第12話 [大学2]仕方ない人
「お届け物でーす」
玄関の方から人の声がする。
「お届け物でーす」
その声の主は諦めが悪く、壊れたロボットのように同じ言葉を繰り返す。
「お届け物ですよー!」
段々と声は大きくなり、ドアを叩く音まで加わる。
そして、結局俺が折れることになる。
「はいはーい、何も注文した覚えがないんですがー」
そこには俺のお隣の住人にして、大学の先輩でもある相良先輩がいた。
そして、ウインクしてノリノリで言うのだ。
「何、遠慮することはないよ。私の手作り料理をおすそ分けしてあげるだけだから」
かれこれこんな事が一週間近く続いている。
継続は力なりというが、俺はその力の前に押し潰されそうになっている。
「……因みに尋ねたいのですが、その手に持っているカラフルで異臭を放っている物体は何ですか?」
相良先輩は「なに分かりきったことを聞いているんだ?」みたいな顔で答える。
「肉ジャガだけど?」
「俺の目視可能な範囲では肉もジャガも見当たらないんだけど? どちらかというと肉ジャガって言うよりグチャグチャって感じですよね」
後何で吐き気がするほど甘い匂いがしてるんだろう。
「えー、酷くない? せっかく可愛いお隣さんがおかずをおすそ分けにきてるっていうのに」
「あと訂正しとくと、それおすそ分けじゃないよね? 全渡しだよね? 残飯処理通り越して廃棄物処理だよね」
もはや残飯のていすらなしてない。
相良先輩はわざとらしく視線を泳がせる。
「えー、何のことー」
唯一の救いは失敗したと言う自覚があることだけだな。
「いつか死人が出ますからね」
相良先輩は耳を塞ぎ、聞こえませんアピールをする。
まぁ、せっかく頑張っているみたいだから、あまり責めるのも可哀想で強くは言えないのが辛いところだ。
でも、このままじゃ俺が最初の犠牲者になるのも目に見えている。
幸い明日は土曜か。
「相良先輩、明日休みだし、お昼から俺が料理教えましょうか?」
その提案に相良先輩はピクリと反応する。
「え~、笹見料理出来るの~」
「いつも相良先輩が飲みにきてた時に酒のつまみ作ってあげてたの誰だったか飲み過ぎて忘れたの?」
「え~、そうだっけ~」
相良先輩の顔はあからさまににやけている。
可愛いな、ちくしょう。
「仕方ないな~」
表情緩み切ってるぞ、この人。
「せめて表情とセリフを一致して下さい」
そんなに楽しみにされたら頑張らないわけにはいかなくなる。
俺は頭を掻きながら短く息を吐く。
「じゃあ、今から明日の為に近所のスーパーに買い物行きますけど、相良先輩もついてきます?」
その提案に先輩の表情は明るくなる。
「うん! 行くー!」
元々テンション高い人だけど、輪をかけてテンション高いな。
「……もしかして、相良先輩、飲んでる?」
「…………」
あっ、視線が泳いだ。
俺は子供を叱るような少しきつい口調で注意する。
「……料理初心者の分際で飲みながら料理するのは危ないので、まずは飲まずに料理することから始めましょうか」
「……はーい」
くそ、俺と一緒に料理出来るからテンション高いのかなとか、己惚れていた自分が恥ずかしい。
いざ、スーパーにつくと、初心者でも出来る料理って何かなと悩む。
そもそも、相良先輩がこの一週間生成してきたものは料理とも呼べない物ばかりなので、というより全て呼べなかったので、何が失敗の原因なのかすらわからない。
でも、だからと言ってサラダとか教えても仕方ないよなぁ。
魚系ならホイル焼きとかムニエルならできるかな? 生姜焼きとかも結構簡単だけど、まさかカレーまでレベルを落とさないといけないってことはないだろうな。
俺はちらりと隣の先輩を見る。
まぁ、本人に聞くのが一番か。
「相良先輩、何食べたい?」
俺の真面目な質問に先輩は決め顔で答える。
「君の作るものなら、何でもおいしいよ」
「まだ、酔ってる?」
あんまりふざけてるとコツンしちゃうぞ。
すると、相良先輩はもじもじしながら答えた。
「……えー、笹見が好きなおかず」
「……」
俺は心の中で叫ぶ。
可愛いな、こんちきしょう!
あんまり可愛いとヨシヨシしちゃうぞ。
俺がフリーズしたので変に思ったのか、顔をのぞき込まれた。
「笹見?」
「なんでもありません。そうですね、俺はカレーとか好きですね」
まぁ、多少難易度低めの物を言っておこう。
仕方ないな。
カレーが好きなのも事実だしな。
「カレーかぁ、取り敢えず辛そうな材料がいるよね。タバスコと唐辛子買わなきゃね」
「……先輩、日本人はカレーのルーという偉大なもの生み出したんだけど、知ってる?」
結構、気合入れないと危ないかもな。
というより、この人、家庭科の時間どうしてたんだろう。
次の日の土曜日。
時計の針は一時を越えた。
うーん、お昼頃とは言って正確な時間決めなかったけど、遅いな。
……様子を見に行ってみるか。
俺は隣の部屋のインターホンを鳴らす。
「せんぱーい、相良せんぱーい」
反応がない。
「?」
どこかに出掛けてる?
