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4.15 和水正宗(なごみまさむね)

注意!!


 この話には猟奇的表現が含まれます。




『続いてのニュースです。先日、殺人容疑で逮捕され中央警察署に拘留されていた進藤直美容疑者が遺体となって発見されました。

 警察によりますと、本日午前6時30分ごろ、留置室内で倒れているのを警察官が発見。発見時、既に死亡していたとのことです。進藤直美は今年の3月12日に森の中で遺体にて発見された和水正宗の殺害に関与したと供述しており、警察が事実関係を調べていました。また、それ以外にも複数の人間の殺害に関わったことを仄めかしており、合わせて警察が調べていました。

 警察によりますと、進藤直美容疑者の首元には鋭利な刃物によるものと思われる切り傷があり、自殺、他殺両方の観点から捜査を進めています。

 中央警察本部の留置管理課長は「留置施設内でこのような事件が発生し遺憾に思います。いち早く真実を解明し、管理業務の見直し、強化を行い、再発防止に努めます」とコメントしています』


「フン! 聞いたか? 轢き屋が死におったわ。ざまあないな」


 ラジオから流れる直美の訃報に、正宗が嬉しそうに声を弾ませた。


「そうですね……」


 対する西空は一言のみ。ただ、酷く不機嫌そうだった。

 現在、正宗は西空と共に別荘へと向かう途中だった。幽霊である正宗は車を運転できないため、西空に運転を頼んでいる。


 幽霊とは案外不自由な存在だった。フワフワと壁をすり抜け、何処にでも行けるのではないかと思っていた。

 だが、幽霊であると自覚してから、壁をすり抜けることはおろか、いつの間にか書斎から出ることすらできなくなっていた。理由は分からない。そういうものだと理解するしかなかった。

 だから、西空が突然現れ、一緒に別荘に行かないかと提案してきた時、書斎で缶詰め状態だった正宗は救いの天使が降臨したと思った。だが、西空は条件を一つだけ出してきた。それは別荘に隠してある財産を譲れというものだった。

 恐らく、西空はずっと正宗の財産を狙っていたのだろう。捜査と称して書斎で接触してきたのもこのためだったのだ。

 抜け目のない奴。天使は天使でも、堕天使だったようだ。だが、これはこれで嫌いじゃない。それに、幽霊となった今、財産に価値などない。正宗は西空の出した条件を飲んだ。


「着きましたよ」


 西空が到着を告げ、車から降りた。正宗も降りようとしたが、扉はビクとも動かなかった。西空が素早く外から助手席側に回り扉を開けたことでようやく外に出られた。本当に、幽霊とは不自由なものだ。


 ***


 久しぶりの別荘は、とても心地いいものだった。正宗は広間のソファーに腰を下ろす。西空は財産の隠し場所を探しているのか、キョロキョロと辺りを見回していた。


「焦るな。まずはそこに座って落ち着くといい」

「分かりました」


 西空は正宗が示した真向いのソファーに腰を下ろした。


「さて、財産の在処を話す前に、少しお喋りせんか。幽霊になって以来、話し相手がおらず退屈しててな」

「良いですよ。オレも正宗さんに聞きたいことがありましたし」

「ほう。何だそれは。遠慮せず言ってみろ」


 正宗が促すと、西空は少し間を置いてから語り始める。


「えっとですね。知っての通り、オレは幽霊が見えます」

「そうだな。少なくともワタシは疑う余地がない」

「ですが、死んだ人全員が幽霊になる訳じゃありません。正宗さんはどういう人が幽霊になると思いますか?」

「まあ、普通に考えて現世に未練のある者が幽霊になるのではないかね?」

「間違ってはいません。ですがもし、未練がある人全てが幽霊になれるのであれば、きっと世界は幽霊で溢れ返っているでしょう。未練の無い人なんて殆ど居ないでしょうから」

「成程。ということは、幽霊として留まるためには条件があるということか。興味深い。教えてくれまいか」

「秘密です」

「オイオイ。ここまで話を振って置いてそれは無いであろう」

「いいえ。そうじゃなくて、秘密です。抱えきれない程の大きな秘密を持った人間は幽霊になる可能性が高くなります」

「ホウ……」

「これはあくまでオレの推測にすぎないんですが、幽霊になる人は自らが抱えているものを打ち明けたくてしょうがないんだと思います。幽霊になってでも聞いて貰いたかった。それは伝えそびれた愛だとか恋心だとか、感謝の気持ちだとかエールだとか」

