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4.3 北山来々留

「まさかあんた達みたいなのが本当にジョナサンを見つけてくれるなんてね。改めてお礼を言うわ。ありがとう」


 和水二葉が北山達に対し、軽く頭を下げた。


「探偵として当然のことをしたまでです」


 北山はにこやかな笑顔でそう言った。


「……正直に言うとね、ちょっと見くびっていたわ。でもしょうがないじゃない。あんた達まだ学生なんだから」

「いえいえ。仰る通り、私達はしがない学生ですから、そう思われるのも無理ありません」

「まあ、最近の学生は立派ね。それにひきかえ……ちょっとサブ! 紅茶はまだ用意できないの」


 二葉は部屋の隅に設置されているバーカウンターに向けて軽く怒鳴った。陰から三郎が顔を出し、返事をする。


「ご、ごめんよ姉さん。茶葉が中々見つからなくて」

「奥の棚は調べたの?」

「奥? ま、まだだけど……」

「多分茶葉はそっちの方よ。さっさと見つけなさいよ。お茶菓子も忘れずにね」

「う、うん。分かってるよ。で、でも、五十嵐さんが居ないんだからしょうがないだろ」

「口じゃなくて手を動かす!」


 三郎はカウンターの奥へと姿を消した。


「あの、執事の方はいらっしゃらないのですか?」

「ええ。ちょっと出かけてるみたい。そう言えば、あんた達の方こそ、西空君だったかしら。彼はどうしたの? 代わりに違う子がいるけど……」

「ああ。そう言えば彼の紹介がまだでしたね。彼は東海心矢。我が探偵事務所のエースです」

「どうも。東海心矢です」


 東海はそう言いながら軽く頭を下げた。


「それで、うちの西空ですが、ちょっと今病院にいまして……」

「病院? 何があったの」

「ちょっと轢逃げに遭ってしまって――」

「轢逃げ!」


 二葉が叫び、立ち上がる。目尻がヒクヒクと痙攣しており、本人は気付いてないのかもしれないが、テーブルに爪を立てており、付け爪が外れかかっていた。


「二葉さん。落ち着いて下さい。一体どうされました?」


 北山は穏やかな声で宥める。


「いえ、ごめんなさいなんでもない。それで、無事なの?」

「幸い命に別状は無いとのことでした。ただ、まだ昏睡状態から回復していません」

「そう……」


 二葉は小さく呟き、ソファーに腰を下ろした。


「あ、あの……お茶を、どうぞ」


 三郎は若干腰を退きつつ、紅茶の注がれたティーカップを配った。ティーカップから湯気が立ち上り、緊張を解すように独特な香りが辺りを漂った。三郎は配膳し終えると、配膳皿を脇に置き、二葉の隣に腰を下ろした。


