4.6 東海心矢
「そ、それにしても、本当に"居"るんですかね」
南地は書斎の隅に詰まれた本やファイリングされた書類を一つ一つ調べながら呟いた。
「その話はすんなってさっき言っただろ」
「す、済んません。でも、どうも気になって」
東海も正直南地と同じ気持ちだった。視線も気配も感じない。この場にいるのは、東海と南地の2人だけだ。
西空は書斎に正宗が居ると断言した。自分達の行いを今も部屋の隅からじっと見つめているのではないか、もしかしたら背後に立っているのではないか。そんな妄想にも近い恐怖が東海の手を鈍らせていた。しかし、それは最初だけだった。
調査を始めてから十数分が経過。依然として視線や気配を微塵も感じない。勿論、心霊現象の類など一切起きていない。もしかして、何処かへ出かけているのではないか。そもそも、正宗の幽霊など初めから存在してないのではないか。西空の嘘なのではないか。そう思えすらした。
「何か小難しい本ばっかりですね。株とか投資とか、ウチにはよく分かんないです」
いつの間にか、南地から怯えが消えていた。先程までとは打って変わって、手早く本、書類の内容を確認している。
「ま、こーゆー金持ちじゃなきゃ縁の無い話だろうな」
東海は書斎中央の机やその引出の中にある物一つ一つに手を触れ能力を発動し、物の履歴を読み取っていく。今の所、特段変わったものは見つかってない。
「そう言えば、正宗さんって何してる人でしたっけ」
南地が調査の手を止めて聞いてきた。東海も一旦能力行使を中断し、南地の質問に答える。
「画家だ。その界隈ではそこそこ有名らしいな」
「画家? でも絵に関するものが全然見当たらないですよ」
「投資家でもあるらしいからな。何でもバブルの時、自分の描いた絵がアホみたいに高値で売れたらしい。それを元手に、堅実な資産運用をして、今に至るそうだ」
「へえー、さすが先輩。詳しいですね」
「つーか北ちゃんが言ってただろ。忘れたのか?」
「も、もちろん覚えてましたよ。東先輩が忘れてないか試しただけっス」
「嘘吐くんじゃねえ。つーかおまえ何時から人のこと試すほど偉くなった」
「すんません。偉そうにしてホンとすんません」
「そういうのいーから。調査を続けろ」
すんませんと、もう一言呟やいてから南地は調査を再開した。東海も能力行使を再開する。
しかし、正宗の話題を平然と出すとは、少し前まで怯えていたのが嘘のようだ。勿論、西空の言葉を忘れた訳ではないし、きっと南地もそうだろう。だが、先程の会話は、今この場に居ない奴の噂話をしている感じだった。
直ぐ傍で本人が聞き聞いているのかもしれないのに。そのことを忘れたわけでもないのに。
……成程。確かに西空の言うとおりだ。
見えない人にとっては居ないも同然。
「ところで何か見つかったか? 怪しいのが有れば読み取るが」
「すんません特に何も。東先輩の方は?」
「こっちもさっぱりだ。五十嵐の名前がさっぱり出てこない」
「そう言えば、そっちの本棚は調べたんですか? 何か、機械仕掛けの本棚みたいですけど」
南地は部屋の奥の本棚を指差しながら言った。
「いや、そっちはまだ調べてねえよ。後回しにしてた」
「って言うか、どうやってその本棚使うんですか? 一番左側以外、本を取り出せなさそうなんですけど」
本棚は縦に6つ並列に並んでおり、一番左側のみ人が入るスペースが確保されていた。このままだと一番左の本棚以外、本を取り出すことはできない。
「ああ、こういう本棚見るのは初めてか。これはハンドル式移動棚って言ってな、こうすんだよ」
東海は一番左の本棚側面に取り付けられたL字のハンドルを数回回す。すると、ハンドルを回した数だけ本棚がゆっくりと左にスライドした。
「動いた! なるほど、そうやって使うんですか。ウチにもちょっとやらせて欲しいです」
「あのな、僕達は遊びに来たわけでも見学に来たわけでもないんだぞ」
「すんません。つい浮かれちゃいましたすんません」
東海は南地の平謝りを聞きながら、ふと思いついた。本棚にある本を一つ一つを調べるより、まずはこの本棚が何時動かされたのか調べた方が効率的かもしれない。東海は能力を発動し、履歴を確認する。