「中々ロマンチックではないか」

「そうでもないですよ。打ち明けたい秘密が優しいものとは限りません。寧ろ、秘密なんですから黒々としたものの方が多いです。例えば上司への不満とか、自らの恥ずべき弱点だとか劣等感だとか、身内の暴露話だとか、そして……」


「自らの犯した罪だとか」


 西空は眼光鋭く、低く呟いた。


「……何のことかね?」

「惚けなくていいんですよ。静歌さんから色々と聞いてますから」

「ホウ。いつ?」

「2階を調べている時です。静歌さんも自分の部屋に居ました」

「奴に聞いているのなら、態々私から話す必要は無いのではないかね?」

「幽霊は必ずしも真実を語るとは限りません。これは念のための確認です。それにさっき言ったじゃないですか。幽霊は抱えたものを打ち明けたくてしょうがない。いや……」


 西空は俯けていた顔を上げる。


「犯罪者は自らの犯した罪を自慢したくてしょうがない。正宗さんもそうじゃないですか?」

「……付いて来い」


 立ち上がり、正宗は別室へ移動する。西空も後に続く。


 ***


 その秘密の部屋は幾つもの鍵を掛け厳重に管理していた。西空に鍵の隠し場所を教え集めて貰い、4つ目の錠を開いた所でようやく閉ざされた扉がその口を開いた。

 その部屋には窓は無く、6つの蛍光灯が眩く光るのみ。閉ざされた空間に、大小の冷蔵庫が、さながら棺桶のように陳列されている。そして、全ての冷蔵庫には、開閉扉の上部に表札のようなものが付けられていた。


「それを開いてみるといい」


 正宗に言われた通り、西空は冷蔵庫の扉を開ける。表札にはジョシュアと書かれていた。

 冷蔵庫の中を見た西空の表情が曇る。


「自慢のペットの一匹。ジョシュアだ。どうだ。可愛いであろう。とてもワンパクな子だったよ」


 冷蔵庫の中には一頭の小型犬が仰向けに寝かされていた。生きていた頃は、その愛らしい眼を潤ませながら正宗の前を転げまわったものだ。


「隣のジョセフは内向的な子だった。キャンキャンという鳴き声がとても心地よかった。奥の子はジョン。見た目は少々不細工だったが、立派なものを持っていたよ。その隣の子は……」

「もういいです。ここにあるもの全てに、犬が入ってるんですね」

「その通りだ。ここで我が愛しの愛犬達を飼っている」


 西空は辛そうに頭を抱えた。


「ところで、全部メスみたいですが、どうしてジョンとかジョシュアとか、オスの名前を付けているんですか?」

「いいや。ここに居るのは全部オスだぞ。メスはジョナサンだけだ」

「え? でも股間に何も付いてない……」


 その意味に気付いたのか、西空は顔を青ざめさせた。


「何故そんなことを……」


 正宗は3年前の出来事を思い出す。


 ***


 最初の犠牲犬はジョニーと名付けた犬だった。

 ジョニーはジョナサンとは違って利口じゃなく、所謂駄犬であり、いくら躾けようとも言うことを聞かなかった。ワタシは見た目の可愛さに騙されて、半ば衝動的に買ったことを後悔し始めていた。


