4.4 西空零司
「わあああああああ!」
西空が轢かれる様を見て、高橋の死がフラッシュバックし、工藤は絶叫した。
何故だ! 何故こんなことが立て続けに起こるんだ!
俺が何をした。彼が何をした。一体どうしてこんなことが……
「……うるっせえなあ。耳元で叫ばないで下さい」
低く不機嫌な声が工藤の耳に届いた。顔を上げると、ついさっきまで倒れ伏していた人物が何事も無かったかのように立ち上がっていた。
「お、お前! 生きてたのか!」
「え? あ、ちょ、ちょちょちょいちょい、近寄んな怖いから」
西空は慌てて後ずさり、工藤と一定の距離を保つ。
「でもお前。俺を庇って轢かれたんだろ。そうだ救急車!」
「呼ばなくて結構です。救急車なんて死んでも乗りたくない」
「いやでもお前!」
「受け身を取ったんで大丈夫です」
「いや受け身とかそんなレベルじゃなかったぞ」
「まあ思ったより衝撃が強くて少しトんじゃいましたが、大丈夫です。鍛え方が違いますから」
「いや絶対大丈夫じゃねえよ」
「俺の体は人より丈夫にできてるんで大丈夫です。それよりも工藤さん。轢き逃げ野郎は何処に行きました?」
そう言われ、工藤は辺りを見回す。犯人はいつの間にか車ごと姿を消していた。
「い、いや。分かんねえ。あの糞野郎。何処に消えやがった」
「……その様子だと、追いかけても無駄そうですね」
西空は悔しそうに一つ舌打ちをした。顔に似合わず、中々迫力のある舌打ちだった。
「でもまあ、犯人の顔はしっかりと見たから問題無いか」
「は、犯人の顔を見たのか。あの状況で?」
「はい。バッチリと見ました。工藤さんは見なかったのですか?」
「い、いや……」
「そうですか」
しばしの沈黙。
「……それで、犯人は誰なんだ?」
「五十嵐健三郎です」
***
「フム。成程な。それで貴様は我が家の執事、五十嵐が轢き屋ではないかと疑っておるのか。雇い主であるワタシに何か知らないかと」
「轢き屋であるかどうかはまだ分かりませんが、少なくとも工藤さんのことを殺そうとしています。放っては置けません」
「成程。事情は分かった」
正宗が伏せていた顔を上げ、睨むような目つきで西空と目を合わせる。
「だが、これは警察の仕事ではないか? 学生風情が関わっていいことでは無かろう。未来ある若者はもっと建設的なことに時間を費やすべきだとワタシは考えるがね」
「いいえ、正宗さんから話を聞き出すのはオレにしかできないことです。警察には無理です」
「ほほう。随分な自信家だな。だが、ワタシは貴様が高度な尋問術を会得しているとはとても思えんぞ」
「尋問の必要はありません。正宗さんは話したくてしょうがない筈ですから」
「どういう意味かね?」
「まだお気づきじゃないんですか? それとも、気付いているのに気付かないフリをしているんですか? 今の話を聞いて怒りが湧きあがって来ないですか? 正宗さん。あんたも当事者の一人なんですよ」
「要領を得んな。何を言いたいのか分からぬぞ」
「では単刀直入に事実を言います。正宗さん。あんたはもう死んでいるんです」
西空は壁に掛けられている日捲りカレンダーを一枚破き、簡素な紙飛行機を作る。そして、それを正宗に向けて飛ばした。紙飛行機は真っ直ぐに飛び、正宗の体をすり抜け、そのまま壁に衝突し墜落した。
「……つまり。ワタシは轢き屋に、五十嵐に殺されたのではないか。そう言いたいのかね」
西空は正宗と目を合わせながら頷いた。
「良いだろう。何でも聞くがいい。何でも答えてやる。とりあえず座ったらどうだね」
……余り動揺しないんだな。
西空は内心驚いていた。
自分の死を知っても平然としている幽霊には何人か会ったことがある。そして、その幽霊達には共通点があった。それは、死因が自殺であること。本気で死を望んでいた者は自分の死を知った時、寧ろ顔を綻ばせたぐらいだ。
しかし、正宗の場合は他殺だ。通常、自らの死を知った幽霊は自殺者という例外を除いて大なり小なり動揺するものだが、正宗からはそれを感じない。かといって、自殺者のように顔を綻ばせたりもしない。だとすると、予想通り秘密を抱えているのかもしれない……
「では、まずは五十嵐について教えて下さい」
ひとまず疑問を脇に置き、西空は部屋の隅に置いてあった椅子を正宗の正面に運び着席した。
「五十嵐は20年近くここで働いて貰っている。つまらない男だが仕事はできる奴でな。信頼していたよ」
「車の運転は上手かったですか?」
「特段意識したことはないな。外出するときはいつも五十嵐に運転を任せたが、普通だったと思うぞ。そもそも貴様は奴が轢き屋でないかと疑ってるようだがな、ワタシは五十嵐が人を殺せるような奴だとは思えん。あやつは臆病者だ」
「と言いますと?」