9月21日 和水正宗 本棚を動かす。
9月22日 和水正宗 本棚を動かす。
9月23日 和水正宗 本棚を動かす。
9月24日 和水正宗 本棚を動かす。
9月25日 和水正宗 本棚を動かす。
9月26日 和水正宗 本棚を動かす。
9月27日 和水正宗 本棚を動かす。
9月28日 和水正宗 本棚を動かす。
「……何だこれは」
本棚を動かすこと自体は不思議じゃない。だが、それが毎日となると話は別だ。移動棚は、余り読む機会の無い本を保管しておくためのもので、頻繁に動かすのは変だ。
違和感を覚え、東海は古い履歴も含めて注意深く確認していく。すると、本棚を動かす日に多少の法則性があることに気付いた。
まず、ほぼ毎日動かし始めるようになったのは今から3年前の2月20日からだ。そして約一か月後の3月22日以降、本棚を動かさなくなる。だが、約2か月後の5月30日から、和水正宗は再び毎日本棚を動かしている。そしてこれまた約一ヶ月後の6月29日以降本棚を動かすことを止めている。この繰り返しが、一昨年の8月頃まで繰り返されている。
8月以降は暫く本棚が動かされなくなるのだが、約4カ月半後の12月24日から再び動かされるようになる。そして、この日から本棚を動かす法則が変わる。
本棚は12月24日から毎日動かされ、約3ヶ月後の4月1日に停止。次に毎日動かされ始めるのは5月4日から。そして約4か月後の9月1日に再び停止し、9月21日になると再び毎日動かされ始める。
そして、3月10日を境に、和水正宗が本棚を動かすことはなくなる。丁度この頃に正宗が死亡したからだ。
だが、代わりに別の人間が本棚を動かしていた。
3月8日 和水正宗 本棚を動かす。
3月9日 和水正宗 本棚を動かす。
3月10日 和水正宗 本棚を動かす。
3月15日 五十嵐堅三郎 本棚を動かす。
3月23日 高橋大樹 本棚を動かす。
突如浮かび上がった2人。しかも、高橋大樹は殺された日に本棚を動かしている。この事実を見て、ただの偶然だと思うような奴は探偵失格だ。東海は残り5つの本棚も調べ、同じ日に動かされていることを確認した。
「南。ちょっと本棚の間から出てくれ」
「え、でもまだこの棚を調べ終わってないですけど」
「いーから」
南地が出た後、東海は左から2番目の本棚のハンドルを回し、棚を左へ寄せる。3番目4番目も同じように動かしていき、最終的には右に寄せられていた本棚が全て左に寄せられ、右端に人が通るのに十分な広さのスペースが生まれた。東海はそのスペースに入り、棚の本を一つ一つ手に取り調べていく。すると、東海の予想と異なる、これまた不可解な事実が判明した。
右端の本棚に収められている本は全て、ここ数年一度たりとも読まれていなかった。本自体も特におかしなものは無く、その殆ど全てが何年も前に発行された雑誌・新書など、再読しようと思わない類いのものばかりだった。
念のため、南地と手分けして本の中を確認したが、全て、何の変哲もない本だ。内がくり貫かれ何かが隠されている形跡もない。じゃあなぜ、正宗は毎日本棚を動かしていたのだ? てっきり、機密文書だとか麻薬だとか、そういった違法的なものが隠されているのではないかと思ったのだが。
東海は頭を掻きながら、壁に凭れかかった。すると、壁はギギギと悲鳴を上げ抗議した。
「うおっ。何だ?」
驚き、東海は振り返る。壁が僅か外側にズレ、不自然な隙間が生じていた。東海は壁に手を触れ、能力を発動する。
3月8日 和水正宗 扉を開ける。
3月9日 和水正宗 扉を開ける。
3月10日 和水正宗 扉を開ける。
3月15日 五十嵐健三郎 扉を開ける。
3月23日 高橋大樹 扉を開ける。
それを確認するや否や、東海は壁を力強く押した。壁は最初だけギギギと音を立てて抗議したが、やがて諦めその口を大きく開いた。
「隠し部屋だ……」
東海は中を覗きつつ、少し興奮気味に呟いた。そして直ぐさま南地と共に北山の元へと報告に向かった。