 そんなある日、ジョニーがワタシにマウンティングした。マウンティングとは腰を擦り付け前後に動かすことで、犬が自分の方が偉いとアピールするための動作だ。

 しかし、マウンティングはさながら飼い主に対して発情しているように見え、ワタシはジョニーのその行為に激しい怒りを覚えた。

 知っての通り、ワタシは下半身に問題を抱えている。その怒りたるや、想像できないであろう。


 ワタシは怒りのままジョニーの腹を全力で蹴り飛ばした。怒りでリミッターが外れたのか、自分でも驚くほどの威力で、ジョニーは壁に叩きつけられ動かなくなった。

 介抱虚しく、間もなくジョニーは事切れた。普通なら自らの行いを悔やみ、涙する所だが、そうはならなかった。ワタシの視線はジョニーのとある一点に釘付けになった。

 ジョニーは死の間際、自らのペニスを膨張させていた。理屈は分からない。雄は死が迫ると性欲が増すという話を聞いたことがあるから、そのせいかもしれん。

 ワタシは死してもなお激しく主張するそれを見て、どういうわけか興奮し、今まで満足にいかなかった自らの下半身が、初めて固く屹立した。

 ワタシは生まれてから初めてまともに勃起したことに感動を覚え、涙すら流した。


 ワタシその時の感覚が忘れられず、しばらくして次の獲物を求め、再びペットショップへと足を運んだ。

 雄犬を購入し、ジョンソンと名付け、この手で直ぐに殺した。

 だが、ジョニーの時と同じような興奮は感じなかった。研究が必要だと思い、脱税のために作っていた隠し部屋を改装し、そこを大きな犬小屋兼実験場とした。

 様々な実験を行った。飢餓状態にしてから殺し、毒で弱らせてから殺し、興奮剤を投与してから殺し、散々痛めつけてから殺し、回数を重ねれば重ねていくほど実験はエスカレートしていった。

 家に招いてから死ぬまでの観察日記も沢山書いた。時折観察日記を見返すのが、楽しみの一つとなっていた。


 そうした実験を経て、ワタシは結論を得た。


 ワタシは雄犬の立派な生殖器に芸術的な美しさを感じている。

 死後に猛々しく屹立した生殖器は直球の官能的美しさで、もはや歴史的名画と同等、いやそれ以上だ。

 そしてその生殖器を奪い、誇りを失った雄犬の姿はワタシは優越感を与え、多幸感に包まれる。

 そうした複雑で美味なる快楽が、ワタシの不甲斐ないムスコを元気にするのだ。


 ***


「だから犬を繰り返し殺したのだ」


 自らの凶行を告白するのは、とても気分がよかった。

 幽霊は自らの秘密を語りたい。

 西空の言うとおりかもしれない。現に、我が凶行を聞き、恐怖で体を震わす西空を見るのはとても心地いい。


「……それで生殖器の無い犬を冷蔵庫で保存しているんですか」

「冷蔵庫で保存? 違うな」


 正宗の邪悪な笑顔。


「これは檻だ。ペットを閉じ込めておくための『冷たい檻』……私はこの檻の中で可愛いペット達を飼っているのだ。ああ、それと切り取った生殖器に付いてだがな、膨張した状態で保存するのは不可能だった。だから新鮮なうちに食べた。精力が回復するやもしれんかったしな」


 西空は吐き気を覚えたのか、口元を手で覆った。


「因みに五十嵐には5匹目辺りで気付かれた。だが、軽く脅しただけで協力してくれたよ。隠し部屋が檻で埋まりかけたから、ちょうど運び出す人手が欲しかったところだったしな。というか、あ奴も途中から戯れに加わったぞ。まあ、この話はどうでもいい。それでだが……」

「も、もう十分です。それ以上は聞きたくありません」


 西空が気分悪そうにうな垂れながら言った。だが、凶行を語る快楽を知った正宗はそれを許さない。


「何を言う。むしろ本番はこれからだ。聞いて貰うぞ。でなきゃ財産の隠し場所は教えん」


 正宗は最後まで包み隠さず全て話さなければ気が済まなくなっていた。


 ***


 それでだ。ある日、贔屓していたペットショップで次に戯れる犬の物色中に、店長がワタシに尋ねてきた。『今までのワンちゃんたちは元気にしてますか。今度愛犬動画コンテストがあるので、応募してみませんか?』とな。

 ワタシは焦った。何故なら店長の顔には接客用の笑顔が貼り付けられていたが、目の奥には懐疑的な光があった。

 きっと、長年ペットを扱う者としての直感が働いたのだろうな。通報されてはかなわんから、ペットショップにはもう行かんことにした。


 それから数か月、犬と戯れることができず、ワタシには禁断症状にも似たものが現れた。ジョナサンと戯れることも考えたが、奴は雌だ。ワタシを満足させることはできん。

 禁断症状は日に日に酷くなっていった。腹を括り、再びペットショップへと向かったが、何と犬を売ってくれなかった。贔屓していた店だけじゃなく、他のペットショップでもだ。ワタシはいつの間にかブラックリスト入りしていたらしい。

 禁断症状は酷くなる一方で、我慢も限界に達しようとした時だった。

 ある日、ワタシの目の前に一匹の大きなイヌが現れた。そのイヌは禁断症状で苦しんでいるワタシに優しい声を掛けてくれたのだ。

 一目惚れだった。どうしてもそのイヌと戯れたい。ワタシはそのイヌについて徹底的に調べた。


 どうやらそのイヌには身寄りが無く、普段から餌に困窮しているらしかった。だからそのイヌに餌をチラつかせ家に招き入れ、ジョナサンの散歩係という名目で餌を与えることにした。