「あら、今までに嗅いだことのない香りね。これは何の紅茶かしら?」

「え? 分からないよ」

「あんたねえ。紅茶出すなら普通茶の種類くらい確認するのが常識でしょう。ホンっとダメね」

「ご、ごめんよ。今見て来る――」

「ウヴァですね。産地はセイロン島東部」


 東海がティーカップの取っ手を掴みながら呟いた。


「あらあなた、男の癖に紅茶に詳しいの? 珍しいわね」

「え! いや、その、別にそういう訳じゃ……」

「この前お店で飲んだからだよね。もう、新しい知識をすぐ披露したがるんだから」

「そうですよ。東先輩は直ぐ調子に乗るんだから」

「おまえに言われたくねえよ」

「……仲良いのね」


 二葉が目を細め、穏やかな笑顔で呟いた。


「私達は同じ事務所に所属する運命共同体ですから」

「そう……素敵ね。ささ、冷めないうちに当家自慢のウヴァをどうぞ」


 一同はクスリと小さく笑い、穏やかな空気に包まれた。


「はい。では頂き……」

 東海はティーカップを口元へと運び、波打つ紅茶に目を落とした。そこには小さな文字でこう書かれていた。


 和水三郎 毒水で紅茶を淹れる


 東海の表情が突如険しくなり、胸元まで運んでいたティーカップをゆっくりと下ろした。東海の豹変に気付いた北山と南地も伸ばしていた手を引っ込めた。


「あら、遠慮しなくていいのよ」


 東海は依然表情が険しいままだ。


「ああ、こういうのってわたし達が先に口にしないと飲みづらいわよね。ではお先に……」


 二葉がティーカップを手に取り、上品な動作で口元へと運ぶ。


「飲むな!」


 だが東海がその手を乱暴に払った。ティーカップは二葉の手を離れ、紅茶を撒き散らし絨毯にシミを作る。


「熱ッ! ちょっといきなり何すんのよ!」

「おまえ茶に何入れやがった!」


 東海はテーブルから身を乗り出し、三郎の胸倉を掴み捻り上げた。


「え? え? え? 何? 何々?」


 三郎は突然の事態に対処できず、眼を回すばかりだ。


「おまえだろ毒を入れたのは!」

「いいい、一体なに言ってんのさ」

「とぼけてんじゃねえぞ!」

「ちょっと東君落ち着いて」

「け、ケンカは止めるっス!」


 北山と南地が間に割って入り、東海は手を離した。 


「ちょっと何! 一体何なのよ」

「その男が茶に毒を仕込んでやがった! 今読んだんだよ。和水三郎が紅茶に毒を入れてるってな」


 全員の視線が三郎に集まる。


「ど、毒? そんなもの入れてないよ!」


 三郎が怯えながら弁明する。


「嘘吐くんじゃねえ!」

「嘘じゃねえよ! っていうか君何なの? 訳分かんないよ!」

「訳分かんねえのはそっちの方だろ! いきなり毒で殺そうとするとかマジ何考えてんだ!」

「東君。お願いだから落ち着いて」

「先輩落ち着くっス!」

「こ、殺……そんなこと僕がするわけねえだろ! 妙な言いがかりは止めろよな!」

「ハッ! 警察が調べりゃあ直ぐに足は付くんだよ。みっともねえ悪あがきは止めてさっさと自白したらどうだ」

「け、警察! ああ呼んだらいいさ! でも捕まるのはそっちだからな! これは明らかに暴力行為だ!」

「いいやこれは正当防衛だ。そしてお前は殺人未遂だ!」

「さっきから勝手な事言いやがって!」

「止めろっつてんのよおおオオオオオ!」


 一際大きな絶叫と、バリンとガラスの割れる音が響いた。叫び主は二葉。何処から持ってきたのか、彼女の手にはゴルフクラブが握られている。


「訳わかんないわよ! 一体何なの! 何なのよ!」


 二葉は我武者羅にゴルフクラブを振り回す。クラブの先が食器棚のガラスに直撃し、バリンバリンと断末魔の叫びを上げながら形を失っていく。


「ホンと何なのよ! 正宗が死んで静歌は行方不明。遺産問題が一区切りしたと思ったら高橋君が殺された。兄も殺された。一体何なのよ! あたし達が何したっていうのよ! 佐々木って誰よ! 轢き屋って何! 何なのよ!」

「ね、姉さん落ち着いて……」

「ウルサイわよ! 近寄んないで!」


 二葉はゴルフクラブを横に一閃。クラブの先端が三郎の鼻を強く打ちつけた。メキリと鈍い音が鳴り、三郎は両手で鼻を押さえその場に蹲る。


「三郎さん! 大丈夫ですか?」

「危ねえから近づくんじゃねえ!」


 北山と南地が三郎の元へ近付こうとするが、東海が手を伸ばし遮った。


「出てってよ……」


 何度も怒鳴り続けたことにより、二葉の声は枯れ始めていた。


「出てって! 二度と家に来ないで!」


 擦れた声で、二葉は北山たちに向けて叫び付ける。


「サブ! あんたもよ! いつまで蹲ってんのよ! さっさと立ち上がりなさい! 大した傷じゃないでしょう!」


 怒りの矛先は三郎にも向けられた。だが三郎はその場に蹲ったままだ。二葉は余計に苛立ち、近づき脇腹を蹴りあげる。その勢いで三郎は仰向けにひっくり返った。


「立てっつって……」


 そこで二葉の息が止まった。


「三郎さん!」


 北山が東海の手を振り切り三郎に駆け寄る。明らかに様子がおかしかった。顔面蒼白で、手足が小刻みに震えている。


「南ちゃん! 救急車を呼んで」

「ら、ラジャ!」

「三郎さん! どうしたんですか? 聞こえてますか?」


 北山は頬をペチペチと叩きながら声を掛ける。


「あ、そ、の……」


 三郎が息絶え絶えに呟く。


「はい! 聞こえてます! どうしたんですか!」

「ど、どく? お茶を、味見、して……」

「紅茶を飲んでしまったということですね!」


 返事はない。だが、三郎の症状を見る限り毒によるものであることは明らかだ。


「東君毒の種類を調べて!」

「で、でも北ちゃん」

「早く!」

「お、おう……」


 毒の種類にもよるが、早く処置しなければ手遅れになってしまう。


「北ちゃん。毒はニコチンだ!」


 ニコチン。タバコが人体に有害であることは広く知られているが、含有成分であるニコチンが極めて強い毒性を持つことは余り知られていない。毒の強さは何と青酸カリの数倍。40~60mgの接種で成人男性は死に至るとされている。

