第一章 あなたしかみえない 〈10〉
「モヘナの体力が完全に回復したら、おれを魂精にした魔法で魔界へ還ることはできないの?」
「そんなことをしたら、しのクンが死んでしまいます。それはぜったいにできません」
そう云われておれは押し黙った。さすがに出逢って2日しか経っていない美少女のために命を投げ出す勇気や覚悟はない。
魔族であれば、魔界と人間界との行き来などちょろいもんだと思っていたのだが、異世界への移動は云うほどラクではないらしい。
また、人間から云わせてもらえばいささか失敬な話だが、魔族にとって人間界は僻地あるいは流刑地なのだそうだ。未踏のジャングルとか南極とか網走番外地(?)とか云う感じであるらしい。
わざわざ魔界から人間界へくるような物好きは少ないし、上流階級の魔族ともなれば人間界へ足を踏み入れることはまずないと云う。
魔族の最高峰である〈魔宗六家〉に属するモヘナであればなおさらだが、
「私は〈冥土の巫女〉の研修で、一度だけきたことがあります」
とのこと。林間学校の日帰り登山感覚であったらしい。そんなの自慢になるか。
それより、いかにしてモヘナを安全に魔界へ還すか? である。
ただ魔界へ還しても、ドッチラ家や〈冥土の巫女〉に命を狙われつづけるようでは後味が悪い。
「モヘナんちに電話とかつながればラクなんだけどなあ」
なんとなく口をついて出た言葉にモヘナが反応した。
「それです」
「どれ?」
「アキバ家に連絡がとれれば、なんとかなるかもしれません」
そうか! よしんば、魔界すべてが敵であったとしても、アキバ家がモヘナの敵になることはあるまい。
常日頃からモヘナの素行が悪く、彼女がドッチラ家と結託してアキバ家をおとしいれようと誤解されないかぎりにおいては。
「……実家との関係は良好?」
「ええ。なんですか?」
「いいや、別に。それで電話とかメールとかつながるの?」
「それはムリですが、ドッチラ家の手の者たちに気づかれないよう、高度に暗号化した魔法陣を展開して思念をおくれば、父やアキバ家に連絡することができるはずです」
「よっしゃ!」
「ただ、そのためには、しのクンを魔法陣として組み上げる必要があります。しのクンの命が失われることはありませんが、長い時間を要するため私としのクンの体力が充溢していなければなりません」
「長い時間て、どのくらい?」
「最低でも20分はかかるかと……」
一度、魔法にされた経験からすると、おれの方も相応の覚悟が要りそうだ。それでも死なないのであれば協力を惜しむつもりはない。
「それじゃ体力回復に1週間は見た方がいいか。それまでここが敵に悟られちゃマズイな。……モヘナ、結界の魔法とかないの? 敵に居場所を悟られないような」
モヘナが首肯した。
「ええ、あります。よくご存知ですね」
現実の魔法はどうか知らないが、ファンタジー系のマンガとかアニメとか小説にはそう云うのがつきものだ。もはや常識と云えよう。
結界魔法は魔法陣を組み上げる練習にもなるし、おれが魔法陣にされる感覚も体験できると云うので、食後のティータイムをおえると、おれたちは部屋へもどった。
昨日の洗濯よりは魔力を使うので、モヘナは最初からベッドへ横たわった。おれはベッドのわきへ腰を下ろすと、毛布から出された彼女の手をにぎった。
「いきます。……魔障結界!」
モヘナのかけ声と同時におれの身体が〈魔法〉となって消えた。おれの身体は見えない水のように布のように一瞬で家中へひろがると、すべてをおおいつくした。
カタチや厚みを失ったおれで組み上げられた魔法陣が不可視の刻印となって発動する。これで敵からの襲撃に警戒する必要はない。
あっと云う間におれは元の姿へもどっていた。モヘナは昨日の魔炎爪破くらいの魔力を使ったと思う。
「モヘナ!?」