 餌を与えていく内に、イヌはワタシを信頼し始めた。

 そして十分な信頼関係を構築してから、とびきりの餌を用意した。イヌは喜んで餌を食した。麻酔入りと知らずにな。

 ワタシは気持ち良さそうに眠るイヌをいつもの犬小屋へと運び、首輪を付けた。イヌにはノブと名付けた。


 そこからは本当に充実した毎日だった。ノブは本当に可愛くて可愛くてしょうがなかった。

 外に出たい外に出たいと駄々こねる姿は愛らしく、腹を空かせ涎を垂らす姿は滑稽だ。

 ストレスで毛を毟り始め、みすぼらしい姿になったのは腹を抱えて笑った。

 唯一の欠点として、ノブはイヌにしては珍しく自殺癖があった。

 対策に悩まされたが、手足を折ることで解決した。結果的に四つん這いの体勢なりおったから、よりイヌらしくなったわ。それ以降、ノブは完全に屈服した。


 何度も何度も何度も厳しく躾ける内にノブはワタシに懐き、言うことを聞いてくれるようになった。

 小屋の中で眠る様になったし、お手とおかわりも覚えた。

 勿論チンチンもな。やはり、躾というのは気長にやらんとな。短気で飽きっぽいワタシだが、ノブへの躾だけは根気よく行うことができた。

 五十嵐にも協力して貰い、数多の写真、動画を撮影した。趣味を共有するというのも中々に悪くない。そう言えば、幽霊になってから久しく見てないな。ワタシの寝室に隠してあるから、今度持ってきてくれぬか?


 ノブと戯れる毎日は本当に楽しかった。

 だが、楽しい時間も終わりが来るものだ。

 そもそも、イヌと戯れるのは2の次であり、ワタシの最大の目的は殺害、局部の切除、そして冷たい檻に閉じ込めること。

 だがノブは高い知性を持っている。そうやすやすとは行かぬだろう。下手を打てば返り討ちに遭うやもしれん。

 毒やガスで殺すのが一番楽だが、正直ワタシが直接この手で殺したい。そこで思いついた。ノブから知性を奪ってしまえばいい。

 ワタシは知り合いに頼み、強力な麻薬と催淫剤を入手した。そしてそれを毎日の餌に加え与えた。徐々に知性を失い、益々犬以上にイヌらしく――


「もういい止めろ!」


 西空の怒号が正宗の言葉をかき消した。西空の目は真っ赤に血走っており、鬼のような形相も相まって、地獄の悪鬼が召喚されたと錯覚してしまう程の恐ろしさだった。

 正宗は恐怖で体が竦んだが、自らが幽霊であることを思い出し、直ぐ冷静さを取り戻した。結局のところ、西空がどれだけ恐ろしかろうとも、彼は正宗に対し何一つ手出しすることはできないのだ。


