第35話:理の外に立つ者
聖都の空は、いつも澄んだ青色をしていた。
修道院の庭に、乾いた風が吹き抜ける。鳥のさえずりが届いた。
「また、あの目で見ている」
木陰に座る俺を見て、若い修道士たちが囁き合っていた。その瞳には、警戒と恐怖が浮かんでいる。
無理もなかった。
赤ん坊の頃に教会の前に捨てられ、孤児院で育った俺は、前世の記憶を持つ転生者だったからだ。当時の俺は、記憶と幼い身体がまだ噛み合わず、感情表現が苦手だった。泣き叫びもせず、静かに周囲を観察していた。
その態度が、大人たちには「悪魔憑き」の不気味さに映ったらしい。誰もが俺を腫れ物のように遠巻きにしていた。
「マルク、何をぼんやりとしているのです?」
背後から、澄んだ声が降ってきた。
振り返ると、白銀の法衣をまとった女性が立っていた。
ウルズ教会の最高幹部、大司教の座に就いていた女性――エレオノーラだ。
「エレオノーラ様。お仕事はよろしいのですか?」
「息抜きですよ。それに、あなたのお顔を見に来ました」
エレオノーラは穏やかに微笑み、俺の頭を優しく撫でた。その手のひらは温かく、微かに白檀の香りがした。修道士たちが俺を気味悪がる中、彼女だけは違った。俺が転生者だとは知らないまま、孤立する俺を心配し、足繁く孤児院へ通ってくれた。
「マルク、子供はもっと騒がしく笑うものですよ。ほら、口角を少し上げてごらんなさい」
「こうですか?」
「ふふ、少しぎこちないですね。挨拶の時は、相手の目を見つめすぎず、少し首を傾げると愛嬌が出ますよ」
「努力してみます」
「ええ、少しずつで良いのです」
彼女は真剣に、俺が周囲と馴染む方法を教えてくれた。
まるで、本当の母親のように。
そんな彼女を見上げながら、俺は胸の奥でウルズ神に感謝していた。
俺には生まれつき、【深淵透視】という力があった。人の魂に意識を向けると、【主脈】と【枝脈】の樹形図が浮かび上がってくる。その光景は、前世でやり込んだ人気ゲーム『マスターズ・レギオン』の画面そのものだった。
だからこそ、俺は確信していた。
ここは、『あのゲームの世界』なのだと。俺は毎日、礼拝堂の祭壇でウルズ様に手を合わせていた。大好きなゲームの世界に生まれ変わらせてくれて、ありがとう、と。
だが、ある日のことだった。
孤児院を訪れた巡回神官たちが、廊下で話していた。
「……次の巡礼には、腕の立つ技能鑑定士を手配せねばならんな」
「ああ、主脈Lv.5まで見通せる鑑定士は引く手あまただ。報酬の額が跳ね上がるぞ」
通りがかりに耳にした俺は、首を傾げた。
技能鑑定士?
前世のゲームには、そんな職業はなかった。後日、俺は執務室のエレオノーラに尋ねてみた。
「エレオノーラ様。技能鑑定士とは、どのようなお仕事なのですか?」
エレオノーラは羽ペンを止め、不思議そうに目を瞬かせた。
「知らなかったのですか? 人は誰しも、己の魂に刻まれた技能を直接見ることはできません」
エレオノーラは穏やかに続けた。
「だからこそ、魂の形を読み取って伸ばし方を助言する技能鑑定士が必要なのですよ」
その瞬間、俺の脳裏に電撃が走った。この世界の人々は、自分のスキルツリーを自力で見ることができないのだ。
俺は、自分にはチート能力などないと思っていた。
だが、違った。
他人のスキルツリーを画面のように視認し、経験値を自由に割り振る。その『プレイヤーとしての権限』そのものが、この世界では反則能力だったのだ。
◇
ある日の夕暮れ、孤児院の平穏はけたたましい悲鳴によって破られた。
「誰か、早く止血布を! 薬師様を呼んでください!」
中庭の石畳に、赤黒い血だまりが広がっていた。
運ばれてきたのは、孤児院で炊事を担当していた若い修道女だった。 街への買い出しの帰り道、街道で強盗に襲われたらしい。腹部を刃物で深く引き裂かれ、血が泡立って溢れ出していた。
「息が浅い……! 駄目だ、傷が深すぎる!」
「下級の回復薬では血が止まりません!」
孤児院に高位の治癒士はおらず、手持ちの薬では命を繋ぎ止められなかった。修道女の顔から、急速に血の気が失われていく。彼女は普段、俺を怖がって距離を置いていた。だが、寒い夜には毛布を掛け直し、スープを多めによそってくれる優しい人だった。
死なせたくない。
俺は人垣を押し分け、血塗れの彼女の手首を強く握りしめた。
「マルク!? 子供が見ていいものではありません、離れなさい!」
制止を無視し、俺は全神経を集中させた。
「――【深淵透視】」
視界の奥底で、修道女の魂の樹形図が展開される。
現在値は、主脈Lv.2。
ツリーの深層に、光を放つノードが眠っていた。格闘と生体循環に特化したモンク系職業――【気導僧】の潜在適性だ。
(これなら、助かる……!)
