猫草のビスケット
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ジルたちと朝食を終え、わたしはジェロームに誘われる儘、ラセットブラウン色のフード付きマントを羽織り、西館から護衛のアッシュと共に、冬曇りの中、敷地内に或る礼拝堂へと向かった。
柘植の小径を歩くと、強く甘いダフネの春の薫りが漂い、濃緑色の枝の先に手毬のような花を付けていた。 落葉して眠っていると思っていた晩冬の庭のあちらこちらに、スノードロップや黄水仙も花を咲かせて、春が近づいてきていることを教えて呉れていた。
ファーが付いたコートドレスの上から、フード付マントを羽織っていても、吹く風の冷たさは、変わらない気がする。
ジェロームは、丈の長い黒のマント・クロークをグレーのチェニックの上から羽織っているだけなのに。
礼拝堂の裏口に着いたわたしは、アッシュに中に入るように勧めて、狭く薄暗い階段を上り、ローランの部屋(司祭室)へとジェロームの後ろから着いて行った。
小部屋に於かれたエルム材の丸テーブルに置かれた白いプレートの上には、猫草(燕麦)の薄焼きビスケットが盛られていた。
「おはようございます、ローラン先生。」
「おはよう? そこまで早くないけどね、オリビア。」
「ふふ、お早う、ロロ。 ロロもサロンで朝食を頂けば良かったのに。 バターを付けた小麦のパンは、美味しかったよ。」
「僕には此れで十分だよ。」
明かり採りの窓枠付近に置かれた執務机の前から立ち上がり、グレーの修道服姿で、ジェロームに言葉を返しながら、僅か6歩で此方に歩いて来た。
ジェロームは後ろに或るベットの近くの丸いスツールを持って、丸テーブルに向って座ったわたしの右隣りにストンと置いて腰を下ろした。
そして対面には、綺麗な笑みを浮かべたローランが座り、修道士の少年を呼び、わたしの好きなカモミールティーを頼んだ。
「先日は有難うございます。ローラン先生、それにジェロームさまも。」
「いえいえ。どの道パルスに行ってからの話だからね。リビーにジョワイエ(宝飾職人)を紹介出来るのは。」
「ジェリーの所だから、王族や司教たちの注文を受けている職人だろうね。」
「あのぉ、恐ろしくて使えなく為りそうなので、、、此の侭で良いです、、わたし。」
「「ふっ。」」
わたしの一言に、ジェロームとローランが揃って噴き出した。
銀髪の飛び切りな美女と危げな桜色髪の美少女二人が、目を合わせて笑む様は、正に眼福。
其処に木製のドアをノックした音がした。 ローランは誰何してから入室の許可を与えた。 銀髪ロン毛で麗しの紫眼を三日月にしたローランは、カモミールティーのセットを持ち運び、室内に入って来た修道士の少年に両手を伸ばして、ポットとカップの乗った寄木細工のトレーを受け取り、テーブルに置いた。
流石に狭い室内は風もないし、オイルランプと燭台に蝋燭が灯っている所為で、外程は寒くないけれども、古い飴色の床板からは、何となく底冷えしてきているような。
それになのにローランは、グレーの修道服1枚だし、ジェロームは神学生用のグレーのチェニックの上から、黒のマント・クロークを羽織っているだけなのよね。
「わたしからすれば薄着に見えるのだけど、二人とも寒くないのかしら?」
「僕は余り寒さとか感じないね。」
「だね。信仰のお陰か、私たちは余り、そのようなことを感じないのですよ。リビー。」
「そういうモノなのですか。」
「ええ。」
湯気とカモミールの薫りが立ったカップを、ローランはわたしの前に置いて、スノードロップを描いたカップの取っ手を持ち、薄い口縁に唇を付けた。
わたしもカップの湯気に誘われるように腕を伸ばし、取っ手を持って温まっている薄い口縁に口を付けた。 行儀が悪いけど、左手をカップの高台に当て、わたしは暖を取った。
「そうそう、ニコル・メナシード伯爵令嬢って、オリビアは覚えてる?」
「ああ、確かアルプが『助けてと眷属の精霊に頼まれた』と、話していた子ですよね。」
「そう。それでニコルを此方に連れてこようと思っているのだが、、、。」
「、、、うーん。わたしは、お祖父さまの許可が有れば大丈夫なのですけど。 でも今は不味いかもですよ。 ニコルちゃんて家出中ですよね?」
「そうだね。 アーシュレイ侯爵閣下への説得は大丈夫だよ、オリビア。 僕はそういう事が得意だから。」
「いえ。そういうのは、ローラン先生が得意なのを知っているので、一切心配してません。 ただコッチの問題というか、、、。今、領主館にクレール夫人がいらっしゃるでしょう? 如何もあの方は中々にデンジャラスな気配がするんですよね。 ニコルちゃんが居場所を伏して置きたいなら、クレール夫人が王城に戻ってからの方が良いと思うのですよね。」
「ああ、何となく空気が淀んでいるものね。 リビーは大丈夫だった? クレール夫人と話して居て。」
「心配して下さって有難うございます、ジェロームさま。 わたしは、まあ大丈夫ですよ。 今更、父と愛人との噂話を聞かされてもピクリとも心が動かないですし。 わたしは父と会ったコトすら無いので、ほゞ他人の話にしか聞こえないのですよ。 どちらかと言うと、祖母の方がストレスを溜め込んでしまって、、、。 先日のわたしの誕生会で、祖母が祖父にキレたのは、クレール夫人との話に付き合っていたからなのですよね。 今、祖母は、母やわたしの盾になって呉れている状態なのですよ。」
「ああ、だからか、、、ロロの使う心理的な誘導魔法が、アーシュレイ侯爵夫人にすんなりと効いたのは。 アーシュレイ侯爵夫人は、芯が強そうな方に思えたから吃驚したよ。」
「其処は、流石ローランだと、ジェリーは褒めろよ。」
、、、ローラン、やはり犯人はお前か!?
