4.5 北山来々留
「ど、毒って、どうして……三郎は、大丈夫なの?」
「応急処置はしました。後は救急車の到着を待ちましょう」
「で、でもどうして。わたしは何もしてないわよ」
「まずは落ち着いて下さい」
「本当に知らないの! 信じて!」
先程から二葉は酷く錯乱していた。北山は三郎の介抱を南地に任せ、二葉を落ち着かせようと宥めていた。
「大丈夫です。二葉さんが毒に関わってないことは分かってます。だから、まずは深呼吸をして落ち着きましょう」
北山が言った通り、二葉は数回深呼吸をした。深呼吸をする毎に彼女の肩の震えが治まっていく。
「……もう大丈夫よ。落ち着いたわ。みっともない所を見せてしまって御免なさい」
声はまだ震えていたが、二葉は会話できる程度までは冷静さを取り戻した。
「いいえ、あんなことがあったのですから無理ありません。こちらこそ、急に毒がと騒ぎ立ててしまい大変失礼しました」
「あんた達は何も悪くないわ。寧ろ命の恩人よ。あのまま紅茶を飲んでいたらどうなっていたことか……」
「その紅茶についてなんですが、誰が――」
「わたしは違うわ!」
言い終わる前に、二葉が叫んだ。
「分かってます。あなたと、勿論三郎さんでもありません。他に誰か心当たりはありませんか?」
二葉は首を横に振った。
「正直、分からないわ。家はまだ使用人を何人か雇っているから、その内の誰かって可能性はあると思うけど……」
二葉はそこまで言って、大きく体を震わせた。身近にいる者が自分達のことを殺そうとした事実に気付いたからだ。
「とりあえず、この家にあるものには触れない方がいいですね。他にも毒が仕込まれている可能性があります」
「ええ。勿論そうするわ」
「北ちゃん。毒を入れた真犯人が分かったよ。五十嵐って奴だ」
東海が奥のキッチンからひょっこりと顔を出した。
「五十嵐? あの五十嵐が!」
二葉は立ち上がり、東海に詰め寄る。
「あ、ああ。五十嵐堅三郎って奴だ。ポットの中にたばこが一本入ってた」
東海は詰め寄る二葉に多少たじろぎながら言った。
「成程。五十嵐は湯沸かし器でニコチンを煮出していて、そうとは知らず三郎さんが使ってしまった」
「それで東先輩の能力では紅茶に毒を入れたのは三郎さんだって出ちゃったんですね」
「まあ、そうだな。紅茶を淹れたのは三郎さんだった訳だから。悪りいことしたな……」
東海が気まずそうに頭を掻いた。
「あの五十嵐が。そんな。どうして。でも、確かに今日は五十嵐しか居ないから……」
二葉は両手で顔を覆い、その場に膝を落とした。
「ねえ、その話は確かなの。そもそも、どうして犯人は五十嵐だって――」
「待ちやがれ!」
突如、廊下から二葉の言葉をかき消すほど大きな怒声が響いた。
次の瞬間、男が一人飛び込んできた。意外も意外、今しがた話題に上がっていた五十嵐堅三郎ご本人だった。
予想外の乱入者にその場にいた全員が唖然としてしまい、北山が人質として捕らわれるのを誰一人阻むことを、北山自身逃げることもできなかった。
「待てっつってんだよこのクズゴミカス!」
五十嵐に続いて、鬼のような形相をした男が飛び込んできた。西空だ。彼には幽霊化した可能性のある正宗との対話を任せていたはずだが、どうして五十嵐と追い駆けっこをしているのだろう。
「それ以上近寄るな!」
首に左腕が回され強く締め上げられ、グェとガチョウの鳴き声のような声が漏れた。
「離れろ! さもなきゃ女を殺します!」
五十嵐は懐からカッターを取り出し、その刃先が首元に向けられる。最近よく男に捕まるなあ、モテ期か? と、何処か他人事のように思った。
「北ちゃん!」
東海が泣いてるような情けない声を上げ、南地は三郎と五十嵐を見比べオロオロするばかり。二葉は何が起こっているのか把握できていないのか、呆然としていた。