彼女の手をにぎりしめたまま顔をのぞきこむと、
「……少し疲れました」
彼女はすぐに静かな寝息をたてはじめた。やはり、まだまだ体力の回復は遠い。
おれも脱力感を感じていた。昨日は夢中で気づかなかったが、魔法にされると云うのも、それなりに疲弊するようだ。
まだ洗濯や台所の洗い物がのこっていたので、ちょっと休憩するつもりで寝袋へもぐりこんだのだが、そのまま昼まで寝てしまった。
9
おれたちが朝寝をむさぼっている頃、モヘナが人間界へ堕とされた斑雲山にひとりの少女がいた。
「え~ん、歩きにくいですう」
少女は山道を外れた熊笹のしげみに分け入りながら弱音を吐いていた。
歩きにくいのは山の地形ではなく、彼女の服装に問題があったからだ。
てっぺんに寝袋をくくりつけた大きなリュックを背負っていた。
それだけ見れば山のプロと云う雰囲気だが、ヘッドレストにエプロンドレス、白ソックスに革靴と云うメイド姿は場ちがいきわまりなかった。
豊かな長い黒髪は頭の左側にゆわえられていた。背中のリュックが邪魔でポニーテールにできなかったのだろう。
ツインテールにできなかったのは、右手にたずさえたものの邪魔になるからだ。
メイド服の少女が手にしていたのは、弓なりにゆるく湾曲した赤黒い杖だった。杖の先端には漆を何層も塗り重ねたかのような黒いドクロが載っていた。
ドクロの落ち窪んだ眼窩が赤い燐光を放ち、あごがカタカタと鳴っていた。
「ここだねっ! まわりと比べても五大元素が希薄なのは、邪悪な魔法が使われた証拠だもん。感じるよ。禍々(まがまが)しき邪気。腐々(ふふ)たる死臭。なにがあったかさっぱりだけど……」
ひとりごちる少女が、突然、身をひるがえしてさけんだ。
「あなたもそう思うでしょ!?」
少女の言葉と同時に透明な矢のようなものが少女を急襲した。少女がドクロ杖をふるうと、ぱしゃん! と音がして透明な矢が霧消した。
矢の正体は金属をも穿つ超圧縮水だ。
「五大元素がごっそり消えて土と水の魔法しか使えないこの場所じゃ、しょせんこの程度だよね」
ドクロ杖の少女がこともなげに笑う。
だいぶはなれた熊笹のしげみから背の高い男が顔を出した。齢は30代前半と云うところであろう。上等なスーツにつま先のとがった革靴と云う服装はドクロ杖の少女同様かなり場ちがいだ。
「ちっ! 祓魔師か!? 人間ふぜいがこざかしいっ!」
スーツ姿の男が吼えた。男は足場の悪い熊笹のしげみを獣のようなスピードで文字通り猪突猛進する。
双眸が赤く染まり、鋭利なかぎ爪を有した両手が常人の2倍ほど巨大化していた。どう贔屓目に見ても人間ではない。人間界へ棲む堕魔族。すなわち〈悪魔〉だ。
「ふんっだ。そのセリフ、熨斗つけてかえしてやるもん! 悪魔ふぜいがおこがましいんだからっ! ドクりん、滅魔絶唱!」
少女がスーツ姿の悪魔へドクロ杖をかざすと、ドクロの口から耳をつんざく怪鳥音とともに目もくらむような光が爆発した。
「可憐なメイドは世を忍ぶ仮の姿! 陰陽師でも祓魔師でもないその正体は……、魔葬少女なにぬねのどかなのですっ! ……って、もしもーし、聞いてますかー?」
タコ踊りと見まごう意味不明なポージングを決めた少女の眼下には、完全に炭化し絶命した悪魔のなれの果てが転がっていた。
「もー、歯応えなさすぎ。つまんないったら、つまんないよー」
少女はそうごねると、ドクロ杖のドクロを炭化した悪魔の頭へ向けた。
「ドクりん。お食べ」
少女の言葉に、天地がさかさまのドクロのあごがカタカタと鳴った。炭化した悪魔の骸が赤い霧となってドクロの口に吸いこまれた。
「ノラ悪魔がようすを見にくるくらいだから、よっぽどだよね。これは世界をゆるがす一大事かもかも。……て云うか、のどか、お腹空いた」
ちっとも緊迫感のない少女の言葉に「ぐぎゅ~っ」と腹の虫が応えた。




