第49話 夏の水分補給
蝉の声で耳がいっぱいになる季節。
グラウンドから少し歩くと、うちの高校は自販機が並んでいた。
僕はその自販機の前で額どころか身体中から汗を噴き出し、両手を膝に置き、顔を落とす。
喉が渇いてはいたが、自販機の前に来たのはそれが目的ではない。
自販機の前は日陰になっていて、人通りも少なく僕の絶好のサボりスポットだった。
「こんなに暑いのに、走り込みなんてやってられるかよ」
僕は誰に言うでもなく、そう呟いた。
自販機の前の柱に背をもたれかけ涼んでいると、いつものように僕を驚かせようと近付いてきて大きな声を出す人がいた。
「わっ!」
僕はその声のするほうへ、大して驚く様子も見せずに振り返る。
「毎回それしてたら驚くわけないですよ」
「それもそうか」
その先輩とは部活が同じわけではなかったけど、部活のサボり仲間というわけのわからない関係だった。
先輩は僕よりも狡猾で、ジャージに小銭を忍ばせているので自販機からいつも同じ飲み物を買って喉を潤していた。
ガコンっとペットボトルが自販機の取り出し口に落ちる音がし、先輩はそれを我慢出来んとばかりに急いで取り出し、勢いよく喉を鳴らし、一気に半分近く飲み干す。
俺はそれをいつも羨ましげに眺めていた。
飲み物が欲しかっただけではない。
ただ、飲み物を飲むだけでなんと絵になる人なのだろうと思った。
あの滴る汗は本当に俺が今かいている汗と同じなのだろうかとすら思うほどキラキラとしている。
そして、その視線にいつも先輩は気が付き俺にこう言ってくれる。
「望月もいる?」
そのすらりと細い腕が僕の方へ伸びる。
しかし、僕は決まってこう言う。
「いや、いいですよ」
「君も大概頑固だね。喉乾いてないの?」
むろん乾いている。カラカラだ。
「回し飲みとか苦手なんで」
「傷付くなぁ。私、そんなに汚いかな」
汚いのは僕である。
彼女の口を付けたペットボトルは、もう市販されているどのペットボトルよりも高価で触れてはいけない貴重なもののような気がしてならないのだ。
もし僕があれを口にしたなら、罰でも当たって消滅するのではないかと本気で考えている。
しかし、我儘なことに、いつもそのセリフが聞きたくて、僕は飲み物を買う金を持ってこなかったのではないかと後から気が付いた時、あまりもの気持ち悪さと恥ずかしさに枕に頭を叩きつけてしまった。
あの時、彼女のペットボトルを受け取っていたら、どうなっていたのだろう。
「ちょっとー、聞いてる?」
僕を隣の先輩が揺らす。
冷房のよく聞いた待合室。
僕はうたた寝をしていたらしい。
「ごめん、なに?」
先輩は僕に一本のペットボトルを差し出す。
「パパも飲む?」
僕はそれを受け取ると、残り少ない量だったので全部飲みほした。
「あー、パパが全部飲んだー」
「だって、あんまり残ってなかったし」
僕は手に持っている空っぽのペットボトルを見つめる。
懐かしい夢を見ていたな。
昔の自分に教えてあげたい。
「……別に味は変わらないよな」
その言葉は自分に向けられたものだと思ったのか「えぇー」と、もはや昔の威厳など欠片もなくなった声をあげる。
「嘘だよ。それ新商品だよ」
そうじゃないよと笑って昔の話でもしながら答えようかと思ったが、僕たちを呼ぶ受付のお姉さんの声が聞こえたのでやめた。
『望月さーん!』
「ほら、パパ呼ばれたよ」
「……そのパパって呼ばれ方慣れないな」
「何言ってんの。もうすぐパパになるんでしょ」
「今日は男の子か、女の子か分かるんだよね」
「そうそう」
僕たちは周りから見れば少し迷惑なぐらいテンションが上がって会話をしていた。
そして、ふとママが何かを思い出したような顔をする。
「そう言えば、パパ昔絶対私の飲みかけとか飲まなかったよね。あれいつから無くなったんだっけ?」
「さぁ、いつからだっけ」
本当はしっかりと覚えているけど、恥ずかしくて言えるはずがない。




