにはそうなる。それぞれが、正しい道を歩き出したのだ。これでもう、一生交わることはない。
一時交差したかに見えた道は、今はすっかり別れてしまっている。胸が微かに痛んだ。
「なんだ。浮かない顔だな? ──そいつの事を好いてでもいたのか?」
ルベルは冗談めかしてそう口にしたが、
「…そんなんじゃない」
「なんにせよ、あんたがここに来てくれて良かった。皆、いい刺激になっている」
「どうだろう。けど、役に立っているなら良かった。本来の目的とはずれるけれどな──」
「…王を襲った化け物を探るって奴か?」
ルベルの表情が険しくなる。
「ああ。妖しいものを見たことは?」
「さあな…。ここは魔物の巣窟だ。そいつが紛れ込んだとしても可笑しくはねぇが…。今の所、それらしいものを見たって話は聞かねぇな」
「そうか…」
「その話しが本当かどうか、わからねぇんだろ?」
「そうだ。ただ北へ飛び去ったと、僅かな目撃情報があったんだ。北にあるネラは魔物が多い。ありそうな話しではあるんだが…」
「そっちの探索にも本腰を入れよう。まあ、王都から連絡はあったんだが、それどころじゃねぇとまともに取り合っていなくてな。今後はあんたのいいように指示してくれていい。──王都から次の隊長が送られて来るまでの間になるが」
「そうだな」
誰が送られてくるにせよ、新たな隊長が派遣されてくるまでには、ある程度、状況を見極めておきたかった。
✢✢✢
その後、調査も含め魔獣討伐に出たが、恐ろしい勢いで倒していくアスールに、いつの間にか皆一目置くようになっていった。
また、皆に先んじて一番、きつく危険な場所へ向かう姿に、皆アスールを認めるようになり。今では誰一人、バカにする者はいない。
アスールには守るものがなかった。例えここで命を落としても、泣く者は少ない。
死ぬつもりはないが、運悪くそれに出会っても覚悟はできていた。だから、余計に突っ込んでいけたのだ。
「あんた──。やっぱりすげぇな…」
討伐で魔物の返り血を浴びて、それを野営地近くの川で流していると、傍らにルベルが現れた。
水は冷たいが、魔獣の血はかなり匂う。そのまま眠りにつくことは躊躇われ、鉄製の胸当てや小手を外し、すっかり身軽になると、薄着になって水を浴びていたのだ。
薄い下着が肌に張り付きヒンヤリとする。魔獣の血はだいぶ流されたようだった。代わりに水の冷たさに身体が冷えていくのがわかる。
先に部下の兵士は水浴びを終え、帰った後だった。濡れた髪の水滴を払いながら、
「──どうだろう。いつも、突っ込みすぎると注意されていたからな。長生きしたいなら、俺のマネはしない方がいい」
「真似しようにもできっこねぇって。そんな細い腕で良くやる…」
「見た目で人を判断しないことだな。──俺で分かっただろう?」
川から上がり、幾分笑ってそう返せば、ルベルが乾いたタオルを渡しながら、
「──あんた、特定の奴はいないんだろ?」
「特定?」
「思いあうような相手だよ」
「…いないな」
肩をすくめ濡れた髪を拭き出す。濡れた着衣も脱いで身体を拭きたかったが、見られていてはやりにくい。
普段は気にもしないが、今は何故かか落ち付かなかった。ルベルがじっとその様子を見つめているからだ。
「ルベルは水は浴び終わったのか?」
「ああ…」
「なら早く陣に戻って食事をとったらどうだ? 皆待っているだろう」
流石に討伐中は酒は控えていたが、食事は賑やかにとっていた。ルベルを慕うものも多く、彼が輪に入ると特に場が盛り上がるのだ。
「俺に気にせず、脱げばいい。身体を拭きたいんだろう?」
「…わかっているなら、遠慮したらどうだ? そうじっと見られていると、意識しないわけにはいかないだろう?」
困ったように睨めば。
「いちいち、かわいいな。──あんた、無意識でそうしているんだろうが…」
「──は?」
と、ルベルが腕を唐突に伸ばし、アスールを引き寄せ腕の中に抱き込んできた。
冷え切った身体に人の温もりは嬉しいが、この状況では喜んでいる場合ではない。
「──ふざけているのか?」
下から睨みつける。
「冗談は好きだが、今は違うな」
見下ろすルベルの口元は笑っていた。
「俺が温めてやってもいい。──そう思っている…」
「ふざけるな。そんなの願い下げだ。この腕をほどけ!」
そう言って、腰に回された腕を解こうとするが、逆に強く抱き返された。
「──いや、温めさせてくれねぇか? 俺はあんたが気に入った。一時の慰めが欲しいからいってんじゃねぇ。その腕にも惚れたが、あんた自身にも惚れた。外に思う相手がいねぇっていうんなら、少しは考えてくれねぇか?」
