七章・1
「それじゃあ二日ぶりの外出だ。美弥子、用意はいいか?」
「大丈夫です。今日は水族館でしたっけ?」
「そうだ。ついでに海も見よう」
「海! って、わっ!」
美弥子は靴を履きながら驚いたので、よろめいてしまっていた。
「おっと!」
俺は慌てて美弥子の腕をつかんだ。
「あ……ありがとうごじゃいます」
「かんでるぞ」
「ございます!」
美弥子は顔を赤くして強く言いなおした。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってきます!」
「いってらっしゃい。一輝、美弥子ちゃん。体には気をつけてね」
母さんに見送られ、俺と美弥子は家を出た。
○
「今日は月曜日だから空いているだろう。きっとゆっくり見て回れるはずだ」
「楽しみです!」
俺の横で美弥子は弾んだ声で言った。
「美弥子は魚も詳しいのか?」
「そうですね。詳しいと言うほどではないですけど、それなりに」
「じゃあ今回も俺の出番は無しか」
「いえいえ! つっきーの出番はいっぱいありますよ」
「ほう。それは何だ?」
「まずわたしの魚話を聞くこと」
「魚話か。初めて聞く言葉だ」
「適宜質問もしてくださいね」
「わかった。他には?」
「知っての通りわたしは水族館に行くのは初めてです。案内をお願いします」
「わかった。まあいつも通りにしていればはぐれることはないだろ」
俺は言いながらハンドルを握っている自分の手を見た。
「そう、ですね」
美弥子も自分の手を見つめて微笑んだ。
「今日行く水族館はどんなところなのですか?」
「そうだな……。俺も小さい頃に行っただけだからよく覚えていないが、まず小さいな」
「この前の動物園くらいですか?」
「いや、もう少し広い。ただ都会のに比べるとな。あとはそうだな、海が近いな。目の前がもう海だ」
「そうなのですか!」
「ああ。海を見たこともないんだったな」
「そうです」
「なら楽しみだな」
「はい!」
「とりあえずそんなところか。どんなのがいるのかは、行ってからのお楽しみだ。ところで美弥子は、好きな魚はいるのか?」
「魚ですか」
「まあ、水中の生物でもいい」
「そうですね」
美弥子はしばらく考えた後、こう言った。
「シャチとかかわいいですね」
「シ、シャチ?」
「はい。シャチです」
「シャチは、怖くないか?」
以前、シャチがペンギンとかアザラシとかを狩っている動画を見たことがある。それに出ていたシャチはまるで怪獣みたいだった。血まみれで狩りをしていた。
「えー? かわいいじゃないですか。パンダみたいで」
ここでもパンダが出てくるのか。この前もレッサーパンダがどうのと言っていたが、ここまで来ると筋金入りだな。
「美弥子はレッサーパンダが好きだって言っていたが、普通の白黒のパンダも好きなのか?」
「そうですね。愛らしいと思います」
「上野は遠いな……」
新幹線は我が県には通っていないため、新幹線の駅まで乗り継ぐか、それか特急を使わなければ東京にはいけない。行くとなったら大変だ。
「ああいえ! わたしはもうレッサーパンダを見ましたから、満足です!」
「そうかよ」
「そうです」
「……ちなみに今行く水族館にはシャチはいないと思う」
「いないのですかシャチ!?」
「語尾みたいになっているぞ」
「おっと失礼しました」
美弥子は両手で口を覆った。
「まあ、似たようなものでイルカはいるだろうな」
「イルカがいるのですかイルカ!?」
「回文には……なっていないな。全然なっていないな。と言うか美弥子、それはわざとだろ」
「あ、ばれましたか」
「まったく……」
「そう言えばイルカのショーなるものを聞いたことがあります。それはあるのでしょうか?」
「あるはずだ」
「楽しみです!」
「そうかよ。……さて、着いたぞ」
窓の外には魚の絵が描かれた青い壁が見えてきた。
「すんすん……なんだか、生臭いと言いますか、変な臭いがしますね」
美弥子は鼻を鳴らして言った。
「これは海の匂いだ」
「これが、海の匂い」
美弥子は目を閉じて深く息を吸った。
「……やっぱり少し臭いですけど、でも、なんだか温かい匂いと言いますか、優しい感じがします」
「海の中には数え切れないほどの生き物がいるからな。きっと彼らの命の匂いなんだろうよ」
「命の、匂いですか」
美弥子はもう一度、深く息を吸った。