だが、西空だけは違った。彼は動じる様子を一切見せず、切り裂くような鋭い目つきを五十嵐に浴びせつつ、ジリジリとにじり寄る。
「は、離れろっていってるでしょう! 女がどうなってもいいのか!」
五十嵐は裏返った声で叫びながら、カッターの刃を北山の首元から離し、その切っ先を西空の方に向けた。次の瞬間、西空は距離を詰めた。一切の躊躇なく、一瞬で一気に一直線に距離を詰めた。それはまるで短い距離を瞬間移動したかのよう。
「ギぇア!」
ヒュンッ! と、風を切る音が聞こえたかとおもうと、五十嵐は何とも形容しがたい醜い悲鳴を上げた。五十嵐の手首があらぬ方向に曲がっていた。首に回された腕の力が緩み、その隙を付いて北山は脱出し、西空の後ろに避難する。
「ち、畜生この!」
五十嵐はヤケクソ気味に左拳で殴り掛かる。だが西空はその拳を、子供が投げたキャッチボールを受け取るかのように、いとも容易く右手の平で受け止めた。そして、西空はそのまま五十嵐の左手を握りつぶす。
「痛い痛い痛い痛い! 離せ離せ離して!」
五十嵐が年甲斐なく泣きわめくと、西空は言われたとおりパッと右手を放し、五十嵐は腰を引いた勢いで後ろにひっくり返ってしまう。直ぐ起き上がろうとするが、西空に胸を蹴られ、再び仰向けに倒れた。好機と言わんばかりに、西空は右足を高く振り上げ、五十嵐の顔面目掛けて踵を振り下した。
とても綺麗で鋭利な踵落としだった。
「西空君待って!」
北山の静止虚しく、グチャリと骨の砕ける音。五十嵐の頭蓋が陥没し、辺りに脳漿が飛び散り、周囲を赤く染める……と予測していたが、実際にはそうならなかった。
振り下ろされた踵は、五十嵐の顔面寸前で、動画を一時停止したかのように、ピタリと宙で静止していた。西空は五十嵐の顔から足を退ける。踵が少し擦れたのか、五十嵐の鼻頭が薄っすらと赤くなっていた。そして情けないことに、五十嵐は鼻血と泡を吹いて気絶していた。
「チッ……掠っちまったか。少し鈍ったな」
不満気に呟きながら、西空は右足を地に付けた。
「に、西空君! すごい。すごいよ。大学で窓から飛び出たときもだけど、君って一体何者なの? 孤高の格闘家? 政府のスーパーエージェント? マフィアの凄腕暗殺者? それともそれとも!」
北山が目を輝かせながら西空に迫り質問を浴びせる。
「ちょ! ち、近付くんじゃねえ恐いです」
おまえの方が遥かに怖いよ。北山を除く、その場にいた全員がそう思った。
「警察に通報するのは少し待ってくれないかしら?」
気絶した五十嵐を見ながら、二葉が神妙に言った。
「はい? 一体何言って――」
「構いませんよ。ですが何故でしょう。理由を聞かせて貰っても宜しいですか?」
西空の言葉を遮りつつ北山はそう訊ねた。
「余り大事にしたくないのよ。その、五十嵐が毒を仕込んでいたっていうのがまだ信じられなくて。彼には今まで色々世話になってきたから……」
「成程。そうしますと、五十嵐さんの処遇はどうするのでしょうか」
「取り敢えず、2階に使ってない物置があるから、そこにに閉じ込めておいて、目を覚ましたらどうしてこんなことをしたのか話して貰おうかと」
「監禁は犯罪ですよ。私達にその共犯になれと仰るのでしょうか?」
「いえ! 監禁だなんてそこまでのことをするつもりは」
「二葉さん。ジョナサンの負担付遺贈を受ける可能性を少しでも高めて置きたいから警察沙汰にしたくない、というお気持ちはよく分かります」
「あ、あんた。何故それを」