祖母はただ酔っ払って居ただけじゃ無かったのね!
お陰でわたしの誕生日から二日間も祖母は、自室から出て来なかったのですよ!
「全くお祖母さまに何をして呉れて居るのですか!ローラン先生っ! いつも気高く貴婦人然としていらっしゃるお祖母さまに対して。悪戯にしても程があります。全くもう。」
「そう? 僕は、アーシュレイ侯爵夫人の昂っていた感情をリラックスさせるため、暗示魔法を掛けただけ。 昨日会った時は、固まっていた表情の強張りがアーシュレイ侯爵夫人から解けていたしね。」
「で、でもお祖父さまと夫婦喧嘩みたいになっていたし。」
「それは7割方はアルコールの所為。 残り3割は、僕のお陰で素直になって、アーシュレイ侯爵閣下に言いたかった事を話せたのじゃないかな?」
「お祖母さまが、言いたかったコトかぁ、、、。」
ポツリとわたしは呟いてカップに口を付け、リンゴのような甘い薫りと一緒に、温かなカモミールティーを口に含んだ。
祖母の本音は、もっと祖父と色々なコトを話し合ってみたかったのかも。
例えば父のコトとかね。
わたしから見て、祖父はぶっきらぼうだし、祖母は無口で安定のアルカイックスマイルだったし。
ふむ。
よく考えたら、夫婦の会話らしいものをしていなかった気がする。
それに2人とも不器用ながら、わたしに愛情を示してくれている。
わたしの部屋に置かれたアンティーク家具を見る限り、重たい愛情かしら。
わたしが7歳の時に引っ越した部屋に置かれていた、苺の実や花などをモチーフにした明るいパステルカラーの家具は、きっと母の趣味だったのだろう。
あの家具たちは、今、引っ越したデジレの屋敷に持ち込まれて居たらしい。
思わず母が気の毒に思えて慰めに執務室へ訪れたら、「ちょうどロザリーの出産祝いに良かったわ。」と屈託ない笑顔で言ってくれたので、良しとして置こう。
「、、、リビー。リビー。生きてる?」
「ハっ!はい!ジェロームさま。」
おっと、まずいまずい。
自分の世界に浸っていた。
わたしは顔を上げて、ジェロームの深く澄んだ蒼い目を見た。
「まあロロの仕出かしたお詫びに、此れからクレール夫人がアーシュレイ侯爵夫人とお茶をする時は、私も同席しよう。叔母のパトリシア殿下と友人ならば、私が参加しても可笑しくないだろう。 それにリビーと私は友人だしね。」
「ユウジン、、、友人デスカ?わたしとジェロームさまが?」
「ほら、ジェリー。オリビアが戸惑ってるよ。」
「ええー? リビーと私は、年齢的に友人でも可笑しくないだろう? ねっ!? だからリビーもジェリーと呼んでよ。」
ジェロームはそういうと、白い綺麗な手の平を合わせ、小首を傾げ、大きな蒼い目を潤ませオネダリするようにジーっとわたしの目を見た。
左に傾けた形の良い頭から、サラサラと耳たぶに艶やかな桜色の揺れて掛かり、危いジェロームの色気が駄々洩れていた。
何、此の美少女は。
ショタでないのに、ちょっとドキドキしちゃうじゃないですか。
バシッーーン!
「痛いよ。ロロは何してるのさ。」
「あっわりぃ。遂、反射的に叩いてしまった。 (良い年をしてる癖に)ジェリーが不気味で。」
「何でデスか!ロロは全く大人気ない。」
わたしは大きく響いた打撃音に驚いて目をパチクリと見開いていた。
如何やらジェロームの後頭部を、ローランは丸椅子から立ち上がって、思い切り左手でシバいたみたいです。
弾みでサラツヤの桜色の柔らかなジェロームの髪が揺れていた。
ジェロームの桜色の髪は、耳朶の中程で揃えられて居て、それもビューティーなのですがね。
一応ローランは、建前的にランテ語の教師であり、司祭の資格を持った今年22歳になる青年の筈なのに、今年11歳になる神学生のジェローム少年と同レベルでじゃれ合い始めてしまった。
手持ち無沙汰になったわたしは、そっと腕を伸ばして猫草の薄いビスケットを摘み、口元へと運んだ。
ザクザクボリボリと音を立て噛み締めると、素朴な甘みとナッツぽい香ばしさが口に広がった。
でもしょっぱい。
出来るだけじゃれ合っている2人の会話を聞かないように、わたしは思い切り猫草のビスケットを嚙み砕き始めた。
だってわたしの知りたくない禁句ワードが、ポンポン飛び出して来るのだもの。
晩冬の礼拝堂に或る一室で、ザクザクボリボリとコメカミに響かせながら、わたしは猫草のビスケットを齧り続けた。
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