あの日へ
悪夢は終わった。
サクラソウ。
空は青い。
雲は白く。
草花が遠くの山まで広がる。
サッサッサッ。
「すみません」
「はい」
ドサッ。
女性は木の棒を落とした。
「……お上りさん」
「お、お嬢さん!?なぜウチに!?」
「…届くのは戦死と行方不明の報告の紙一枚と、お別れのお手紙ばかり。それでも、帰って来てくれて嬉しい」
「⸻お帰りなさい!」
「ただいま」
ガラッ。
「お父さん、お母さん、お姉さん。ただいま戻りました」
母がお上りさんに泣き付いた。
姉も涙をこぼす。
父は横を向いた。
お上りさんの鼻に線香の香りが入った。
仏壇には、新しい位牌が2基並んでいた。
母が泣き崩れた。
お上りさんは仏壇の引き出しを開けて、亡くなった兄と弟の遺書を読んだ。
「…一族の男系男子で、生きて帰ったのは、お前だけだ」
涙混じりの父の声だった。
「失礼いたします!」
「だ、男爵様!ご婦人!」
「戻られたと娘から聞きました」
男爵夫人がそっと手を重ねる。
「大変ご苦労されて…。ご無事で何よりです」
「失礼いたします!」
「失礼いたします!」
「料理人さん!女中さん!皆さんもご無事でしたか」
女中は膝から崩れ落ちた。
「旦那様と奥様に家族全員助けて頂きました。『疎開先に世話係が必要だから』と」
料理人は腕で涙を拭う。
「また、あなた様にお会い出来て嬉しゅうございます。……まさか、日本がこんなことになるなんて…」
おーい!
「はあ、はあ。にいちゃん」
「…無事だったんだな」
「無事じゃねえよ!にいちゃん、何も分かってねえよ!」
「こら!」
「僕は大丈夫です。どうした」
「みんな死んじまったんだよ!東京の大空襲で。友達も先生も学校も家も、みんな死んじまったんだ!」
「ヤマトがあるじゃないか」
「大和は沈んだんだろ!?世界で一番強い船じゃなかった!」
「まだお前の手の中に」
「え?」
「大切にしろ。今も友達との思い出をたくさん乗せている」
「男爵様、麻布のご自宅は接収対象となりましたか?」
「まだ通知は来ておりませんが、知り合いには既に届いている者もおります。我が家はそれほど広い屋敷ではありませんので、接収を免れる可能性もあるかと。⸻それよりも、あなたは休まれた方がいい」
「お父さん。女中さんの旦那さんは、非常に腕の良い大工です」
「うん、それは良く知っている」
みな、笑っている。
「……?東京では住宅不足が続くはずです。群馬で木材の調達先を確保し、生還された大工仲間を集めて頂き、住宅建築を請け負います。建築費を一度に用意できない方には、資材代などを立て替え、分割で返済していただく形にすれば」
父は何度も頷いていた。
「分かった、やろう。だからお前は休みなさい」
「……あなた」
「なんだ」
「ふふ。なんでもありませんわ」