前世の記憶で、【気導僧】に自己のHPを自動回復させるスキルがあることは知っていた。俺は迷わず、自らの魂に蓄積されていた経験値の引き金を引いた。
「――【経験値注入】」
淡い光の奔流が、修道女の身体へ流れ込んだ。未熟だった枝脈の回路が、一気に拡張されていく。
【自己気療】、そして【生体循環活性】の枝脈が、音を立てて強制的に開花した。
「あ……がっ……!」
修道女の身体が跳ね、傷口から柔らかな白い光が溢れ出した。鮮血がピタリと止まる。裂けた皮膚と筋肉が、徐々に盛り上がって塞がっていった。
荒かった呼吸が整い、彼女の頬に赤みが戻る。
「な、傷が!?」
「神の奇跡か!?」
修道士たちが膝をつき、祈りを捧げ始める。
助かったと息を吐いた瞬間、背筋に強烈な寒気が走った。
群衆の後ろから、冷たい静寂をまとったエレオノーラが歩み出て、俺をじっと見つめていたからだ。
◇
その夜。
俺は一人、大司教の執務室に呼び出された。エレオノーラが、感情の読めない瞳で俺を見据えている。
「マルク。先ほどの修道女の手当て……あれは、何をしたのです?」
静かな、だが逃げ場のない問いかけだった。
誤魔化しても無意味だと悟り、俺は短く答えた。
「……あれは、俺の職業とスキルだと思います……」
真実は話さず、自分でもよく分からない能力ということにした。
しかし、エレオノーラは息を呑み、ゆっくりと首を横に振った。
「マルク。この世界において、ウルズ様より天職と本格的な技能を授かり、主脈が覚醒するのは――【十五歳】を迎えてからなのです」
「……え?」
その瞬間、俺の全身が凍りついた。
ゲームの設定資料集の片隅にあった、無機質な一文が蘇る。
『魂の器が定着する十五の齢より、人は己の天職を得る』。
(……しまった)
冷や汗が背中を伝った。単なるフレーバーテキストだと思って、読み流していた設定だった。十歳にも満たない幼子が、スキルを発動して他人のツリーに干渉する。それは、この世界の理においてあり得ない現象だったのだ。
言い逃れなど、もはやできるはずもなかった。
エレオノーラは俺の前まで歩み寄り、静かに片膝をついた。その瞳には、畏怖と、狂おしいほどの慈愛が宿っていた。
「子供らしからぬ賢い子だとは思っていましたが……お前は、この世界の理の外側にいるのですね」
エレオノーラは祭壇のウルズ神像を見上げ、震える声で呟いた。
「偉大なるウルズ様は……私に、一体どのような『神の子』を預けられたというのでしょう」
温かな手のひらが、そっと俺の頬を包み込んだ。
伝わってくるのは、畏怖などではない。震えるほどの、深い情愛だった。
「大丈夫ですよ、マルク。あなたが何者であろうと、ウルズ様が私に託してくださった大切な我が子であることに変わりはありません」
エレオノーラは微笑み、幼い俺を壊れ物のように抱き締めた。
「この世界の理がお前を脅かすというのなら、私がそのすべてからお前を守りましょう。……ですから、恐れることはありませんよ」
母のような温もりと、確かな誓い。
自分がどんな異端であろうと、この人だけは決して見捨てない。俺はそれを、胸の奥深くに刻み込んでいた。
おい待て!!子供のマルクがどうやって経験値稼いだんだ!!
→神の奇跡です。
すいません冗談です。赤ん坊の時から日々の生活で少しづつ経験値が溜まっていたことにしてください。
ということで第二章も頑張っていきます。
<重要なお願い>
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