 北山は三郎の上体を起こし、背中をさすった。


「吐き気は無いですか。吐けるなら我慢せずに吐いて下さい。まずは毒を体の中から追い出しましょう」

「ぅ、うぅう……ウッ!」


 北山の話を聞き、三郎は胃の中のものを一気に吐き出した。吐しゃ物から胃液特有の酸っぱい臭いが漂う。吐しゃ物には今日の昼飯と思わしき固形物が多い。昼食後でなかったら、ニコチンがあっという間に吸収されて危なかったかもしれない。いや、既に痙攣の症状を起こし始めている。危険な状態については変わりない。


「もう吐き気は無いですか。でしたら横向きに寝ましょう」


 そう言いながら、北山は三郎を横向きに寝かせた。


「息は大丈夫ですか?」

「は、はい……」


 弱々しい声で三郎は言った。


「北さん。吐けるなら吐かせてって救急の人が……ってもう対処済みっスか。さすが」

「意識は残ってる。横向きに寝かせて、ちゃんと呼吸もできている」


 南地は北山の言ったことをそのまま救命士に伝える。


「後10分ぐらいで到着するらしいです」


 三郎は苦しそうにではあるが、呼吸はちゃんと出来ているし、意識も残っている。救命士が到着するまでは大丈夫そうだ。それに、もし三郎が死亡するのなら、既に自分の能力が発動しているはず。だから、三郎は助かるはずだ。


「南ちゃん。携帯を私の耳に当ててくれない? 直接救命士さんと話す」

「あ、確かにその方がいいですね」


 そう言いながら、南地は携帯電話を北山の耳に当てた。

 北山は救命士に指示を仰ぐと、後は安静にして救急車の到着を待ってくれとのことだった。その言葉を聞き、北山は一先ず胸をなでおろした。それと同時に、ふと疑問が湧きあがった。

 こんな騒ぎが起きているにもかかわらず、彼は一向に姿を現さない。騒ぎが聞こえてないのか、それとも彼の身に何かあったのか。彼は上手くやってくれているのだろうか。北山は少し不安になった。


 ***


 北山たちがジョナサンを連れて和水邸内へ消えた後、陰から男が姿を現した。先程北山達を招き入れた電動式の正門は固く閉ざされており、今中に入ることはできない。男はじっとその時が来るのを待ち続ける。

 待つこと約10分、扉がゆっくりと開き始め、男は堂々と正門を潜り和水邸内へ足を踏み入れた。男は玄関口を避け、見つからぬよう身を屈め、庭木の陰に隠れながら家の裏手に回る。

 裏口扉前でジョナサンが怠そうな表情をして待っていた。ジョナサンは男に気付くと、扉の下部に付けられている犬用の出入口を潜り、家の中へ入る。ガチャリと、鍵が開かれる音が鳴った。ドアノブを回し、音を立てぬようゆっくりと引く。

 以前、和水家兄弟達はジョナサンが忽然と姿を消したことを不思議がっていたが、理由は極めて簡単だった。見てのとおり、ジョナサンが自分で鍵を開け脱走したのだ。電動式の門が開いたのも、ジョナサンが操作したからだ。男は輪廻転生を信じちゃいなかったが、このジョナサンに限ってはかつて人間だったのではないかと思えてきた。

 お邪魔します。心の中でそう呟き、和水邸内へと足を踏み入れる。


「じゃあ案内してくれ」


 ジョナサンは男を一瞥してから、ゆっくりとした足取りで廊下の奥へと進む。男もそれに続く。そして、思っていた以上にあっさりと目的の場所に辿り着いた。


「……ここが、正宗の部屋なのか?」


 廊下の突き当たりで、厳かな装飾が施された両開き扉が現れた。他の扉とは明らかに趣向が異なり、部屋主の位の高さが窺い知れる。間違いない。ここが和水正宗の部屋だ。

 男は金色の取っ手に手を掛けた。幸い鍵は掛かっておらず、扉は男の要求に従い、ゆっくりとその口を開ける。


「……ノックもせずに入って来るとは無礼な。何者だ」


 低くしわがれた声が部屋の中央から発された。


「始めまして。西空零司と申します。本日は色々と聞きたいことがあって、直接伺いに参りました」


 西空は和水邸の家主、和水正宗に向けてそう言った。

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