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「涼ちゃん、こっちこっち」
眩しいくらいの美少女がぴょんぴょんと身体を弾ませる。その度に深紅の髪は燃え上がる炎のように揺らめき、たわわに実った二つの果実も跳ねた。
そんなにアピールせずとも美灯 沙織を見失うことなんてない。どれだけ人混みに紛れていようと、その一際目立つ容姿はすぐに見つけられる。
「おはよ」
涼馬が手を振ると沙織は嬉しそうに笑った。
その笑顔が太陽のように眩しい。
「おはようございます」
沙織の隣に、男が立っている。それを見て涼馬の表情は凍り付いた。
身長は沙織より頭一つ分ほど高い。170後半といったところだろう。服の上からでも分かるほど身体が鍛え込まれている。
そして何より癪なことに、イケメンだった。
ぱっちりとした二重の瞳に、すっと通った鼻筋。やや浅黒い肌も、その精悍な雰囲気によく似合っている。モデルや俳優だと言われても、素直に納得してしまいそうな顔立ちだった。
そうじゃない。 こいつは誰だ?
沙織に兄がいないことくらい、涼馬はよく知っている。
いや、こいつが誰かは知っていた。問題は、コイツがどうして沙織との映画デートの場にいるのか?ということだった。
「お前は……」
内心の戸惑いが、そのまま声に漏れた。
そんな涼馬を見て、沙織は照れたようにはにかむ。
そして、隣の男を紹介した。
「私のパーティメンバーの黒柳 哲人君」
久瑠鴨高校のダンジョン科1年の成績トップの探索家パーティ、『漸進する葦』のリーダー。
普通科に通っている涼馬でもその名前と顔は知っていた。
だけど、沙織も同じ普通科の筈だった。その沙織がどうしてコイツのパーティメンバーに?
というか少なくとも夏休み前にはそもそも探索家資格を持っていなかったのに。
夏休みの間、麻衣と三人で一緒に出掛けたり、お互いの家族で一緒に旅行にも行った。普段からチャットで他愛もないやり取りをしていたし、何より家が隣同士なのだ。顔を合わせる機会なんて、いくらでもあった。
それなのに。
そんな話は、一言だって聞かされていなかった。
次々と浮かんでは消える疑問に、頭が追いつかない。
だが、混乱する涼馬を置き去りにするように、会話は先へと進んでいく。
「おいおい、もうただのパーティメンバーじゃないだろ?」
「えへへ、そうなんだ。哲人君は私の彼氏なの」
その瞬間、種付 涼馬の世界は太陰よりも真っ暗になった。
「はい?」
今日は数ヵ月前から約束していたデートの日で、本日公開の映画を観に行くはずだった。
沙織に原作を薦めてもらい、読んでみたらすっかりハマった作品だ。映画化が決まったときには、二人で手を叩き合わせ、子供みたいにはしゃいで喜んだ。
それなのに知らない男がいる?
どれだけ図々しいんだよ。
彼女が男と二人で遊びに行くくらい笑って見送ってやれよ。
器の小っちゃい奴。
涼馬は内心で悪態を吐きながら、目の前を並んで歩く二人から視線を逸らした。
繋がれた手なんて、見たくもない。
逃げるように空を見上げる。
ビルとビルの間には、今日も変わらず太陽と太陰が並んでいた。
太陰は、昔から空にあったわけではないらしい。
涼馬が生まれるよりもずっと昔。母さんがまだ幼かった頃、空に浮かんでいたのは太陽だけだったという。
それどころか、ダンジョンも魔法も存在しなかったらしい。
そんな世界が、ある日突然一変した。
『ロストシグナル』
世界規模で発生した未曽有の大災害。
人類史の転換点として、学校の授業でも幾度となく聞かされてきた出来事だ。
ある日突然、青空にぽっかりと黒い穴を穿つようにして、太陰が現れた。
そこから放たれたフレアによって、全世界の通信機器が一斉に沈黙したという。
通信網の途絶によって各地で事故が相次ぎ、錯綜する情報は人々の不安を煽り、社会は瞬く間に混乱へと陥った。そして、追い打ちをかけるように発生したのが、扉のダンジョン化だった。つい先ほどまで何の変哲もなかった扉が、開いた途端に見知らぬダンジョンへと繋がってしまう。
自宅の玄関も、学校の教室も、何気なく開けていたはずの扉が、ある日突然、未知の世界への入口と化したのだ。
多くの人々が、その危険性すら知らないまま足を踏み入れ、二度と戻ることはなかった。
ロストシグナル以前の世界。そこにはダンジョンも、魔法も、魔石さえも存在しなかった。
今を生きる涼馬には、にわかに信じがたい話だった。
だが、大人たちに言わせれば、異常なのはむしろ今の世界の方らしい。
災害、そして、以降の一変した世界の象徴たる太陰を忌々し気に睨む大人は多い。
今日初めて涼馬はそんな大人の気持ちが分かったような気がした。
この話、こんなにつまらなかったっけ。
楽しみにしていた映画は、酷く凡庸だった。
何度も胸を躍らせたはずの物語が、スクリーンの上では妙に平たく、色褪せて見える。心を震わせた台詞も、手に汗握った展開も、何もかもがひどく陳腐に感じられた。
胸の中にあったはずの熱が、どこにもない。
代わりに浮かんでくるのは、薄っぺらいだの、ありきたりだの、そんな言葉ばかりだった。
隣では、沙織とその彼氏が目尻に涙を浮かべている。
それを横目に、涼馬は心の中で冷たく笑った。
「晩御飯はどうする? 吾輩は肉を所望するであります!」
映画館を出るなり、沙織はさっきまで観ていた映画のキャラクターを真似て、芝居がかった口調で言った。
「俺はいいや。用事あるし」
「えー、涼ちゃんと感想語りたかったのに。最後の原作と違う展開のとことか」
沙織は露骨に肩を落とした。
「我儘言うなよ。種付君にも予定はあるんだ。ごめんね、沙織が無理強いしようとしちゃって」
「別に」
何が別になのかは涼馬にも分からなかった。
「鉄は熱いうちに打て、映画の感想は見た直後に語れって言うのにぃ」
沙織は不貞腐れながらも、最後にはいつものように手を振った。
涼馬もそれに手を振り返し、二人とはそこで別れた。
その夜。隣の沙織の家を、涼馬は何度となく窓越しに見た。いつもなら夜になれば灯るはずの、彼女の部屋。
その窓は、日付が変わっても、草木も眠る丑三つ時になっても、東の空を太陽が明かるく染め始めても、暗いままだった。