「フム。まあこの辺にしておいてやろう。だがそもそもおかしくないかね? 発端は貴様がワタシに話を促したからではないか」

「うるせえよ。いいから暫く黙ってろ」

「フン。無礼な奴だ。気が変わった。貴様のような無礼者には財産の隠し場所は教えん」


 次の瞬間、西空が拳を振り上げ突進してきた。だが、振り抜かれた拳は正宗の顔を擦り抜けるだけだった。


「クソッ!」


 忌々しげに叫び、西空は壁に向けて憤りを発散する。

 信じ難いことに、トラックが壁に激突したかのような音を響かせ、拳が壁にめり込んだ。

 生きていた頃なら金玉が縮み上がっただろう。だが、幽霊である今は何も恐れる必要はない。


「分かったかね。貴様はワタシに対し、なあんにもできないのだ」


 嫌味たっぷりと、西空の肩に手を置いた。不思議なことに、正宗の方から西空に触れることはできた。西空には触れられている感覚はあるのだろうかと、ふと思った。


「だが、もう一つワタシの頼みを聞いてくれたら無礼を水に流し、財産の場所を教えてやっても良いぞ」


 西空は無言だった。正宗はそれを肯定と受け取った。


「3回まわってワンと鳴け」

「こん……のクズゴミカス!」


 西空が振り返り、再び正宗に突進する。正宗は微動だにしない。何もせずとも、涼しい顔をして攻撃をやり過ごすことができる……筈だった。

 気付くと、視界が半透明のビニールで被われていた。西空の嘲る顔がビニール越しに見える。


「……何だこれは」

「燃えないゴミのゴミ袋です。今中に入れたのは、燃えないというよりも、燃やせないゴミですが」


 確かにビニールには市指定ゴミ袋、燃えないゴミと書かれていた。

 正宗は虫取り網で捉えられた虫のように、ゴミ袋で全身に被せられていた。だが、自分は虫じゃなく人間だ。ゴミ袋を破くことなど容易い。

 正宗はゴミ袋を引き千切ろうとした。だが、驚くことにビニール袋はまるで鋼鉄のような硬さだった。両手で叩いてもビクともしない。


「な、何だこれは!」

「無駄ですよ。幽霊は現実に物理的影響を一切及ぼすことはできない」


 納得した。普通に考えたら当たり前のことだ。

 実体を持たない己がゴミ袋を破くことなど不可能に決まってる。

 だが、実体が無いのなら擦り抜けてしまえばいい。


「どうか"出ないで下さい"」

「フン。誰が聞くかそんなこと」


 正宗はゴミ袋の外に居る自分をイメージし、脱出を試みる。

 しかし、いつまで経っても脱出できる気配が無かった。

 先程西空の拳は自身を擦り抜けた。同じ理屈でゴミ袋を擦り抜けることもできるはずなのに、何故。


「無駄です。拒んだので、誰かが許可しない限りここから出ることはできません」

「どういう意味だ」

「聞いたことが有りませんか。幽霊は招かれなければ家に入ることができません。逆に、拒まれたら家から出ることができないんですよ。正宗さんも身を持って体験しているはずですよ。オレが来るまで、書斎から出ることができなかったじゃないですか」