「執事としての佇まいは一流だが、あやつの本質は虫も殺せぬような臆病者だ。人を殺せるような胆力なぞ持ち合わせておらん。だから貴様の見間違いではないかと思っておる」
「いいえ。オレは確かに殺されかけました」
「見たのは一瞬なのだろう? 断言できるのか?」
「断言できます。目には自信がありますから」
「……フン。まあいいだろう。五十嵐の部屋が2階にある」
「2階のどのあたりですか?」
「階段を上がって左だ。行けば分かる。必要なら他の部屋も好きに調べるといい。家主であるワタシが許可する」
「分かりました。後で調べさせて頂きます」
「後で? まだ何かあるのか」
「はい。ちょっと気になったんですけど、正宗さんって、もしかして轢き屋のことを知ってましたか?」
「ほほう。何故そう思う」
「いえ、轢き屋という殺し屋の話をすんなりと受け入れたので。普通は冗談だと笑うか怒るところです」
「……フン。まあ、あのアバズレが話しているのを聞いたからだ」
「アバズレ?」
「妻の静歌のことだ。奴が電話でワタシを殺すよう轢き屋に依頼していたのを偶然聞いてな。最後まで馬鹿な女だったよ」
「静歌さんが殺しの依頼をしているのを知ってたってことですか。だったら何故警察に通報しなかったんですか」
「身内の恥を外に漏らせるわけなかろう。それにこの程度では警察は動かん。ただの悪戯か考え過ぎと言われるのが関の山だ」
「……その静歌さんについてですが、現在行方不明です。何か心当たりはありませんか」
「フン。知らんな。大方不倫相手の所に居るのではないか?」
「静歌さん不倫していたんですか?」
「大分前からな。相手は佐々木紀夫というしょうもない男だ」
「佐々木紀夫? まさかあの一発キめてる野郎ですか」
「ほほう。奴のことを知っておるのか」
「あ、いえ。そのちょっと前に直接会ったクズがそういう名前で。正直シャブをキめてるとしか思えない様子だったんで……」
「フム。貴様の見立ては正しいぞ。奴はどうしようもない薬中野郎だ。裏社会組織の末端中の末端。まあ、組織は奴を組織の一員とは思っとらんだろうがな」
「随分と詳しいですね……」
「そりゃあ探偵に依頼して調べて貰ったからな。仮にも妻が浮気しとるのだ。調べない訳が無かろう」
「まあ、そうですね。それで浮気について追及しなかったんですか」
「フン。お相手が余りにも下らな過ぎて話す気すら失せたわ」
「なるほど分かりました。それともう一つ」
「何だまだあるのか。いい加減疲れてきたからもう終わりにしてくれぬか」
「どうして高橋さんに全財産を遺贈しようとしたんですか?」
「……貴様そんなことまで知っておるのか」
「本人に聞いたので」
「フン。お喋りな奴め。もっと誠実な奴だと思っていたが」
「まあ、幽霊は体重と共に口も軽くなりますから、しょうがないですよ」
「幽霊? ということは、奴は、大樹は死んだのか!」
「はい。3月23日の夜中、何者かに轢き殺されました」
「ああ、何と、何ということだ……」
正宗は乙女のように両手で顔を覆う。
「それは、それは確かなのか? 大樹は、殺されたのか?」
「はい。間違いありません。オレが轢き屋を追いかけているもう一つの理由です」
「何と、何ということだ……あのような素晴らしい青年が、殺されてしまうとは。何と、何と残酷な。おぉ、おおおおおお」
そして正宗は見っとも無く顔をクシャクシャに歪め、ボロボロと涙を流し始めた。西空は正宗が泣き止むのを少し待ってから、再度同じ質問を浴びせる。
「それで、どうして全財産を遺贈しようと思ったんですか?」
「……あのアバズレにやる位なら、大樹に与えた方が遥かにマシだと考えたからだ。貴様は不倫するような妻にくれてやりたいと思うか? 思わぬだろう。だからそうした。だが、だがまさか、こんな結果になるとは。おぉ、おおおおお」
正宗は眼を真っ赤に腫らしながら再び咽び泣き始めた。
「じゃあオレはそろそろ失礼します。扉は閉めておきます。"さようなら"」
一方的にそう告げて、西空は扉を閉めた。
「……あ」
正宗の書斎から出た直後、突如目の前に現れた人間を見て、不意に間抜けな声が漏れた。どうやら目の前の人間は今まさに正宗の書斎に入ろうとしていたらしく、丁度部屋を出た西空と真正面から対面する形となった。
迂闊だった。西空は許可なく和水邸内に忍び込んでいる身であり、和水家の人間から見たら完全に不審者だ。だから細心の注意を払って行動すべきだったのだが、正宗が自由に調べてもいいと許可を出したため、西空からその意識が欠けてしまっていた。
幽霊からの許可など現世では何の意味も持たない。不法侵入で逮捕。手錠を掛けられ、署に連行される姿が思い浮かぶ。
だが、目の前に現れた人物が何者であるか認識すると、一瞬でその考えは吹き飛んだ。