言いながら、ルベルの一方の腕が腰に廻り、身体を持ち上げてくる。足がアスールの動きを封じるように割って入ってきた。カッと頬が熱くなる。
「っ! やめろ、ルベル。ふざけるのもたいがいに──」
「…鼓動が早くなってる。ちょっとは、期待してるんだろ? うぶなガキじゃねぇんだ。少しくらいお互い楽しんでも罰はあたらねぇ。ひどいことはしねぇよ。お互い気持ちよくなるだけだ…」
ルベルの唇が首筋に触れる。熱い吐息が触れてビクリと身体が揺れた。
セリオンにされた時とは違う。
恐怖が襲ってきた。確かにルベルは酷いことをするつもりはないのだろう。そのつもりなら、殴ってでもものにしようとするはずだ。そうしないのは、アスールを気遣っているからで。
それでも。
「や、めろ! ルベル、俺は──」
震えだしたアスールに流石にルベルも気づく。
「まさか──お前。こういう行為ははじめてか?」
「──っ!」
さらに体温が上昇した。すると、はあと大袈裟なため息を吐き出したルベルは。
「まいった…。俺はてっきり遊んだこともあると思ったから、手ぇだしたんだが…。初めてって言うんじゃあ、嫌がるのも仕方ねぇな」
そう言うと、ようやく腕の力を緩めてくれた。途端にその場へアスールはへたり込む。それを見たルベルは苦笑すると。
「剣の腕は手練れだが、そっちはまだ初心者ってことだな。…まあいい。今日はやめとく。──だが、俺の気持ちは変わらねぇ。それだけは覚えておいてくれ」
「……」
それだけ言うと、まだ座り込んだまま動けないでいるアスールの頭をポンと軽く叩き、地面に落ちたタオルを拾い、アスールの身体をそれですっぽり包みこんだ。
「周りに魔獣が出ない様に見張っていてやる。さっさと着替えて食べに来いよ?」
「…わかった」
くいっと布を引き寄せると、そう返すのがやっとだった。
✢✢✢
その後、着替えが終わり、盛り上がる皆の輪へそっと加わった。
ルベルの視線は一度こちらに向けられたきりで、後は普段と変わらない。着替えている間も、見張りが立っていたのは気付いていた。
もしかして、あのまま事が進んでいたなら、この見張りは人払いの為に立てられていたのかもしれない。
気は抜けないな。
ルベルの様子から、突然襲うことはないだろうが、安易に隙のある姿は見せられないと思った。
しかし、アスールの警戒とは裏腹に、その後もルベルもその近しい部下も、なんら行動を起こすことはなく。いたって変わりがなかった。
案外、真面目な男なのかもしれない。
それがかえって、ルベルの本気度を表している様でもあり、困惑するのだが。
今も剣技の手合わせをしているが、手抜きなどなかった。本気で斬りかかって来るから気が抜けない。
周囲には仕事の手を休め、勝敗の行方を見守る部下達が集まっていた。
ひときわ強い金属音がして、ルベルの剣が空に跳ね上がった。くるくると高速で回転した剣が地面に突き刺さる。
どっと歓声が沸き上がった。ルベルの強い突きをかわした際の出来事だ。
「おい! てめぇら、見てんじゃねぇ! 自分の仕事しろ!」
ルベルが怒鳴ったため、慌てて皆、それぞれの仕事に戻った。ルベルは決まりが悪そうに髪をかき上げつつ。
「ったく。どうしてそんなほそっこい腕でやれるんだ?」
「要は力の入れる箇所を間違えない事だ。支点と急所を狙う。バカ力で振り下ろすだけが剣術じゃない──」
それは、いつかカリマに言われた事だった。
ことに小柄なアスールは、力業では太刀打ちできない。相手の急所を突き的確に倒すことが大事だと。
カリマ──。
今頃は、妹の婚儀の準備に大わらわだろう。
俺の事も、忘れてくれただろうか。
「アスール?」
気が付けば、ルベルが怪訝な顔を見せていた。アスールは首を振ると。
「──なんでもない。少し休憩だ」
と、ルベルがふいに手首を掴んできた。
「…ルベル?」
「何かあるなら、迷わず頼れよ。前にあんな事をしたが、それとこれとは別だ。無理強いするつもりはねぇからな。それより、ため込むのは良くねぇ。良ければ相談にのるぞ」
真摯な眼差しに言葉が嘘でないと分かる。真面目な男だ。アスールはふっと笑みをこぼすと。
「──大丈夫だ。気にしてくれてありがとう。ルベル」
「…ったく。天然ってのはこれだから」
ルベルは天を仰ぐ。
「ルベル?」
「──なんでもねぇ。その無防備な顔、ほかの奴の前で晒すんじゃねぇぞ」
「無防備? って、そうなのか?」
「ああ…。とにかく、俺以外の前では気張ってろ」
ポンと大きな手のひらが頭を撫でていった。そんな行為がまたカリマを思い出させる。しかし、友人をなくして寂しいなどと、相談できるはずもなく。
「そうする…」
そうとだけ答えた。




