閑話:3人娘のおつかい任務その2
街道の並木が途切れ、広大な水面が姿を現した。青く澄み渡る『湖水地方』だ。冷たい風が吹き抜け、湿った泥と水草の匂いが鼻腔を刺した。
「ふぇぇ……! 大きな水たまりがいっぱいですぅ……!」
ミラが大きな瞳を瞬かせ、感嘆の声を漏らした。
「水たまりじゃないよミラ、あれが全部湿地帯なんだよ」
ミミィが苦笑いし、足元の泥濘を踏みしめた。
「地面がぐちゃぐちゃしてて、足を取られそうだね。白銀ちゃん、気をつけて」
「くぅ〜ん」
腕の中の白銀が、鼻先をヒクヒクと動かして返事をする。一方、先頭のライラは、湿地の入り口でピタリと歩みを止めていた。
「……二人とも、武器を構えなさい」
低く鋭い声が、冷えた大気を切り裂いた。
「えっ……? ライラさん、何かいるんですか?」
「ええ。目的の『白露草』の群生地を塞ぐように、陣取っている影があります」
霧煙る泥沼の浅瀬に、無数の影が蠢いていた。
青黒い鱗に覆われた、巨木のような胴体。凶暴な魔獣――『レイク・アリゲーター』の群れだった。甲殻を擦り合わせるような異音と、濁った呼気が風に乗って漂ってくる。
「うわぁ……! 丸太みたいなおっきいワニがいっぱいいますぅ……!」
「数にして十二頭。群れの中心にいる一際大きな個体が、統率役ですね」
ライラは冷淡な瞳のまま、淡々と分析した。
「あの顎の一撃を受ければ、並の盾など容易く噛み砕かれます」
「だ、大槌で真正面からぶっ叩けばいいですかぁ!?」
前へ飛び出そうとしたミラの襟首を、ライラが素早く掴んだ。
「待ちなさい、ミラ様」
「ふぇっ!? ラ、ライラさん……!?」
「正面から突っ込んではいけません。周囲の泥は底なし沼のように深く、足場が最悪です」
ライラは足元の泥濘を指し示し、首を横に振った。
「あの泥の上では、大槌を振りかぶるだけで軸がブレます」
「軸がブレる……?」
「ええ。空振りすれば足元をすくわれ、大槌の重さに引きずられて泥へ沈みます」
ミラの背筋に、冷たい汗が伝った。
「ひゃぅっ……! ど、泥に沈んだら、私、動けなくなっちゃいますぅ……!」
「そうです。そこを群れに囲まれれば、いくら主脈Lv.4の怪力でも圧殺されます」
「じゃあ……どう戦えばいいの、ライラさん?」
ミミィが剣を抜き、引き締まった表情で尋ねた。
「今回は、自立パーティの連携試験です。……私が二人の攻撃の起点を作ります」
ライラは二本の漆黒の短剣を抜き、静かに握り直した。
「マルク様の教えを思い出しなさい。力任せに殴るのではなく、理屈で隙を穿つのです」
「理屈で……隙を穿つ……」
「私はあえて致命傷を狙いません。死角から統率個体の腱を断ち、態勢を崩します」
ライラは二人の目を見据え、役割を指示した。
「ミミィ様は、敵の重心が崩れた隙間に滑り込み、白銀ちゃんと共に足を止めなさい」
「はいっ! ロイスさんに教わった足さばきですね!」
「そしてミラ様。動きの止まった無防備な頭部へ、上から一撃を落とすのです」
「わ、分かりましたぁ! 動きが止まるまで、じっと我慢ですねぇ!」
「行きます。――【物音消し】」
ライラの気配がフッと薄れた。飛沫すら立てず、影のように群れの中枢へ潜り込む。
「グルァッ……!?」
異変に気付いたボスが、首を巡らせようとした刹那だった。ライラの姿が残像となり、死角の後肢の裏側へ滑り込んだ。
「――【腱断ち】」
ザシュッ!
冷徹な刃筋が、青鱗の継ぎ目を切り裂いた。
「グギャァァァッ!?」
腱を両断された巨頭ワニが悲鳴を上げ、大きく右へ傾いだ。無防備な側部が、完全に剥き出しになる。
「ミミィ様、右です! 敵の重心のブレた隙間に、迷わず滑り込みなさい!」
「はいっ! ――【ステップ・イン】!」
ミミィはロイス直伝の脱力ステップで、前へ疾走した。泥濘を軽やかにすり抜け、ワニの懐へ滑り込む。
「白銀ちゃん、顎を完全ロック!」
「わんっ!」
ミミィの肩から飛び出した白銀が、小さな口を大きく開けた。極小の氷雪嵐が、ワニの首元と足場へ着弾する。
カチィィィンッ!
大顎の蝶番と四肢が、分厚い氷で一瞬にして凍結された。巨体が、氷の軋む音を立てて硬直する。
「今です、ミラ様! 腕の筋力で振り回すのではありません!」
ライラの鋭い叱咤が、泥煙の向こうから響いた。
「背骨と骨盤を落とし、大槌の重さを大地へ叩きつけなさい!」
「背骨と……骨盤……! えぇぇぇいっ、これで終わりですぅぅぅっ!!」
天高く舞い上がったミラの全身から、黄金の魔力が吹き荒れた。【体軸維持】の脱力から、主脈Lv.4【剛力解放】の超重力が炸裂する。
ドッゴォォォォォォォンッッ!
凄まじい衝撃波が、湿地帯全域を激震させた。
泥と水柱が天高く吹き上がる。凍りついたボスの頭骨ごと、巨体が粉々に粉砕された。大地に大穴が穿たれ、ボスは吹き飛んでいった。
「ギシャァッ……!?」
「グ、グルルゥ……ッ!」
瞬殺劇を目の当たりにした残りのワニたちが、泥の中へ逃げ出そうとする。
「逃がしません。ミミィ様、残党の退路を氷で塞ぎなさい」
「了解! 白銀ちゃん、散弾氷結!」
「きゃんっ!」
白銀の氷粒が逃げ道を塞ぐ。ライラの麻痺毒針が、次々と急所を貫いた。凶悪な群れは、一頭の撃ち漏らしもなく殲滅されていた。
「はぁ……はぁ……! ふぇぇ、泥に足を取られずに、ちゃんと倒せましたぁ……!」
大槌を担ぎ直したミラが、額の汗を拭って嬉しそうに微笑んだ。
「白銀ちゃんも大活躍だったね! みんな怪我はない?」
「擦り傷一つありません。二人とも、見事な判断と立ち回りでした」
短剣を鞘へ納め、ライラは満足げに頷いた。
「マルク様の指導が、確実に血肉となっていますね」
「はいっ! 先生に怒られないで済みそうですぅ!」
「ふふ、これで目的の『白露草』も無事に採取できるね!」
湖水から吹き込む澄んだ風が、三人の少女を優しく包み込んでいた。