「飼い主の周囲で警察沙汰が起きたら、ジョナサンの飼い主として不適切と判断されかねませんからね。ましてやジョナサンが行方不明になったにも関わらず、しばらく放置していたなんて知られたら、飼い主としての義務を果たしていないとほぼ間違いなく判断されるでしょう。だからジョナサンの行方不明を誰にも悟られないよう努力してきたのでしょう。ですがご安心ください。私達はこの件をみだりに言いふらすような真似は決して致しません。それにもし望まれるのであれば、何故五十嵐さんがこのような凶行に至ったのか突きとめて見せましょう。ですから……」
北山は言葉を止め、一つ咳払いをしてから優しく、だが有無を言わせぬ迫力を帯びた声色で告げる。
「ですから、私達に和水正宗と五十嵐健三郎の部屋を調査する許可を頂けませんか?」
数秒後、二葉は無言で、ゆっくりと首を縦に振った。
***
五十嵐は二葉の提案どおり外からのみ鍵を掛けることのできる物置に閉じ込めておくことになった。念のため、五十嵐は縄で拘束した。念には念を重ね、入念にボディーチェックも行った。これで五十嵐は自分一人で物置から脱出することはできない。完全に監禁だが、この場にそれを咎める者は誰一人居ない。
そして、五十嵐が目覚めるまでの間、まずは正宗の書斎を調べることになった。
「西空君は書斎から出たところで五十嵐と正面から鉢合わせになった。つまり、五十嵐はこの書斎に向かっていたと考えて間違い。書斎に来た理由は何か、まずはそれを明らかにしましょう」
北山がそう言って書斎へと向かい、東海と南地もそれに続く。
「済みません。オレには調べることはできません」
だが、西空は拒否した。北山が振り返り理由を尋ねると、西空は申し訳なさそうに目を伏せながら答えた。
「書斎にはまだ正宗さんがいます。オレには無理です」
南地が顔を引き攣らせた。東海もゾクリと背筋に冷や水が走るような感覚がした。
「成程。部屋主に見られていることが分かる西空君は確かに調査し辛いでしょうね……」
そして少しの間を置いてから、北山が冷徹な命令を下す。
「そういうことなら2手に別れましょう。東君と南ちゃんは変わらず書斎の調査をお願い」
「へっ?」「えっ?」
東海と南地の口から短い声が漏れた。
「私は西空君と一緒に2階を調べてくる」
「ちょ、ちょっと北ちゃん?」
「重要そうなものを見つけたら直ぐに連絡。いいね」
そう言うと北山は身を翻し、西空と共に2階へ向かった。
「待て待て待て待て待って!」
東海は慌てて2人を引き留める。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもねえだろ」
「そ、その、書斎に"居る"ってことっスよね……」
南地は声を震わせていた。そういう類いの話が苦手なのだから無理もない。
「ああ、そう怖がんなくても大丈夫です。別に何も起きませんし、見えない人にとっては居ないも同然です。心霊現象とか祟りとか、そういうのは一切起きないので、安心して調べてください」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
「遠慮も不要です。もう死んでいるんですから。それに、どうせすぐに何とも思わなくなります」
「で、でもウチは……」
「じゃあ、2人で書斎の調査をしっかりとお願いね。これは所長命令」
有無を言わせず、北山は足早に2階への階段を駆け上がった。東海と南地は縋る様な視線を西空に送る。だが、それは逆効果でしかなかった。
「そ、そんな目でこっち見ないで下さい。怖いです」
西空は逃げるように2階へと上がって行き、東海と南地はその場に取り残される。
……怖いのはこれから幽霊が居るらしい部屋を調べるこっちの方なのだが。
2人は同時に同じことを考え、顔を合わせ、同時に溜息を吐いてから書斎へと向かった。