「だ、だがこれは家じゃなくただのゴミ袋だぞ」

「家は例え話です。幽霊は許可なしに境界を跨ぐことはできません。このゴミ袋のように、薄皮一枚の壁ですら、突破できないんです」


 西空がゴミ袋の口を固く結び、ぶっきらぼうに放り投げた。風船のように膨らませたゴミ袋は床をコロコロと転がり、正宗の視界がクルクル回る。

 幽霊になっても三半規管というものは存在するのか、正宗は目を回し気分が悪くなった。


「わ、悪かった。財産の場所を教えるから、此処から出してくれんか」

「興味ありません。そっちの財産はどうでもよかったんです」


 西空はそう告げてから、大型冷蔵庫の元へ向かい扉を開け、ノブの遺体を運び出す。


「オイ貴様何をしている。止めろ!」


 西空は正宗を無視し、次々と遺体を冷蔵庫の中から運び出した。


「止めろ止めろ! 止めてくれ。人の物を勝手に! 貴様頭おかしいんじゃないか」


 カズが、ジョンが、ジョシュアが、次々とワタシの大切なペットが運び出されていく。

 そして、大事な宝は全て奪われ、空っぽになった冷たい檻だけが残された。


「な、何て非道な。この悪魔! 人でなし! フギャッ」


 西空は軽く正宗入りのゴミ袋を蹴り飛ばした。

 列車に全身丸ごと轢かれたかのような衝撃。

 痛みは一切無かったが、苦しいことに変わりはなかった。


「おい。片岡勝は何処にやった」

「まさる? ああ、マーシーのことか。奴は此処に居ない」

「嘘を吐くんじゃねえよ」


 西空がゴミ袋を両手で持ち上げ、左右上下に激しくシェイクする。

 今まで経験したことのないような感覚、強いて例えるなら、ミキサーで全身を砕かれかき回されているかのような感覚が襲った。

 だがそれでも痛みはない。代わりに強烈な吐き気が襲い掛かってくる。


「嘘じゃない! 戯れる前に、ワタシは轢き屋に殺されたのだぞ。だから、マーシーは上手いこと逃げ出して、今もどこかで生きているはずだ」


 シェイクが止まった。


「……本当か?」

「ほ、本当だ。だから、此処から出してくれんか」

「それはできない。あんたには罰を受けてもらう」

「罰? 貴様は何を――」


 言い終わる前に、世界が闇夜に包まれた。


「な、何だ。何故夜になった!」

「夜じゃありません。ゴミ袋ごと冷蔵庫の中に居れました」


 西空の声が壁越しに聞こえる。


「そして、これからこの冷蔵庫を誰にも見つからない場所に捨てます。いや、埋めます」

「な、何だと。出せ! ここから出せ!」

「嫌です。"さようなら"」


 西空に拒まれ、闇が一層強固なものへと変貌した気がした。

 外に向けて喚くが、声は空しく虚空へと消えるばかりだ。

 今まで聞こえていた西空の声も一切聞こえなくなっていた。

 只あるのは果てしない闇だけ。

 ここには何もなく、臭いも、空気の存在すら感じない。苦しみはないし、痛みもない。


「これが罰……なのか?」


 肩透かしだった。血の池や針山に飛ばされ地獄の苦しみを与えられると想像したが、そうじゃなかった。この程度なら、先程西空にシェイクされたときの方がよっぽど地獄だった。

 だが暫くして、その考えを改めざるを得なくなる。

 暗闇の中でやることが無いのなら、寝てしまえばいいと思った。

 幽霊で居られる時間にもきっと限りがある。だから、成仏できるまで寝ていればいい。そう考え、瞼を閉じた。


 だが、いつまで経っても眠る事ができなかった。瞼を閉じていても眠気は一向に訪れない。

 そもそも、瞼を閉じても開いても目の前は変わらぬ闇だ。闇。闇。闇。果てしない闇。次第に、自分が目を開いているのかどうかさえ分からなくなった。


 正宗は力一杯叫んだ。だが声は響くことすらなく、虚空へと消えた。

 一体いつまでこの闇の中で過ごさなければならないのだろう。まさか、永遠に……

 湧き出た恐ろしい考えを振り払い、なるべく何も考えないように努めた。だが、そんなことは不可能だった。自らの意識がここに存在する限り、考えないなんてことは不可能だ。

 正宗の中の恐怖が次第に強くなっていく。恐怖は強さを増していくばかりで、減退することが一切ない。気が狂ってしまいそうだ。

 だが、狂うことすら許されなかった。そもそも、幽霊が正気を失うことなぞあるのだろうか。

 成仏できるまでの辛抱だ。この苦しみもいずれ終わる。そう希望を持とうと思ったが、果ての無い闇は、その希望を容易く打ち砕く。

 そもそも、成仏とはどうやったらできるのだろうか。

 このまま一生成仏できないのではないか。

 この苦しみは永遠に続くのでは。


 正宗は再び叫んだ。もう何度叫んだのかももう分からない。

 闇の中に放り込まれてから、一体どれだけの時間が流れているのだろう。

 気が遠くなるような時間が流れている気もする。

 いっそ気が遠くなってしまいたい。

 だが、いつまで経っても自らの意識は闇に反して明瞭なまま。

 頭がおかしくなりそうだ。だがおかしくなることはない。脳を持たぬ幽霊に、脳の変質など起こり得ないのだ。


 西空は罰を受けてもらうと言った。

 ならば、ここは檻だ。

 犯罪者を収監しておくための檻。

 罰が執行される時が来れば、そのときワタシは自由になれる。


 ……だが罰はいつまでたっても執行されない。

 待てども待てども閻魔様は姿を現さない。

 何も見えない、何もできない、誰も居ない、誰も来ない、この冷たい檻の中に収監され続けている……

 そして気付いた。自分は正気のまま、この中で永遠を過ごさなければならないのだ。罰を受けられないこと自体が、罰なのだ。

 眠ることも狂うことも許されない、誰の体温も感じることのできない檻の中で、永遠に独りぼっち……


 正宗は息を止め自害を試みた。だが死ねない。幽霊だから。

 激しい絶望感で満たされ、気が狂ってしまいそうだ。いっそのこと狂ってしまいたい。だが狂えない。未だに自分は正気のまま。


 思考は堂々巡りを続け、巡れば巡るほど苦しみは増大する。

 これが永遠に続くのであれば、苦しみは無限に増えていく。

 無限の前では、どんな足掻きも無力だ。どんなに大きな値でも、無限で割ればゼロになる。

 いっそ足掻くのを止めれば楽になれるのに。自らの存在をドロドロに溶かしてしまいたい。

 だが、自らの正気がそれを許してくれない。此処から出たいと望んでしまう。意識はいつまでも明瞭なまま。


 ワタシは眠ることも、まどろむことすら許されず、何も無く何もできないことを思い知らされ続ける。

 永遠に。永遠に。永遠に。永遠に。

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