急用でも入ったかな。
俺は不審に思い、ドアノブに手を掛けた。
「開いてるし」
不用心だなぁ。
俺は玄関から声を掛ける。
「相良先輩いるー?」
反応がない。
俺は悪いと思ったが、部屋の中に入った。
「おーい、相良せんぱーい、先輩のでべそー」
リビングに繋がるドアを開けると、虫の息の先輩が床で倒れていた。
「……ゴホッゴホッ……誰が……でべそ……だって」
「先輩!」
俺は慌てて、相良先輩を抱きかかえた。
全身がカイロのように発熱している。
「ゴッホ……約束破ってごめんね」
「そんなことどうでもいいですから、早くベットに行きましょう」
俺は肩を貸して、ベットまで運んだ。
相良先輩は緊張の糸が切れたのか、すぐに眠りについた。
俺は先輩の寝顔を見て、つい苦笑してしまった。
最初に出る言葉が「約束破ってごめんね」ってなんだよ。
俺はキッチンに向かった。
「先輩、相良先輩、起きてください」
俺は相良先輩の体をゆすって起こす。
「うーん、あと興奮」
「何に興奮してるんですか、いいから起きてください」
五分じゃないのか。
「んっ? あれ? なんで笹見がいるの?」
どうやら記憶が混濁してるみたいだ。
「インターホン押しても返事がなかったから、悪いけどあがらせてもらいましたよ。熱みたいですね」
そこまで説明し終えると、やっと意識が覚醒しだしたのか、目の焦点がしっかりしてきた。
そして、布団を顔の辺りまで深く被る。
「キャー、私のパジャマ見たなー」
「今更、何言ってるんですか、酔っ払いまくって、もっとあられもない姿見てますけど思い出させましょうか」
「いいです」
相良先輩はそこだけはきっぱりと拒否した。
俺は深い溜息をつく。
「全く、体調が限界まで悪くなる前に俺や周りに助けを求めないとダメでしょ」
「えへへ、ごめんね。笹見と料理するのが楽しみ過ぎて、遠足前の子供みたいになっちゃった」
俺はジロリと睨む。
「違うでしょ。先輩最近無理し過ぎなの。ゼミの雑用やら慣れない一人暮らしとか、バイト詰めこんだりしてるのに、その上料理まで張り切って体壊すのは目に見えてたでしょ」
「うー」
先輩が声にならない呻き声をあげる。
「だって、頑張るって決めたんだもん」
もんって。
本当仕方ない先輩だな。
俺は先輩に見えないように後ろに置いておいた料理を取り出した。
「分かりました。今度からちゃんとパンクする前に俺に助けを求めると約束してくれるなら、このおかゆを差し上げましょう」
それを見て先輩は目を輝かせる。
「わー、おかゆ好きー、梅も乗ってるー」
先輩は両手を差し出して「早く早くー」と急かす。
「約束は?」
「するする」
「軽いなー」
本当に分かったんだろうな?
「じゃあ、どうぞ」
俺は茶碗とスプーンを先輩に差し出す。
「……あーん」
「あーん?」
「あーん」
先輩を小さく口を上げる。
目からは絶対に譲らないという確固たる覚悟が見て取れる。
「……今日は特別ですからね」
俺はスプーンでおかゆを一掬い取って、少し梅を乗せ、フーフーと冷ます。
なんかいざやるとなると、気恥ずかしいな。
「……はい、あーん」
俺は相良先輩の口元におかゆを持っていく。
「あーん」
それを先輩は美味しそうに頬張る。
「美味しいー」
先輩は食欲はあまり無いようだったが、ニコニコしながらなんとか完食した。
「はー、熱出して良かったー」
「いや、よくないでしょ」
俺は食器を片付けようと立ち上がる。
「あとなんかして欲しいことあります? ポカリ買ってきましょうか? リンゴ剥きましょうか?」
「なんか笹見、今日優しい」
失礼な。俺は年中無休で優しい。
「今日の相良先輩は病人なので特別です」
それを聞いた相良先輩は急に「じゃ、じゃっ、じゃあ」とドモリだした。
熱が悪化したのか、先ほどよりも顔が赤い。
「じゃあ、私、今日は病人だから特別に、ゆっ、悠って呼んでほしいな」
何言ってるんだ、この人?
「それ、病人関係ある?」
「なんかして欲しいことあるって聞いたじゃん」
「いや、病気が早く治る方向でですよ」
「多分、名前呼んでもらったら早く治る気がする」
こいつ、早くも調子になり始めたな。
まぁ、でも、ここで病人を説教するのも可哀想だしな。
うん、仕方ない。
本当に仕方ないな。
俺は覚悟を決めた。
スゥっと息を吸い込む。
「ゆっ、悠先輩」
「先輩はいらない」
先輩はプイっと顔を逸らす。
人が勇気出して読んだのになんて態度だ。
あー、もう仕方ないな。
「悠!」
「えへへ、はーい」
先輩は照れくさそうに笑う。
「ねぇ、もう一回呼んで」
仕方ないなぁ!
「悠」
「もう一回」
「悠」
「あと一回」
「悠!」
「もう一声」
「悠‼」
こんな調子で先輩が満足するまでしばらく続いた。
やっと終わると、このままでは先輩より顔が赤くなってしまいそうなので一旦退室しようとする。
ドアに手を掛けた時、後ろから声を掛けられる。
「ねぇ」
「まだ何か?」
「私も充樹君って呼んでいい?」
あぁ、もう可愛いな。
仕方ない、本当に仕方ないなぁ。
「もう、どうにでもしてください」
「充樹君、今日はありがとね」
「はいはい」
俺はこれ以上こそばゆさに耐えられなくなり、部屋を出た。
外に出ると、辺りはすっかり日も暮れていて、綺麗な月が出ていた。
それを見て俺は頭を抱える。
「あー、今日も告白するタイミング失ったー」
彼女が可愛すぎるのが、いけないんだ。
真面目な顔なんて作れやしない。
仕方ないな。




